泣いた?
「最近随分と『あの』課長と楽しそうに話ししてると思ったら。あんたって子は全く」
久し振りに真美を捕まえた金曜の夜。
最近みつけた会社近くのショットバーの片隅で、事の顛末を話してきかせた。
どうやら、あいつと偽の婚約関係を終わりにした事に驚きつつも、私が江川に救いを求めていると勘違いしているみたいだった。
「そんなんじゃないよ」
と言えば言うほど言い訳じみてくるから不思議。
そんなつもりはこれっぽっちもないのに。
「まあ『焼きぼっくいに火がついた』って言葉もあるくらいだから、気を付けなよ。江川はもうあの頃の江川じゃないんだよ」
真美の言葉はストレートだ。
確かに江川と話す機会が増えた、一瞬昔のようだと錯覚をすることもあるけれど、恋に焦れるようなそんな気持ちじゃない。
話しているのは殆どが仕事の事だし、ましてや浮かれた話しなんてこれっぽっちもしてないのだから。
「でもさ、一緒に昼食出掛けたり、残業で二人だけになるっていうのは、噂好きには堪らないターゲットになるだろうからね」
確かに。真美の言う事は一理ある。
ある日、トイレで自分の噂に遭遇なんて事もあるかもしれない。
「うん、気を付けるよ。昼は考える。後は片瀬さえまともに仕事してくれたら、残業で江川と一緒になる事も少なくなるんだけどね……」
「あー、あの子ね。一丁前に江川狙ってる子でしょ? 会社に何しに来てるんだか。男漁りの場じゃないっつうの」
ああ言うのがいるから、女は馬鹿にされるんだよ。
本当に小さな声だったけど、最後の呟きは、今の真美を苦しめているのだろうセクハラまがいの取引先なのだろうな、と。
真美はどうして話してくれないのだろう。
少しだけ一線を引かれているようで、口に含んだ甘いカクテルがほろ苦く感じる。
「面倒臭いね、女って。性別なんてなければいいのに」
本気なんだか、冗談なんだか解らない真美の言葉。
「そうかも、しれないね」
それは投げやりな気持ちなんかじゃなくて、本当にそうだったら楽になるのかなといういろいろな思い。
「梨乃は――」
そう言ったきり口を噤んだ真美。
真美のグラスの氷がカランと音を立てると同時に
「泣いた?」
ヒュっと自分の息を呑む音が聞こえた。
「泣いてすっきりした?」
追討ちを掛けるような真美の言葉に出しきったはずの涙がじんわりと浮かんでくるのが解ったけれど、泣くもんかと歯を食いしばった。
「あたしはさ、逃げるんじゃなくて当れば良かったのにって思うんだよね」
まるで、独り言のように呟いた真美。
「案外さ。嘘から出た真って言うの? そんな感じにも思えなくないんだけど」
今度は私の顔を覗きこみながら、呟きではないそんな文句。
「勝手な事言わないでよ」
たったそれだけの一言が震えたのは、私の気持ちなんて考えていない真美へのいら立ちから。
「だったらさ、何で断ち切るはずだったのにあいつの望みを聞いちゃうの? まだ繋がりを求めていたからじゃないの?」
真美の言う事は尤もだった。
でも隠しておきたい本心を見透かされてしまった私は何処までも天の邪鬼になってしまう。
「そんな事無いよ」
堪えていた涙が溢れてきた。
だけど、それこそ暗示を掛けるように
「もう、終わりにしたんだから」
と手の甲で涙を散らして、ロングショットを一気に呑みこんだ。
「了解。ごめん。意地張らなくてもと思ったからさ。梨乃がそう言うのならもう何も言わないよ」
解ったのか解ってないのか、真美はそれ以上何も言ってこなかった。
私の頭の中にはずっと真美の言葉が駆け巡っていた。
逃げんるじゃなくて。
繋がりを求めている。
私だってそう出来たらどんなに良かったか。
だけど、どうしようも無かったんだ。
帰り際、真美に念押しともいえる釘を刺された。
「ここで江川に頼ったらあんた本当に浮上出来なくなるからね」と。
その言葉に直ぐに返せなかったのは
『何かあったら相談しろよ』と笑って言った江川の顔が浮かんだから。
だけど、江川に頼ろうとはこっぽっちも思ってない。
一呼吸置いて
「そんな馬鹿じゃないっていうの」
言ったそばから、真美に頭を抱えられた。
「梨乃が心配なんだ」
そう呟いた真美の声は聞いた事がないほど悲しい声だった。




