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対峙

「仕事中に呼び出して悪かったね」


まだ頭を下げているうちにそう言われたけれど、顔を見ずとも専務の口調からそう思っていない事は明白だ。

江川の半歩後ろに立った私を頭の先からつま先まで見渡すあたり、まるで値踏みをされているよう。


――心配しなくても、お嬢さんの敵にはなりはしないですから、ご安心下さい――

そう言ってやりたい衝動に駆られる。

エレベーターの中からこのドアをノックするまで、何度となく唱えたあの呪文。

引きつっていませんようにと願いながら、専務に向かってほほ笑んでみた。

つられて笑ってくれているのだろうけれど、目が笑ってないです。

静かすぎる圧迫感あるこの部屋から早く脱出したくて堪らない。


「仕事に支障をきたしてはいかんので、早速なんだが――」

意味ありげに言葉を切る専務。

私はただ姿勢を伸ばしその言葉の先を待つ。


「俺と仙崎の仲が良すぎると、専務に忠告してくれた人がいるそうだよ」

半ば呆れたような口ぶりで江川が専務の言葉の先を変わりに説明してくれた。

専務は大きく頷いた。


忠告? 何となく頭に浮かぶ人物はちらほらと……

多分あいつだろう。


「仲が悪いとは申しませんが、仲が良すぎるというその言葉に悪意を感じます。上司と部下の立場としてと言うのが前提の元、尊敬もしていますし、目を掛けてくれているとは自負して居ります。入社時期にこの会社の事を教えてくれていたのは、江川課長でしたので」


机に肘をつきながら『ほお』と言いながら私を射ぬく目は疑いのまなざしそのもの。

専務という肩書を通り越した一人の父親のものだろう。


「全く何を根拠にそんな事」

呟くように吐き捨てた江川の言葉。

専務の眼が更にきつくなったような気がした。


私はおもむろにブラウスの襟に手を入れるとネックレスを引き出し留め金を外した。

これが役に立つとは――。

手のひらに重なったチェーンから、シルバーリングを取りだして一歩前に踏み出した。


「まだ、日取りが決まっていないものなので報告はしていないのですが、先月婚約致しました」

胸が張り裂けそうになるけれど、これを出せば一発であらぬ疑いは晴れるだろう。

さっきロッカーで咄嗟に思いついての用意だった。

出番が無いようにと願ったけれど、そうもいかないこの状況。

悔しいのと情けないのといろいろな気持ちが入り混じる中、私は手を差し出しながら専務に向かってお辞儀をした。


「へえ、そうだったんだ」

頭上から江川の声が降ってきた。


「すみません。先程も言った通り、まだ式の日取りも決まっていないもので、課長にも報告を控えておりました」


頭をあげながら、専務を見据えて言った自分を褒めたい気分。

本当は泣きそうだっていうの。

会社に入って十年余り愛想笑いは私の身に付けた武器だ。

余程安心したのだろう、専務の顔が和らいだ。


「それは大変失礼したね。私も違うとは思っていたのだが、少しの疑惑も晴らしておきたいものでね。火の無いところに、と言うだろ?」


少しの疑惑? 専務の言葉に棘を感じるのは気のせいじゃない。


「だから、それはさっき仙崎の言った通り、入社時に教育担当をしたから他の社員よりも話し易いというだけだ、と何度言ったら解るんですか。ここまで仙崎を呼び付ける話でもないでしょ」

畳みかけるように言い放った江川の口調に流石の専務も口を閉ざした。


誰もが口を閉ざしたままの空間にいたたまれなくなったのは他でもない私だ。


「仕事も残っておりますし、もう宜しいでしょうか?」

我ながら凄い度胸だ。


専務は我に返ったように

「ああ、悪かったね。仕事に戻ってくれ」


その言葉に安堵して頭を下げると、手の中にある指輪が手のひらに食い込んだ。

部屋を出る前に江川の顔をみると、呆れたように首を竦め


「悪かったな、仕事中に」

とまるで専務に嫌味を言うようなそんな感じ。


そんな江川に私は小さくお辞儀をした。

ほっとしたのも束の間、部屋を出る為にドアノブに手を掛けると後ろから声が掛った。


「それで、仙崎さんのお相手はどんな人なんだい? 仕事は続けるのか?」


心臓がドキリと波打った。

確かに婚約をしたと言ったのは自分自身なのだが、まさか接点の無い専務にそこまで聞かれるとは思わなかった。

私はドアノブを持ったまま、一度『好き』と唱えると。くるりと振り返り背筋を伸ばして声を張った。


「はい、大学病院で医師をしています。仕事は続けさせて頂くつもりですので宜しくお願いします」と。

これでもかと言うほどの笑顔を張り付け

「失礼致します」

と専務室から脱出した。

廊下の先には専務の秘書が書類を抱えて立っていた。

きっと席を外すように言われていたのだろう。

私の顔をじっと見つめる彼女にも、にっこりとほほ笑むと彼女と反対方向にあるエレベーターに乗り込んだ。


馬鹿な私。

でもいいよね、向こうだって利用するって言ってたのだから私だって利用させて貰っても……

後は専務と江川が誰かに話さないでいてくれる事を願うばかりだ。

ロッカーに戻ると、一番下の段に置いたベルベットの小箱を開いた。

まさか、家に置いておきたくなくて、ここにしまいこんでいたのが功を奏すとは。

また暫くというか、永遠に眠って頂く事になるだろうけど。

台座に鎮座したシルバーリング。

もう見る事は無いと思っていたのに、ね。


私って本当に馬鹿だ。

でも、あの場で二人で否定したって専務の疑惑が晴れたかどうか解ったもんじゃないだろうから。

噂の根源が悪意のあるものだとしたら尚更だ。


だけど、あの時よりもいいじゃない、と自分を奮い立たせる。

江川の祝福を社内で報告された時よりもね。

あの時こそがどん底だったのだから。

今は綺麗すっぱり過去の事になっている。

だから、今度も。

ロッカーの奥底に再び突っ込んだベルベット。

私が会社を辞めるその時まで封印だっていうの。


その日が来るのが寿なのか、定年なのかは解らないけれど。

きっと針のむしろだろう、フロアーに戻るため、いつもより勢いを付けてロッカーの扉を閉めた。


大丈夫、頑張れ私、と自分に渇を入れ廊下を歩き始めた。











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