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いざ、決戦

「あんた、朝からそんなに食べて大丈夫なの?」


母さんの言葉に頷きながら、空っぽになったお茶碗片手に炊飯器の蓋を開けた。

腹が減っては戦は出来ぬっていうでしょ?

口に出さずに、母さんに目で訴えてみる。

尻尾の先だけ残った鮭をちびちびと箸でつっつきながら、大口を開けてご飯を放りこんだ。


いざ鎌倉、基、いざむかつくキザ男だ。


いつもよりもちょっぴり圧化粧なのは、顔色を見られたくないから。

真美にいつも言われる。

解り易い顔してるからね、と。

まさか、お面を付ける訳にいかないからな。


鏡に向かってアイライナーを引いている時にふと思った。

私ってこんなに睫毛短かったっけ? と。

まさかこんなとこで年を感じるとは思いもしなかった。

まじまじと鏡を見るのが急に怖くなり、アイライナーをポーチにしまった。


洋服は昨日から決めていた。こないだ買ったアイボリーのカットソー。

あいつの隣を歩くのを想像して買ってしまった代物。

少しだけ上品そうに見えるカットソーに袖を通すと、何だかちょっぴり胸が痛んだ。


いつもより少し気合の入った私の完成。

最後だから良いよね。

一人部屋で呟いてみた。


約束の時間まであと三十分という時に、廊下をバタバタと走る母さんの足音が聞こえた。

一瞬あいつの顔が過って携帯を見るも、着信は無し。

いつも着く間際にメールや電話が入るからあいつじゃないだろうと考え直してみたけれど。

数分後


「早く支度しなさいー。小川さん待ってるわよ」

と一際大きな声が階段下から響き渡ってきてぎょっとした。


ベットの上に放り投げてあった鞄をひったくるように手に取ると、返事をする前に階段を駆け降りた。


あんたって子は全く。

と母さんのばやきが聞こえたけれど、それはスルーして変わりに


「行ってきます」

と玄関に並んだブーツに足を突っ込んだ。

必要以上に爽やかな笑顔を母さんに向けているこいつの腕を引っ張って玄関を出た。

ちらっと見えた母さんの満足そうな顔。

偽物の婚約者の癖して、気に入られてどうするのよ。

訳が解らないとばかりに、無言で目の前に止めてあった車の助手席に乗り込んだ。


「朝から機嫌悪いね、梨乃は」

なんて呑気そうにエンジンを掛けるむかつく男。


「ご機嫌麗しゅう」

なんて、たっぷりの嫌味を込めてシートに沈んだ。

今日こいつと綺麗さっぱり契約の破棄をするんだから。

だけど、朝食の時の意気込みが窄んでしまったのは、梨乃と呼んだこいつの声とハンドルを握る長い指のせいだったのかもしれない。


勝手にラジオのボリュームをあげ、軽く目を瞑った。

ラジオから流れる心地よいピアノの音色に、少しだけ伝わる車の振動、そして、中々寝付けず、浅い眠りにしかつけなかった事が私を眠りに誘ってしまったみたい。

きっと短い時間だっただろうけれど驚く程、熟睡出来たような気がする。


「調子狂うな」


そんな呟きが聞こえて、顔を向けた。


「何処に行くって聞かないんだな」


静かで嫌味の無い声だった。


「起きてたのか?」

ふいに視線を投げられて、ばっちりと目が合った。

一瞬顔が強張ったように見えたのは気のせい?

直ぐに前を向いてしまったから良く解らなかったけれど。


「何処に行くって聞いても、教えない癖に」

窓の外を流れる景色を見ながらそっと呟いた。


「かもな」

そう一言あいつが言った後、また静かな車内に戻った。

今日は車の中の雰囲気が違う。

いつもだったら、嫌味な会話がポンポンと繰り広げられるのだから。


黙ったまま、着いたのはあの宝石店の近くにあるコインパーキングだった。

言うなら今かもしれない。

あの指輪を貰ってしまったら私はきっと勘違いをしてしまう。

嘘の恋人、嘘の婚約者。

何もかもがカモフラジューの関係のその先を願ってしまう。

それだけは避けなければ。


だけど緊張で喉が張り付いたようで、思ったように声が出ない。

緊張からだけじゃないかもしれない。

私はここで終止符を打つ事に迷いがあ……るんだ。


演技とは言え、私の家族に対して誠実であろうとする姿。

そして私を名を呼ぶ、あの声。

私が『もう止めよう』と言ったらそれが最後、もう二度と聞けないのだから。

だけど――。


ハンドルから離された長い指がエンジンキーに掛る。

小刻みに揺れていた振動が止まった今が、その時なんだ。


「ちょ、ちょっ――」

膝の上に置いた鞄の紐を両手で握りしめ、ありったけの勇気を絞って呼びかけたのに


「待たない。行くぞ」

私の声を遮って、ドアを開けたあいつ。

外気の冷たい風が車の中に吹き込んできた。


「行けない」

その言葉を言うのにどれ程苦しい思いをしているのか、こいつは解らないだろう。


それなのに、あいつは私の言葉も聞かず、車を降りてドアを閉めてしまった。

バタンと閉まるドアの音は私の心を遮断したかのよう。

一人残された私は、唇を噛みしめて涙が出そうになるのをグッと堪えた。










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