ケンカしてる?
「マジで?梨乃ちゃんって一見しっかりしてそうに見えるけど、そんな失態やらかした事あるんだ」
これはどういう事態でしょう。
私を挟んで会話しないでくれる?
それに、いつのまに「梨乃ちゃん」になってるのよ。
真美も真美だ。
何が、あいつの話を酒のつまみよ、これじゃ私がつまみになってるじゃない。
「だーかーら。もうどうだっていいじゃん、そんな話」
この言葉を言ったのは何度目だろう。
「俺やっぱり、梨乃ちゃんがいいなぁ。知ってるよ、ケンカしてるんでしょ? 芳人なんか止めてやっぱり俺にしとけばいいのに」
私の肩に高田の手が置かれても払いもせず、高田の顔を見てその言葉を反芻した。
「ケンカしてる?」
ケンカなのか?
「最近、機嫌悪いし、って前から愛想なんて無かったけど。ここんとこ梨乃ちゃんに会う為に休みの日だってちゃんと休んでたアイツが、元のように休日返上し始めたんだよね。因みこれは、アイツと同じ病院に勤めてる看護師の麻梨香ちゃんから仕入れた情報なんだけど、俺はピーンときたわけよ」
何がピーンときただって?
「べ、別にケンカなんかしてないけど?」
クールな大人の女は何処へやら、何でそこでどもるんだ、私。
「いいって隠さなくても。だからさぁ俺にしとけば良かったのに。俺が来る前、真美ちゃんに愚痴ってたくちだろ?」
こいつお茶らけてるんだか、鋭いのか良く解らない。
何て返答したらいいのか言葉がみつからなくて、思わず考えこんでしまった。
厄介そうだからな、高田は。アイツとの約束の時まで後一週間とはいえ下手な事言えない。
「高田さん、鋭いね。ちょっと違うけど、おおむねそんな感じ。思いっきり愚痴ってたからね梨乃」
真美さん、それ全くフォローになってませんから。
案の定、高田は食いついてくるし。
「だろ、そうだと思ったんだよ。いやー俺って凄い」
そう言って私の肩に置かれた手により一層の重みがかかった。
そこで初めて、手を払ったのだけど、全く動じないって。
なんて図々しいんだ、お前は。
手を払うなんて生ぬるいんだったらこうだ、とばかりに手の甲をつねってやった。
どうよ、日頃から磨いている爪を甘くみてもらっちゃ困る。
これは結構な武器になるんだから。
慌てて手をひっこめた高田に、冷たい視線を送ってやった。
それより、アイツが機嫌悪いってどういうことなのだろう? もしかして、何に対してか解らないけど一か月の猶予じゃ足りなくて焦ってるとか?
「へぇー、彼は機嫌悪いんだ。可愛いとこあるじゃん」
真美ってホント何を言ってくれちゃってるのですか。
「ちっとも可愛くないけどな。ケンカしたっていうのは今日来て確信したんだけどね、これで」
そう言って高田が指を差したのは、他でもない私の左手の薬指。
「なるほどね」
ほら、真美までそこで感心しない。
「これは――」
何もつけてない薬指をさすりながら考える。
こうなったら、本当の事言っちゃうか?
「それは、会社で冷やかされないように、ネックレスのチェーンに通してるからね。何だったら見せてもらえば? でも恥ずかしがり屋さんなんだよ、梨乃は。ねっ」
ねっ、ってそこで私に振るか、真美さんよ。
それより、チェーンについてたのなんか、ものの数分だっていうの。
もう、私にどうしろと。
「いいよ見せなくても、その指輪俺見たから。貴重な休みに、店まで呼びだされて。結構被害蒙ってるだぜ、俺だって」
高田の言葉は結構な衝撃で。
アイツ――高田にわざわざ店まで呼んで見せたわけ?
「梨乃ちゃんってほんと、顔に出るし。因みに呼びだしたのは芳人じゃないよ。宝石店にいただろ、気の強そうな女が。芳人が婚約指輪買いに来たって血相変えて電話してきたんぜ」
あーあの人ね。全身で好きですオーラを出してたからな。
あの時の事を思いだすだけで、気分が悪くなりそうだ。
私は綺麗すっぱり忘れたいっていうのに。
あの時は妙に優しかったというか、普通だったというか。
「そうそう、アイツ大学病院じゃん。梨乃ちゃんも解ってるだろうけど休みだって土日にあたるって訳じゃないから、アイツ、らしくなく休みとか交換して貰ってただろ。結構な噂になってたとこに、今度は休日返上だろ? 病院の中じゃきっと別れたんだって看護師さんで専らの噂らしいよ。梨乃ちゃん、アイツってあんな無愛想なのに、人気あるらしいからあんまりケンカ長引くと誰かに盗られちゃうかもよ。ってそっちの方が俺には好都合なんだけどね」
何ののよその説明口調は、そんな事、そんなアイツがモテルだろう事解ってるっていうの。
だけど、私にはどうする事も出来ないでしょ。
本当は婚約者でも付き合っても無かったんだから。
でも、あの時この高田とお見合いした時の事を思うと、何でも無いとは言いだせないよ。
あんなキスまで見せつけといて、本当は全く関係ない人だったなんて。
それこそ、付き合ってもない人とあんなキスするなんて思われちゃ、高田と一緒じゃないか。
私を挟みながら、高田と真美が何か話しているけど、全く会話が耳に届かなくて。
あーもう、私の頭がテンパりすぎ。
カウンターに肘をつくと頭の中に手を突っ込んでがっくりと項垂れた。
私どうすればいいんだ?
こいつに勘違いさせたままでいのか?
ちょっと意識を遠くに飛ばしていた私に突然ゾワっと鳥肌が立った。
頭の上で飛び交った会話が止んだ途端、私の腕に急に高田が触れたから。
高田をみやると、思ってもみなかった反応だったらしくギョッとしていた。
でも直ぐに顔を戻して
「梨乃ちゃんのこの二つ並んだホクロ可愛いね」
なんて。
触れられた左肘を消毒するかのように右手で摩ると
「何か傷つくな」
なんて。
勝手に傷ついてろとばかりに
「これはホクロじゃなくて噛み痕です。小学校の時、犬に噛まれて痕に残っちゃったのよ」
私のトラウマだっていうの。
私に触れるなとばかりに、高田との間を少し空けてやった。
「梨乃ちゃんてさぁ。おじさんとこ昔っから掛ってたんだよな」
何を今更そんな事。
「姉貴もいるからね、それこそ産まれた時からお世話になってるし」
スルーすればいいものを私ってば正直に答えちゃってるし。
「そうだよね、おじさんの腕は最高だからな」
って? なに清々しい顔してるのよ。
何だかしっくりしないものあるけれど、だんだんと瞼が重たくなってきた。
高田のせいで、喉が渇くもんだから久々に飲み過ぎたかも。
それより何より、高田が来たから江川の事っていうか、会社での話を真美とあんまり話してないんですけど。
折角良い雰囲気の店だっていうのに、その雰囲気も堪能出来なかったし。
そう思ったせいなのか、やっとこ耳にジャズのリズムが聞こえ始めたんだけど。
今日は何だか異様に疲れるんですけど。
いいかげんに帰ってくれないかな。
思いっきり睨んでやったにも関わらず
「俺の事そんなに見つめて、やっぱり俺に惚れちゃった?」
本当にコイツは。
呆れて何も言えなかった。