いじっぱりなのは昔から
何でこうなるの。
携帯を畳んで、前のめりに凭れ掛け直した外階段の鉄の手すり。
今の私の顔とんでもなく歪んでるんだろうな。
戻らなくてはいけないのに、戻りたくない。
スキルと同時に身についたはずの仕事上のポーカーフェイスも今の私じゃどうにもならないだろう。
あの時と同じ? それともそれ以上?
江川の時は金曜の夜だったから幾分の猶予があった。
だけど、今回は……
ため息は、尽きる事は無さそうだ。
呼び出されるまで、ここでサボるか。
頭の中を空っぽにしようと、遠くに視線を馳せた。
ここに来たのは久し振で、それを実感させるだけの風景がそこにあった。
見慣れていたはずの小学校も今は大きなマンションに遮られて校庭が僅かに見えるだけ。
ビルの隙間にまるでそこだけ置いて行かれたかのような古いアパートも今は近代的なアパートへと様変わり。
最後にきたのは、確か江川の結婚報告をフロアーで聞いた日だったかも。
時は流れているんだよな。
江川と再び言葉を交わすようになって数カ月。
うん、時が経てば大丈夫。
自分に言い聞かせるように何度も何度もそう呟いた。
どうしてか涙は出てこなかった。
指輪を返せと言ったあいつは、私に病院まで持ってこいと言い放った。
理不尽すぎるその言い草に
「なんで私があんたのとこに行かなくちゃいけないのよ。取りに来るもんじゃないの普通」
そう息まいて反論したはずなのに……
「俺に会いにきたくないのは、まさか本気で惚れたとか言わないよな」
いつぞやのように鼻で笑われて。
争点がずれているにも関わらず、私はムキになって鼻息荒く
「そんな事有る訳ないでしょ」
と語尾を強めたのだけど。
「ふーん」
なんて、人を馬鹿にしたような言い方するもんだから。
「解ったわよ、これっぽっちもあんたのことなんて好きじゃないってとこ見せてあげる。明日の仕事帰りにあんたの病院に持って行けばいいんでしょ」
なんて言って電話を切ってしまった。
何で指輪を返して欲しいのか。
電話を切った後で、郵送でも良かったんじゃないと。
いろいろな反論や選択肢があったはずなのに、あいつは最小限の言葉で私をその考え通りに事を勧めたのじゃないだろうか、と。
でも……あの日。
会うのはこれが最後だと別れたはずの私なのに、馬鹿だと言われるかもしれないけれど、またもう一度アイツに会えると思う気持ちも確かにここにあるのだ。
正直言葉を交わすのは、きついと思う。
何で指輪を返さなくてはいけないのか。
その理由なんて本当は知りたくないんだ。
きっと急を要する何かがあったのかもしれない。
それの意味する事は?
冗談混じりで言われた言葉が胸を刺す。
もしかして、私の心を悟られた?
想いを残されたくないとばかりに、アイツとの繋がりでもあった指輪を返して欲しいと思ったのか?
その真意は定かじゃないけれど、私にとって良くない方向には違いないだろう。
恋にこんなに臆病になったのは年を重ねたせいなのだろうか……
平気だと思いはじめてきた過去の恋のトラウマからなのか?
