お役御免
「まだ時間あるし海、行かないか?」
これは空耳だったのだろうか。
最後と思っている今日は驚く事ばかりだ。
初めてなんじゃないだろうか、あいつが私に聞くなんて。
いつだって、俺様で、私の事なんてお構い無しの癖に。
別れが海っていうのも定番かもね。
虚しくなる気持ちにもなるが、これも思い出と言う事で私は『いいよ』と返した。
もし、嫌だと言っても行きそうな気がしないでもないけど。
同じ県内でも海岸沿いのこの町は来た事が無かった。
海水浴のシーズンが終わり、波打ち際ではサーフィンを楽しむ人が数人いるだけでひっそりしていた。
海の家の忘れ物だろう、錆びついたベンチに二人腰かけた。
「久し振りに来た」
「いいところだね」
海風が潮の香りを運んでくる。
海に来たのはいつ以来だろう。
思いだしたくない過去の恋の断片が頭の片隅に浮かんできて、それを振り払うかのように大きく息を吸い込んだ。
態度がバレバレだったらしく。
「何? 昔の男の事でも思いだしたのか」
なんて言われてしまった。
「別に、そんなんじゃ――」
口籠ってしまったのは、私を見る目がとても優しかったから。
どうしてそんな顔をするの?
嫌でも鼓動が加速していくのが解る。
そんな私にふいうちみたいに、襲った言葉。
「話しあるんだろ?」
その瞬間、潮風の音も波の音も周りの全てが聞こえなくなった。
一文字一文字丁寧に紡がれたその言葉。あいつの声だけが頭の中に響いている。
海に来たばかりなのに。
私の海の思い出が塗り替えられる瞬間がやってきたみたいだった。
「もう――」
思わず詰まる言葉。言いたくないけど言わなくちゃいけないその先の言葉。
「もう?」
きっと解っている癖に、そうやって今更優しい言葉を掛けてくるなんて。
「もう、終わりにしたいの。――――これ以上こんな関係をしているのは辛くなってきた」
言い終えた瞬間にハッとした。
最後のその言葉は言うつもりじゃなかったのに。
これじゃ、自分で告白したみたいなもんじゃない。
どうしたらいいか解らず、風になびくスカートの端をじっと見つめた。
暫く黙っていたあいつが、ふーっと息をついた。
「要するに、お役御免って訳だ。元カレが恋しくなった? 同じフロアーだもんな」
江川の事は話していた。
彼が結婚している事も、そして、最近わだかまりなく話せるようになった事も。
丁度いいと思った。勘違いしてくれているなら、それはその方がいいと思ってしまった。
「うん、やっぱりあの人が好きなの」
違う本当はあんたの事が好きになったの。
そう叫びたくなるけれど、自分に対してそんな思いが無い事はこの数か月で解り過ぎるほど解っている。
元々私達は付き合ってすらないのだから。
「まあ、それはそれで仕方ないし。元々俺らそういう関係じゃないしな」
ほら、やっぱり。
――元々俺らそういう関係じゃないしな――
こっちは心臓が止まりそうなくらい、おかしくなるくらい辛いっていうのに。
何て事なさそうに、言うんだから。脈が無いにも程があるっていうの。
「了解、もうこれからは呼び出さない。だけど――」
「だけど?」
決定的な言葉の後に続くのは?
「だけど、俺の方はもうちょっとの間悪いけどお前を利用させて貰うから。迷惑は多分掛けないから、いいよな?」
複雑な心境だった。
利用だよね、その言葉に少しだけ、ふっきれた気がした。
「多分って何よ。絶対にして」
そう言って笑えたのは、一体どうしてなのだろう。
そんな自分におかしくて、必要以上に笑ってしまった。
「多分は多分だよ。俺からは呼びだしも連絡もしない。だから――いいよ、な」
あいつも笑いながら言うもんだから、思わず頷いてしまった。