迷った服と薄化粧
これか? こっちか? それともこれか?
洋服を迷うだなんて、久し振りの感覚だけどそれは決して相手を思っての事なんかじゃなくて。
クローゼットの扉についた鏡と睨めっこをしているのは事実なのだけど。
何かこう、納得いかない。
気合入りすぎって言われたくもないし、あんまり変な格好もどうかと思うし。
何でこんな事で悩まなくちゃいけないのよ。
かれこれ20分は迷っているんじゃないだろうか。
刻々と迫りつつある、指定時間。
髪も何とかしなくちゃだし、メイクだってしなくちゃだし。
これは奴の為なんかじゃなくて、最低限のみだしなみよ。
馬鹿みたいに自分に言い訳をしながら、並べられた洋服を眺めてみる。
「こういうのはさ、やっぱり一番初めに出した服が正解なのよね」
いつか、真美に言われた言葉が頭に浮かぶ。
お気に入りのその服は、一目惚れして買ってみたけれど、何となく似合わないような気がしてずっとクローゼットにしまってあったワンピース。
服なんてどれ着ても一緒よ、中身は私なのだから。
またもや、変な言い訳が浮かんできた。
洋服が決まったら、速効で髪をバレッタで止めて、薄化粧。
服は迷えどメイクは自然に。こんな時、気合入ってますと言わんがばかりのばっちりメイクなんて、それこそからかわれそうだから。
それにしても、今週末はゆっくりするはずだったのに。
壁い掛ったカレンダーを一睨み。
3連休だったのにな。
とんだ週末になったもんだ。
嫌だと思いつつも出掛ける準備をするのはマゾか馬鹿か――それとも嫌じゃないからなのか。
日焼け止めの上から、軽くファンデを叩き、淡い桃色のルージュを引いたら丁度、一時間経過するところだった。
鏡の中の自分にちょっと苦笑い。
手を抜きすぎじゃない? と。
最後にもう一度時計を確認。また『遅い』なんて言われたくないからね。
玄関でパンプスに足を入れると目に入った小さな靴。
雅也の靴だ。
忘れていったのかな。昨日から義兄の実家に顔を見せに行っている。
普段は静かなこの家がこの何週間、姉貴の里帰りによって一変した。
ちょこまかと走り回る雅也に元気に泣く果歩。
二人の音が日常となった今、姉貴一家のいない静かすぎるこの家が寂しいと感じたり。
『梨乃ちゃん大好き』と纏わりつく雅也が愛おしくて堪らないんだな。
おっとやばい時間だ。思わずトリップしてしまった。
「行ってきます」
小さな声だけど一応言ったから。
奴と母を会わせたらまた何を言われるか分からない。
声同様、静かに玄関を引き開けた。
こんな事なら何処かで待ち合わせをすれば良かったかも。
と思ったの束の間。
約束の一時間きっかりに、私の目の前に車が止まった。
「おはよう」
嫌みな笑顔を引っ提げてむかつく男が顔を出した。
「おはよう」
嫌みに後部座席に乗ってやろうと思ったけど残念な事にこの車は2シーター。
ドアは運転席と助手席にしかなかったときた。
仕方なく助手席に回ると、少々重たくなったお尻をドスンとシートに埋めた。
「気分はどう?」
ハンドルに手を置き前を向いたままの言葉は嫌みなのだろうか?
記憶が飛ぶほど飲んだのだからすっきりっていうのじゃないと解っていそうなものだけど。
取り敢えず、送ってくれたのは感謝なのだからお礼は言っとくべきか?
「お陰さまで」
そこまで言って考えた。昨日はこいつに付いて行ったばっかりにこんな目にあったのだから、私のせいだけではないはずだ。うん、きっとそう。
感謝の言葉をそこそこに、疑問をぶつけてみる。
「それで、今日は何処へお出掛けですか?」
指輪の事を忘れた訳じゃないけど、そこまで私にお金を使う義理はないだろう。
私が酒に酔った勢いで言った冗談と言えば済む話なのだから。
「ああ、東京」
ああ東京って。ここも東京じゃないのかい? それに私が聞きたいのは場所じゃないっていうの。
指輪を買いに行くって言えば直ぐにでも否定出来るっていうのに、こいつ、のらりくらりとかわしてくし。
何が着くまでのお楽しみだったっていうの。
軽いため息をつきながら、窓を開け、新鮮な空気をいっぱいに吸い込んで気分転換をはかるしかなった。
と、ここで肝心な事を聞きはぐれていた事を思い出した。
何だか動転して聞きそびれたっていうか、気がつかなかった私が悪いのだけど……。
ここで聞かなきゃ何処で聞くとばかりに私は声をあげた。
「正直に言う。自分で信じられないんだけど、昨日の途中から私の記憶が全くないの」
「だろうな」
だろうなって。その馬鹿にしてそうな物言いにちょっと腹が立つけど事実だから仕方ないかもしれない。
「恋人の真似ごとをするっていうのは覚えているのよ。でも何で婚約者になってるの? 昨日母さんに結婚を前提にお付き合いしてますって言ったんだって? 意味不明だし」
言ってる自分が恥ずかしかった。そりゃ実のところいた事はいたわよ、結婚をほのめかされた相手は。だけど、そんなストレートに親に向かって挨拶する奴なんていなかったから。
本当の恋人だったら嬉しかっただろうその言葉を偽物の恋人に言われるってみじめじゃない?
さっきは間髪入れずに返ってきた返事が、中々やってこなかった。
窓の外を見ていた私は不審に思って奴に目を向けると――。
ハンドルを抱えながら、笑いを堪えている姿がそこにあった。
「な、何がおかしいのよ」
これが運転中じゃなかったら、後頭部を一発ひっぱたいていたかもしれない。
「記憶がないみたいだったから、いつ突っ込まれるかと思ってたけど。今かよ。お前遅すぎだって」
そう確かに、さっき電話に出た時さらりと流してしまったのだ。
『仮にも婚約者』って言葉に。
というか、自分も『仮にも』だなんだって普通に返してたような……
私って馬鹿なのかもしれない。
こいつしか知らない私の空白の時間ってどんなだったのだろう。
背中がゾクゾクっとして変な汗が一筋流れた。