縁起でもない事
大きく深呼吸をしてフロアーの扉に手を掛ける。
ごった返すフロアーではきっと私が入ったって気がつきやしないだろうと思ったけれど、どうしてこう間が悪いと言うか何と言うか。
珍しくシンと静まったフロアー。
原因は直ぐに解った。
「仙崎、お前何処に行ってたんだ」
厭味ったらしい声で私を呼ぶ部長の声。
どうやら、私のいない間におでましだったのだ。
「すみません、席を外していまして」
何となく専務に呼ばれた事は言ってはいけないような気がした。
とは言っても私は伝言を受けた側なので、ここにいる誰しもが私の行く先を知っていそうなものだけど。
「ほお、俺には専務に呼ばれた事を内緒にすると言うのだな」
何とこいつ知っていてそれを言うか。
まさかリークしたのは部長じゃないだろうな?
いや、それはありえない。
うん、ありえない。
「いえ、そんな事はないのですが」
江川と私の仲を疑われたなんて言えやしないでしょ。
さて、なんと切り替えそう。
「何の騒ぎだこれは」
私に遅れる事一分、江川の登場だ。
江川は私に目もくれる事なく
「部長ここにいらっしゃったのですか? 専務が捜していましたが」
しれっとした顔でそうは言うけど、きっとそれは嘘だと直感した。
専務が仲の悪い部長を捜すなんてありえない。
江川の咄嗟の機転だろう。
このたぬきめ。
そして、部長はというと大して慌てた様子もなく、江川に食って掛った。
「ところで君も専務に会っていたのかね? 仙崎さんも専務室にいたようだが。まさか君たち専務の娘を差し置いて社内で不倫なんて事をしてるのじゃないだろうね」
勝ち誇ったようにあざけ笑う部長がいた。
おや? じゃあさっきの私の推測は間違っていたのか?
リークしたのは部長なのか?
部長の爆弾発言によってもたらされたフロアーのざわつきも気がつかなかった私。
今の今まで疑いを持っていた片瀬の顔を見ると、にっこり部長にほほ笑んでいるじゃないか。
もしかして、片瀬と部長がグルだったりするのか?
「何を馬鹿げた事を。実は、仙崎さんの結婚が決まってですね。仕事中に申し訳ないかと思ったのだが、専務に報告ついでに式場を紹介して貰おうと思って伺ったのですよ。な、仙崎」
犯人捜しの推理を脳内でしていた私は江川の言葉を理解するのに数秒の時間が掛った。
フロアーのあちらこちらからは
新たなざわつきと同時に
「おめでとう」
の祝福の声。
ちょっと待ったーっ。
と叫びたくなる衝動に駆られるけれど、時は既に遅し。
離れた席にいた同期までもが集まってくる始末。
「何でここで言っちゃうのよ」
小声で隣に立つ江川に囁いたけど、私の言葉なんて何処吹く風。
「遅かれ早かれ知れるんだ。同じだろ」って。
なんてこったい。
私は婚約を解消したばかりだというのに。
それも、嘘の婚約の……
身から出た錆びとはいえ、大変な事になってしまったかも。
背伸びをして、真美のデスクを覗いてみると。
最早、どうしようもないと言ったような呆れ顔。
泣きたい、ここで泣いてもいいですか?
ここまで一生懸命頑張ってきた私に、この仕打ちは随分ないのじゃないですか?
困り果てた私は顔を歪ませるのだけど
「仙崎さん、照れてる」
って。
何処の誰が言ったのか解りませんが、照れているのじゃなくて、泣きそうなんです。
私は腹いせにとばかり、江川の足をヒールで踏んでやったけど、そんな事じゃ気が晴れない。
「照れるな」って。江川まで言うか?
やっぱりあそこで助けるんじゃなかった。
策に溺れるってこういう時使っていい言葉なのだろうか。
「あの、まだ正式ってわけじゃないので。破談になっちゃうかもしれないし」
自分で思うより随分と控えめな声が出たようだ。
私の背中側にいつの間にかいた吉川が
「そんな縁起でもない事いっちゃ駄目ですよ」
と背中を叩かれた。
まさにその縁起でもない事の真っ最中なのですが……
それも自分から。
私何か悪い事した?
有給もたっぷり残っているし、早退してもいいでしょうか?
本気で帰りたいと思った。
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