地表から突き上げるように吹いたビル風に髪がさらわれ、舞い上がった。
唇の端についた数本の髪の毛を手で振り払うと、手元の携帯が視線に入り、ここから投げ捨てたくなる衝動に駆られた。
勿論そんな事は出来るはずもないのだけど。
やっぱりそろそろ戻らないとか……
もう下っ端なんかじゃない。
任された仕事だって残っている。
取り敢えず今は仕事に集中しないと。
そうしていないと、きっと駄目だ。
幸い涙も出てこなかった。
目はウサギになっていないと思う。
何か言い訳を考えなくちゃかな。
30分もいなかっただろうけれど、行く先も告げずにフォロアーを出てきたんだ、何か聞かれないとも限らない。
上手い逃げ口上も見つからなかったが、取り敢えず大きく深呼吸という名のため息をついてドアノブを掴んだ。
来た時は必至だったから気がつかなかったけど、重厚な鉄の扉は開くとギシっと結構な音が鳴って。
たまたまだろう通り掛った江川の背中がスローモーションのように振り返ってくるのを、どうする事もなく固まったままの私。
「何やってんだ、こんなとこで。さては誰かさんとケンカしたんだろ? お前がそこにいるなんてよっぽどだろうからな。それにしても最近も来てたんだな、ここ」
固まり続けた私の方へ一歩一歩進んでくる江川。
私の顔を覗きこむように目を細めると
「なんだ、泣いてじゃん。つまんねぇ」
なんて。
「何で私が泣かなくちゃいけないのよ。ちょっと煮詰まったから外の風に当りに行っただけですから」
ああ、また素直になれない。
そう簡単に、人間変わるもんじゃない。
いじっぱりなのは昔から。
きっと江川は解ってる、解り過ぎるくらいに。
ここは私の避難場所。
でも、こんな事で江川に救いを求めるなんて、それこそごめんだけどね。
「何だよ、だったらサボってるんじゃないって説教すれば良かった」
人間性は兎も角としてこんな嫌味ですら、こいつの声は嫌じゃないなんて私はなんなのだろう。
フロアーに戻る前にワンクッション、江川とのこんな遣り取りのお陰で、少しだけ曇った顔が晴れたような気がしないでもない。
「勘弁してよ、説教なんて。こんなに働かされて、息抜きも出来ないような会社なら、訴えてやるから」
捨て台詞のように言い放つと、私は歩みを速めて江川の一歩先を歩き始めた。
フロアーに戻ると、待ってましたかのように片瀬と視線がぶつかった。
ほんとにもう、なんなのこの子は。
気味の悪いうすら笑み。
今度は何を言われるのかと身構えたのだったけれど、予想外な事に片瀬の標的は江川だった。
ひょこっと近寄ってきた片瀬は、私のすぐ後ろにいた江川に向かって
「そんなに仙崎さんが気になるんですか?」
と、上目づかい。
きっと一緒のタイミングで戻った私達を疑っているのだろう。
「ちょっと片瀬さんっ」
思わず出た私の言葉を制するかのように江川と目が合った。
「そりゃ気になるよ、可愛い後輩だからね」
なんて、火に油を注ぐような発言。
片瀬は思ってもみない言葉だったようで
「よくもそんな事言えますね、奥さんが可哀想」
と蚊の鳴くような小さな呟き。
まさか片瀬から奥さんを心配するような発言が出るなんて、驚きだ。
「あれ、言ってなかったっけ? うちの奥さん可哀想どころか幸せいっぱいだよ。やっと子どもが授かってね。今はつわりが酷くて実家に戻っているけれど、夫婦仲は片瀬に心配されるようなことないから大丈夫だよ」
そう言うとポンポンと片瀬の頭に手を置き何事もなかったかのように席に戻る江川。
江川の声は大きくはなかったけれど、周囲に居た人には聞こえたようで
「おめでとうございます」
と声が掛っていた。
その声を聞きながら、唇を噛みしめる女が一人。
あららら、手に入らないと悟ったか?
江川を見る目は尋常じゃないって。
もしかして、憎しみにシフトしたとか?
片瀬を横目に席に着くと、原田が椅子を寄せてきた。
「愛しの婚約者さんは何だって?」
一瞬だけ忘れていたけれど、原田の言葉で蘇ってきた苦い電話。
「内緒」
そういう私は笑えていただろうか。
椅子のキャスターを転がしながら
「ミステリアスだな」
と言う原田。
全くだよ。
私にも何が何だかミステリアスだらけだよ。
くみやんさん 拍手コメントありがとうです♪ 私の方が嬉しいですよ^^ ドドスコって思わず笑ってしまいました^^ これからも宜しくです!
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