再び遭遇
大分疲れたのか、雅也はあれから私の手をしっかりと握り走り回ることなく館内をゆっくりと見ていた。
そして、丁度お昼時になり敷地内にある広場でお弁当を食べ始めた。
美味しいね
そういっておにぎりを頬張る雅也はとても可愛くて、結婚して子供がいる生活もいいのかなぁなんて漠然とだけど想像してみたりして。
今日は天気も良くて、家族連れも沢山いた。
きっと雅也は家族で着たかったんだろうなぁなんて、それでも梨乃ちゃん、梨乃ちゃんと呼んでくれる雅也が何だかいじらしくって愛しくて。
「雅也、もう直ぐイルカのショーが始まるよ」
私がそう言うと
「ヤッター!一番前で見るからね」
とお腹もいっぱい、元気いっぱいになった雅也。
「ようし。行くぞー!」
「おう!」
イルカのショーは私も楽しめた。
ショーの始まる30分以上前から席に着いたお陰で念願の一番前に座れた私達。
透明なアクリルを目の前に優雅に泳ぐイルカ。
笛に合わせて高く、高くジャンプする姿は圧巻だった。
そしてお約束どおりにずぶぬれになった。
雅也の分は姉貴が着替えを用意していてくれたのだけれど、大人の私の着替えなんてないわけで、水族館の方から合羽を借りていたのでTシャツはどうにかなったのだけれど、私の両足は濡れたジーンズの重みが。
ジーンズの方は天気が良いから乾くとして、問題は私の頭だった。
今日の朝だって天パの髪は、ドライヤーと格闘しやっとこ寝癖を押さえたぐらい。
こんなことなら、この前の休日縮毛かけてくればよかったと今更ながらに後悔した。
あれ、と思った。
朝からテンション高く歩き回り、お昼を食べたせいなのか雅也は疲れてきたのだろうか?
心なしか元気がないような。
嫌だといわれるかな?と思いつつ
「そろそろ帰ろうか?」
と促した私に雅也はコクリと頷いたのだった。
帰りの電車は思いのほか空いていて2人並んで座る事が出来た。
雅也を包み込むように腕を回してあげると安心したかのように直ぐに眠ってしまった。
子供の体温って高いっていうけどこれは普通なのだろうか。
地元の駅へ着くという時に起こそうと身体をゆすってみた。
でも雅也は起きなくて、仕方がなく抱え込み電車を後にした。
そしてふいにおでこで手を当てると、さっきとは断然に違う、とても熱くなっていた。
風邪引いちゃったのかも……
家に電話をした。
すると母親が
「あらあらお疲れ様」
と大して慌てえることなくて。
「そこからじゃ、梨乃が直接行った方が近いわね。タクシー使って小川先生のところ宜しくね。後から保険証持っていくから」
と告げられた。
小川先生か、久しぶりだな。
そこは個人でやっている小児科だ。
私達姉妹が幼い頃からずっとかかっていた診療所。
ここのところ行ってなかったな。
私は直ぐにタクシーで小川先生の所に向かった。
学生の時まではこの入り組んだ路地を通ったものだけど、大人になると全くといっていいほど通らなくなったこの道。
時折、雅也が目を細め小さな声で
梨乃ちゃんごめんね
と私を気遣う。
私の方こそ気がつかなくってごめんねなのに……
雅也の頭を撫でながら”もう直ぐお医者さんだからね。頑張れ”そう囁いた。
診療所に着くと、懐かしい顔がむかえてくれた。
看護士をしている先生の奥さんだった。
私の顔を見て少し驚いたようだったけれど、直ぐに笑顔をくれ、待っていたのよと診察室に通してくれた。
そういえば――今日は休日だ。
お母さんが電話をしてくれたのだと今になって気がついた私。
診察室に入るとそこには、いつもの先生ではなくて。
そこには、白衣を纏った若い男性がいた。
その人はぶっきらぼうに
「じゃあ、こちらに来て」とベットに雅也を座らせるように促せられた。
私は言われた通りに雅也をベットに座らせ一歩退く。
心音を聞き、口の中を見て首筋に手を当てた。
「いつからですか?」
低い声だった。
「すみません。気がついたのは先程なのですが、お昼位には元気がなかったような気がします」
私は小さな声でそう答えた。
「もっと早くに連れてきてくれたらお子さんだってもっと楽になっていたでしょうに」
胸にグサっと来た。
「はい……」
私がそう返事をしたその時丁度電話が鳴り、奥さんが診察室から出て行った。
私の様子を見ていた雅也が口を開いた。
「梨乃ちゃんは悪くないんだ。僕が水族館に行こうって言ったんだ。だから悪くないんだ」
熱にうなされながら雅也は私を気遣ってくれた。
するとこいつは
「梨乃ちゃんですか」
と鼻で笑った後
「こんな小さなお子さんがいるのに、休日前は夜遊びで罪滅ぼしのお出かけですか」
聞こえたのが不思議なくらいの小さい声、とても冷たい声だった。
というか、何で貴方にそんな事を言われなくちゃいけないわけ!
両手の爪が掌に食い込んだ。
あったまきた、怒鳴り返してやろう、そう思った時にバタンと診察室のドアが開いた。
「雅也、大丈夫?」
ベットに駆け寄り雅也の手を握りながら、心配そうな顔をするお姉ちゃんだった。
「ママ」
雅也はほっとしたのか少し泣きそうな顔した。
「お休みのところ申し訳ありませんでした」
丁寧に頭を下げるお姉ちゃんに、こいつは固まっていた。
その表情をみて、思わずほくそえむ私。
私の時とは打って変わって優しい声で雅也の病状を話すこいつに呆れながら診察室を後にした。
丁度そこに奥さんが戻ってきた。
「梨乃ちゃん久しぶりね。すっかり綺麗なお姉さんになっちゃって」
と柔らかな笑顔をくれた。
変わってないな。
小さな時、苦しくってもこの人の笑顔で大丈夫と言われたら本当に大丈夫な気がしたんだよな、なんて思い出した。
「お久しぶりです。お元気そうで何よりです。あのー先生は?どうしたのですか?」
さっきから気になっていた、あの先生の姿がない事を。
「もう年なのよ。先週から腰の調子が悪くって奥で休んでいるわ。そうそうそれで甥っこに来てもらっているの。今日はお休みだったのだけど、たまたま来てくててね。どう? いい男でしょう」
奥さんはそう言ったのだけど、
「先生お大事にしてください」
と先生の事だけそう告げると曖昧に笑うだけだった。
そのうちに診察室のドアが開いて中からお姉ちゃんと雅也が出てきた。
その時に、眼鏡を外し、目頭に手を当てる嫌味な男の顔が目に入る。
あーっ、何処かで会ったと思ったんだよ。
そうこいつはあの時のバーにいた男だ。
一度ならずも二度までも私を不快にさせるなんて。
まあ、確かに顔はいいと思うけど、こんな男は絶対ごめんだ。
心の中で叫びまくったのだった。