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冷酒と奴と

「ここ?」


「ああ、ここ」


連れてこられたのは、看板も何もないただ紺色の暖簾がかかった民家みたいな場所。

半ば引きずられるようにタクシーに乗り込んだ私達がついた場所は、私も見慣れた実家の最寄り駅近くでして。

裏路地から一本入ったこの場所はひっそりしていて、こんなところに店があったなんて今まで知らなかった。


「いらっしゃい」

落ち着いた品の良い声に顔をあげると、これまた上品な着物を召した女性で。

私はおずおずとお辞儀をすると、先に奥へ行った奴の後を追いかけた。

外観からは想像付かなかったけど、店の中は結構広いみたい。

なんていうか、居酒屋と料亭の中間みたいな感じ?

自分の家からそんな遠くないところにこんな素敵なお店があったなんて、ちょっと感動。


通されたのは、中庭が見えるお座敷。

床の間に飾られた一輪の桔梗が、また素敵だった。


「二十歳の祝いに伯父さんに連れてきて貰ったのが初めだったかな」


それは私に言ったのか、独り言だったのか。

返事はしなかったけど、小川先生のいきつけなんだなんて思ったり。


ここでも、目の前のこいつは私の意見は聞かないみたい。

お勧めだという料理とお酒を一人で注文しているし。

私にはメニューを見るだけですか?


「取り敢えず、こんなとこかな?」

なんて。


「本当に、自己中なんだから」

心の中で呟いたつもりだったけど、どうやら私はまたやってしまたらしい。


「お前ってさ、変な奴」

って肩を揺らし始めた。


「あ、あんたに言われたくないわよ」


微妙な空気が流れいる二人に救いの料理が運ばれてきた。

遠慮なんかせずに、箸を進めると確かに美味しい。

お通しは、切干大根の煮物。

味がしっかりしつつも優しい味。

何処か懐かしい、そうおばあちゃんの味付けに似ている気がした。


目の前にいるのが、冷酒のグラスを掲げるこいつってのがちょっと癪だけど。癪っていうのは少し違うのか? 黙って言れば、やっぱり目を引くんだよね。

勝手に頼まれた奴と同じ冷酒も呑んでみた。

悔しいくらいに、私の好みだった。


冷酒の口当たりが良すぎて、負けじとグラスを交わす私。

ぽやんとしてきたなと自覚したのは、何品目かの白身の大きなお魚を箸が上手に使えない、という失態をおかした為。

いつもはもっと綺麗に箸使えるんだから――

なんて子どもみたいな言い訳までするしまつ。


そして私の記憶はぷっつり途切れた。







気がついた時は見慣れた天井が目に入った時。

少しだけ、ぼわんとする頭をかきむしり階段を下りると冷蔵庫から冷えた麦茶をグラスに注いだ。


不気味な視線を感じて恐る恐る振り向くと、これまた気持ちの悪い笑みを浮かべた母の姿。

思いだし笑いですか? またもや変な笑みを浮かべて……


そういや、私どうやって帰ってきたのだろうか。

記憶を呼び起こしてみようと試みるけど、全く何も浮かんでこず。

何十年と行き来する我が家だからきっと帰巣本能が働いたのだろう、そう思いこむ事にした、その時。


「さすが、小川先生の甥っ子さんね。母さん嬉しい」


背筋も凍る一言が聞こえてしまった。


「さすがって?」

私の声ならぬ、蚊の鳴くような小さな声。

その声は紛れもなく不安からくるものでして。


「あんた、昨日凄かったのよ。酔っぱらって『むかつくー』って母さん凄く恥ずかしかったけど、小川さんね。気を許して貰っている証拠ですからって」


あいた口が塞がらない。何処をどうすれば気を許すって……そして更に追討ちをかける母の言葉。


「それがね、玄関入った途端に崩れ落ちちゃってね。下の和室に運ぶつもりだったのだけど、芳人さん「部屋にお連れしますって、あんたの事、こうやって軽々とお姫様だっこよ」


母は身ぶり手ぶりでその様子まで再現してくれた。

って事は私の部屋に入ったって事よね? 

思わずスルーしそうになったけど、母さん、今さりげなく奴の名前を呼ばなかった?


目の前が真っ暗になった。それは決して二日酔いのせいなんてなくて。

思いっきり勘違いしている母親、益々頭が痛くなる。


嘘っぱちの婚約者だってばらした方が正解?

かろうじて働く頭をゆすって考えてみる。


今にでも何か言いたそうな母親の視線から逃げるように背を向けると、家の電話が鳴り響いた。

助かったと思ったのは束の間。

電話に出た母は、これでもかと言うほどの大きな声で


「昨日は大変お世話になりました。今さっき起きてきたんですよ」


間違いない、奴からの電話だった。



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