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行く宛て

「はい、仕事戻ろう」

両手をパチンと叩いた江川の合図と共に、みんなちりじりとデスクに戻って行くけれど


――相手誰だろうね――

なんて女の子たちの囁きがしっかりと聞こえているのですけれど。

自分でまいた種とはいえ、まさかこんな事態に陥るだなんて思いもしなかった。

それにしても、苦虫を噛み砕いたような顔をして黙ったまま去っていった部長の背中が恐ろしかった。

完全に部長がフロアーから遠ざかった頃、私の後ろを小走りする片瀬の姿を発見。

もしかしたら、部長の後を追って行った? 半信半疑だけどその可能性は否定できないだろう。


仕事なんて全くやる気も起きなくてポーズだけとばかりにパソコンの画面に目を向けると、先程の専務室の光景を思いだしてしまった。

何だかんだ言ったって、妻の親と義理の息子って感じだったよな、と。

普段はかしこまって話す場面しか見た事なかったけど、ああやって砕けた感じで話しが出来るって言う事はそれなりの関係なのだろうね。

ここ最近、江川と話し始めてから少しばかり心配はしていたけれど、杞憂だったのか?

って私江川の事なんて考えている時じゃないよ。


どのくらいぼーっとしていたのだろう、パソコンの画面に焦点が合ってくると、画面の端の小さな封筒が点滅していた。

何気なくクリックすると社内メールが七件。

思わずぎょっとした。

件名に並ぶ「おめでとう」の文字に同僚の名前。

その中に一件

「あんた何しにいったの」

と呆れた顔が浮かんできそうな真美からのメールを発見。

件名もさることながら、その内容も――ごもっともです。


「お願い。愚痴らせて」

と素早く返信を打つと、見たくもない同僚からの『お祝い&冷やかし』メールに目を通し途方に暮れた。

それにしても、話し回るの早すぎじゃない?


――聞いて無いんだけど。まさか梨乃に先越されるとは――

とメールを送ってきたのは2階も下のフロアーにいる同期の多香子からだ。


自惚れるつもりは毛頭ないが、今日明日は会社でトイレに入るのは辞めておこうと決心した。

色恋沙汰は格好の噂の餌食だ。それも行き遅れと思われている自分の噂なんて……聞きたくないからね。


当然の事ながら、デスクの周りからの視線もビシバシっと痛いほど受けていまして。

半ば不機嫌オーラの出ている私には話し掛けたいけれど、タイミングを計ってるっていうところだろう。


ひとしきり悩んだ末に私の起した行動はというと。


『えーっと。さっき課長が言ったとだけど、まだ本決まりじゃないので、何かしら決まった時に報告するね。という事で宜しく願います』

呟くようにでも周りに聞こえるように、そして、これ以上聞いてくれるなとばかりの思いを込めて言ってみた。


それはそれは必死な形相でパソコンに向かった私。

誰も私に話しかけてくるなといったオーラを身に纏えたかは解らないけれど――。

今の今まで、誰も話し掛けてこなかったのだからきっとそうだったのだろう。

途中お腹の虫が騒いだけど、昼休みも取らずにグッと堪えた数時間。

頭の中には残業の二文字が浮かんだけれど、私は仕事中の仲間を尻目にこの空間から退散する事だけを考えて、チャイムと同時に逃げ出した。


――やっぱり仙崎さん照れてるんだね――

なんて声が聞こえたけれど、振り向きもしなかった。

この私が片瀬より先にフロアーを出る事があろうとは誰も想像すらしなかったはず。


今日は厄日に違いない。

会社を出たとはいえ、私の行くところなんてそうは無いのは解ってはいるけれど今日ばっかりはどうしようもない。

家にも帰りたくないしな。

姉貴の顔も浮かぶけど、そう続けてっていうのも何だ。

かといって行くあてもないし。


会社から少しづつ離れてくると、フロアーを出てからずっと小走りだった足も段々緩やかになってきた。

運動不足も身に沁みるよ。


ウィンドウショッピングか?

ポケットに手を入れると指先に感じた振動。

携帯に浮かび上がった名前は真美だった。


「もしもし」

自分でも解る情けない声。


「あんた帰るの早過ぎ」

そう言うや否や小さく聞こえた真美の失笑。


「だって、さ」

子どもみたいな返事しか出来なかった私。


「今日私も上がるから、どうせ行くとこ無いんでしょ」

言葉はきついけど、声は暖かった。


「真美ー」

耳に残る自分の声は情けないにも程がある。

本当に何処までいっても子どもっぽくって。

反対に、包み込むような真美の声。

今の私にとって、真美は神様みたいに思えた。


駅のコンコースの柱に凭れて待つこと20分。

家路に急ぐ人の波の中から、一際背筋の良い女性発見。

真美だ。


きっと泣きそうな顔をしていたんだと思う。

真美の顔を見た途端、ほっとしたのか涙腺がやばい。

そんな私に

「いい大人がこんなとこでなんて顔してんの」

なんて、言葉とは反対に優しく私の背中に手を当てると


「はい、行くよ」

と目の前のタクシーに乗り込んだ。


取引先の営業マンから教えて貰ったというショットバーは、隣駅。

こんな日は満員電車でもみくちゃにされたくないからね、なんて。

きっと私が泣きそうな顔をしていたからかもしれない。

真美のさりげない優しさが身に沁みてくる。

案外道は空いていて15分足らずでショットバーに到着。

落ち着いた良い雰囲気なんだって、と言われた通り重厚なドアを開くと心地よいジャズの音が聞こえてきた。


















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