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何なのでしょうね

もう家まで数歩のところで、メールの着信音。


慣れた手つきで鞄の中をまさぐって携帯を手に取った。

送信者、真美。


「梨乃は臆病になっているかもだね。心配すんな、梨乃が良い女なのは私が一番良く知ってる。昼間はテンパってた見たいだから、何を言っても聞かないかなと思って、真面目に取り会わなくてごめん。でも梨乃にとってそんなに悪い話しじゃないような気がする。あくまでも気がするだけどね。梨乃には幸せになって貰いたいって思う。幸せになる女だよ、梨乃は。今度は昼休みじゃなくてゆっくり話し聞かせてね」


幸せになる女、か。

本当は今頃そうなってたはずなんだけどな。

そんな事思ったって――全て絵空事だ。


「ただいま」

就寝の早い両親はもう寝ているこの時間、誰の返事がなくともそう言ってしまうのは、幼い頃からの習慣だろう。返事を期待する事なく自室に続く階段に足を掛けると、廊下の先の台所から灯りがもれているのに気がついた。


姉貴かな? きっと果歩のミルク後なのだろう。上がりかけた足を降ろし、ひと声掛けようと灯りの元へ足を向けた。


「ただいま」

本日2度目の帰宅の挨拶をしながら、台所の戸を引くと


「お帰り。お疲れさん」

と零れんばかりの笑顔を向けてくれたのは、義兄である篤朗さんだった。思いがけない人物に遭遇してちょっと面食らう。


「兄さんこそ、御疲れさんです。てっきり姉貴かと思ってちょっと驚いた」

ヒトっ風呂浴びたのだろう、短く切り揃えられた髪は水気を帯びている。


「んっ。さっきまで麻衣もいたんだけど、お呼びが掛って部屋に戻ったとこ。まだ冷えてるから、風呂入ったら梨乃ちゃんも一緒にどう?」

そういって缶ビールを持ち上げた篤朗さん。

姉貴には勿体ないくらい良い旦那さんだ。


「ありがと、そうしようっかな」

じゃあ、と言って台所を後にした。


篤朗さんが買ってきたんだろうな。我が家ではもう久しくお目にかかっていない普通のビール。

この不況のあおりを受けたのか、父さんの舌が曖昧なのか、それともビール会社の企業努力なのか我が家の冷蔵庫を陣取っているのは専ら発泡酒なのだから。


冷えたビールをイッキ飲みする自分を想像して、行動の速かった事。

スーツを脱ぎながら、化粧落としのペーパーで顔を拭いて、ベットの上に朝脱いだままのパイル地の上下を小脇に抱え、クローゼットから下着を出すと脱衣場に繰り出した。


ちょっと温めのシャワーを全身に浴びながら、真美のメールを思いだした。


幸せになる女、かぁ。


男運が無いと思っていたけれど、本当にそうなのだろうか。

元の元の奴を置いておけば、それなりの彼だったような気もする。

特にあいつは……


上司の気配りだと、私のコーヒーに気がついた**は私を振った事以外は完璧に近かったのだから。

駄目だ駄目だ。私を捨てて、出世を取った男の事なんて思い出しちゃいけないんだっていうの。

そこでまたふと考えた。私を捨てて出世? 

今までの私は自分の側からそう見ていたけれど、もしかして、あいつは奥さんになった彼女の方が好きになってしまったと言う事だってありえるのかもしれない。

今更ながら自分の凄い思いこみに呆然だ。


石鹸が綺麗に流れ去っても尚、シャワーを浴び続けていることに気がついた。

随分とトリップしていたような気がする。

もう終わった事なんだから。振り返っちゃ駄目なのだから。

頭を大きく左右に振って、髪に滴った水気を吹き飛ばした。


目の前の鏡に写った自分の姿を直視するのは久し振り。

そんな自分に頑張れと言い聞かせバスルームとは言い難い昔ながらのタイル張りの風呂を後にした。


軽く化粧水を叩いて、髪にタオルを巻きあげると、さっきまでの思想を消し去るようにと両手で顔を叩いた。


先程と同じように台所に顔を出すと

「さっぱりした?」

と声を掛けてくれた篤朗さんに。

「さっぱりしました」

と。

すっぴんを晒せるのは羞恥心というものが欠如しているからなのだろうか。


食器戸棚からグラスを取ろうとした私に篤朗さんは、ちょっと待ってといって冷凍庫を開けた。

そこにはうっすらと霜のついたビールグラス。


「お疲れさん」

そう本日2度目のねぎらいの言葉を掛けて、ビールを注いでくれた。

本当に篤朗さんって姉貴には勿体ないって。


プハーっ。

ゴクリゴクリと乾ききった喉を潤すビールは格別だ。

なんていったって、缶の真ん中にエビスさんが鎮座しているのだから、尚の事。


「いつも思うけど梨乃ちゃん、麻衣にそっくり。流石姉妹だよな」

篤朗さんは笑いを堪える事なく肩を揺らす。


そんな姿を見て、あいつを思いだしてしまったのは何故なんだろう。

同じ肩を揺らすでも篤朗さんとは全く違うというのに。


「梨乃ちゃん、ここ凄い事になってる」

そう言って篤朗さんの人差し指は眉間を指してる訳でして――。


ハハハと乾いた笑いしか出てこない。

そんな誤魔化しきれない笑いは篤朗さんにとって都合が良かったみたいで、突然爆弾が降ってくる嵌めになった。


「それは、婚約者さんの事が関係あるのかな」

さっきと微塵も変わらない笑みなのに。

ある意味篤朗さんも曲者なのかも?


「婚約って何なのでしょうね」

突拍子もない私の言葉に、面食らった篤朗さん。


ほら、グラスが傾いたままですよ。

ぼんやりと心の中で突っ込んでいる私がいた。





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