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上司命令?

何があっても陽はのぼるか。


調子が悪いと部屋に一日中籠ってきた昨日はあっという間に終わってしまった。

あいつのことを考えないようにと思いながらも、する事がないって言う事はどうしたって考えてしまう訳で。仕方ないから、一日中唇の余韻に浸ってしまった。

こんなに好きになる予定じゃなかったのに。

知らぬ間に唇を噛んでしまうのは、終わりにした事を後悔しているからなのかもしれない。


いつのも時刻よりも大分早めに着てきまったオフィス。

何かをしていなければ、本当にやってられないのだ。

当たり前だけど、就業時間まで一時間も前ならばそこには誰もいなくて。

冷え切ったオフィスに身を縮こませ、パソコンの電源を入れた。


金曜日に仕上げた資料の見直しだ。

共有ファイルを開くと、グラフの数字を重点に目を動かす。

きっとプリントアウトした資料で江川がチェックしているのだろうけれど。

今回は社外秘だなんて言ってる場合じゃないだろうからな。

ちらっと見てしまった課長と書かれたプレート。


そう言えば、あいつにそう勘違いさせていたんだっけ。

そんな事有るわけないのに。

確かに、別れたく無かったし、辛い思いをしたけれど、奥さんを悲しませたいとか恨むとかそんな気持ちにはなれるはずがないのだから。

私を選ばなかったのは、私じゃ駄目だったからだ。

いくら専務の娘とは言え、将来の伴侶を好きにならなそうな人を選ぶ訳がないのだから。

……と思いたいだけなのか?


どちらにしても、私じゃ無かったのは確かだ。

そういえば、子どもとか聞いた事なかったけど、正確に言うと聞きたくなくて情報をシャットダウンしていたのだけど、どちらにしても噂に登らないと言う事はいないのかもしれないな。


取り敢えずコーヒーでも淹れますか。

大きく伸びをして椅子から立ち上がると、机の上に置いた携帯が震えだした。

小窓に並ぶ数字の羅列は、登録していないナンバーだから。


誰からだろうと手に取り、耳にあてると


「もしもし、俺。誰だか解る?」

今しがた考えていた江川からだった。

「毎日のように声聞いてますからね。解らないと言った方が良かったですか? 課長」


もしかして何か不備があったのかと、自然とパソコンに目が行った。


「昔、何回か連れて行った事がある安藤物産のあの頃の社長覚えてる?」

自分の意図していない問いかけに、一瞬頭が混乱したけど、すぐに浮かんだ恰幅のよい身体に優しい顔。


「覚ええいるよ。今は引退してるんだよね」

細かい人だから、メモ取りに付き合えって、配属前の研修期間、江川について何度か営業について回ったんだっけ。

それで、私には営業は向かないって解ったんだ。

携帯を耳にあてながら、給湯室へ向かう。


「それで? 仕事の話だったら会社に来てからでもいいじゃない」

そう言えば、付き合ってた時も同じ会社にいるのに携帯で連絡取ってたっけと思いだした。

そんな事を穏やかな気持ちで思いだせるようになるなんて、ちょっと前までは考えもしなかった。

目的の給湯室に向かうと金曜日に私が纏めたごみ袋が目についた。

さーっと見てキャラメルの紙ごみが見えない事をチェックしてしまうあたり自分がおかしくて笑ってしまう。


「何笑ってんだよ。いや、いろいろと外野が煩いから、会社に来る前にと思ったんだ。安藤物産でちょっとしたレセプションパーティがあるんだ。その今は引退した前社長の安藤さんがお前は元気か? って話になって――」


江川の話しを聞きながら、サーバーで一人分淹れるのも、とヤカンに火をかけた時、静かな廊下にコツコツと響く靴音を聞いた。


「ねえ、もしかして今」

そう口にしながら給湯室から顔を出すと私同様携帯を耳にあてる江川と目が合った。


「お前、こんな時間から会社にいたのか?」

お互い目の前にいるのに、携帯を耳にあてたまま。

顔を見合わせて苦笑する。


一人分から二人分へと変更したインスタントコーヒー。

私はミルクをたっぷりと、江川はブラック。

デスクに並んで腰かけた。


「で、そのパーティに私と一緒に行けと?」


「返事はしてないから、行きたくなければ全然構わないんだ」


懐かしい顔が浮かんできて、行ってみたいとも思うけど……

普通同伴するのは、奥さんだよね。

ゴタゴタに巻き込まれるのはちょっと勘弁かも。


「上司命令じゃないのだったら、パスかな」

しがらみってもんが有るからね。

いくら秘密にしていたからって、江川と付き合っていたのは事実なんだ。

何処でどんな風に知れるか解らない。

いくら、今はそんな思いが残っていないとはいえ、二人で出掛けたとなれば、専務の娘と結婚している江川に悪い風が吹くかもしれない。


「了解。安藤さんには伝えておくよ。会いたがってたから残念だろうけどな」


ミルクで薄めたコーヒーは丁度飲みごろで、コクリコクリとカップの半分を一気に飲み込んだ。

話はここまで、と江川の鞄から取り出した資料の訂正個所をパソコンに打ち込んでいく。

きっと休日返上で、読みこんだはず。

綺麗に揃えられていた資料は、少し厚みが増していたから。


三十分も経つとちらほら顔を出すスタッフ。

お互い

「早いねぇ」

なんて言葉を交わしながら、金曜日の慌ただしかった残業を労いあう。

そして、就業時間あと五分というとこで、甲高い声がフロアーを駆け巡った。


「あー誰ですか、私の机を触ったのは」

挨拶をそこそこに、両手を掻き抱き

「怖いかも」

と周りのスタッフをぐるりと見渡す片瀬の登場だ。


マウスの位置が違う

卓上カレンダーの位置が違う


ぶつぶつと言いながら、デスクの引き出しをチェックし始めた。

引き出しの中もおかしい気がする、と江川の元に泣きつきにいく片瀬を、同じグループのスタッフは冷めた眼で見ている。

呆れ返っていると言った方がいいような……


『悪かった、急にプレゼン資料の作り直しで、机の上を少し借りたんだ』

他でもない江川からのその言葉に、身体を少し捻りながらさっきとはトーンの違う猫撫で声。


「えー大変だったんですね。そんな事なら、私も呼んでくれれば手伝ったのに」


私の両隣で、同時に深いため息が漏れた。

片瀬は挨拶の仕切り直しとばかりに、みんなに

「おはようございます」

とテンションの高い声を掛けながら席に戻ったけれど、その声に返すスタッフの声がいつもより数段低かった事には気がつかなかったようだった。















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