メモリィ①
第4章 メモリィ
遠い記憶。
―旧暦1987年秋―
僕の見る世界は灰色だった、色が無かった。
あの日、両親が死んだ日から。
僕は日系アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた。
両親が亡くなり、僕は母方の遠い親戚に引き取られる事になった。
初めての日本。
僕らを乗せたタクシーは灰色のイチョウ並木をぬける。
その街は坂の多い港町だった。親戚の家は海の見える丘の上にあった。
「明くん。今日からここが君の家だ」
ドアが開き、僕と同じ年頃の少女が顔を出す。ぱっつん前髪にスカート。
「パパ。おかえりなさ・・」
僕に気付いた少女は恥ずかしがり、母親の後ろに隠れる。
「麻美子。明くんよ。あなたと同い年。これから一緒に暮らすの。ごあいさつして」
少女はもじもじしながら、右手を出す。
「こんにちは。榊麻美子です。6歳です。よろしく」にっこりと笑う。前歯が抜けている。
僕は驚いた。彼女には色があった。灰色の世界の中で彼女だけ色があった。
僕は無言でその手を掴む。握手。
「行こ」
麻美子は僕を引っ張って、部屋の中へ。
「大人しい子ね」麻美子の母は夫の上着を受け取りながら言う。
「目の前で両親が殺されたんだ。無理もない」
僕たちはすぐに仲良くなった。本当の兄妹(いや姉弟かな?)のように。
家にはもう一人、祖父が離れに住んでいた。
チャンネル戦争に敗れた僕は、よく祖父のテレビで“仮面ダイバー”を観た。幼稚園の友達との話題に必要だったし、裏番組の“魔法のメリーちゃん“は観たくなかったし。(ビデオデッキはあったが遠慮していた)
「明はもっと強くなりたいか?」
「じじちゃん。言っとくけどジャンケンに負けただけだからな。・・でも強くはなりたい」
「そうか。なら・・」
祖父は僕に剣道を教えてくれた。(祖母は既に亡くなっていた。)
「動体視力がすごいな。筋もいい」真偽は不明だが。
祖父は剣道の師範級の腕前でかなりしごかれた。
強くなりたかった。
僕が強ければ両親は死なずにすんだかもしれない。そういう思いがあった。
―1988年春―
僕と麻美子は小学校に入学した。
桜の木の下、ピカピカのランドセルを背負い記念写真を撮る。
友達もできた。百人もいないけど。
次第に麻美子だけでなく、周りに世界に色が戻っていった。
それでも時々寂しくなる。そんな時、僕は屋根に上って星を眺めた。
潮風が心地よい。遠くに街の灯りと灯台の光。頭上には満天の星。
星を眺めていると、ちっぽけな事などどうでもよくなる。
―1990年冬―
大人達は僕の境遇を知ると口々に「かわいそう」と言った。
僕自身はそんなに自分が不幸だとは思わなかった。
両親が死んだのは確かに不幸だ。でも今の生活に不満はなく幸せだった。
義理の父母は優しくそして厳しかった。実の子の様に僕に接してくれた。
誕生日に変身ベルトは買ってもらえなかったが、麻美子もDXメリーちゃんハウスを買ってもらっておらず、贔屓ではない。
その夜。僕は屋根の上で星を眺めていた。
「父さん。母さん。僕は元気だよ。・・僕だけ幸せになっていいのかな?」
「へえ。結構星見えるんだ」麻美子が上がって来た。
「ダメだよ。危ないから」
「平気・・泣いてたの?」涙を見られた。「ごめん」
下りようとする麻美子を呼び止める。「ここにいて」
ふたりで見た星空は美しかった。海からの風が雲を吹き飛ばしていて、少し寒い。
「あの星の光は何年も前の光なんだ。例えば、えーと・・あの明るい星がシリウス。8光年、8年前の光だ」
「あっちの星の方が明るい」
「あれは木星。恒星じゃなくて惑星だよ。あ惑星って言うのは・・・」
「星が好きなんだね」
「宇宙飛行士になりたい。行きたいんだ。星の世界へ」
「私も行く」
次の日ふたりとも風邪をひいた。
―1993年夏―
「お前は不幸なのか幸せなのか、分からん。だって榊麻美子と一つ屋根の下にいるんだぜ」
そう友達の辻に言われた。同じ部屋で二段ベッドの上下に寝ている事は言えなかった。
小学生も高学年になれば、異性の事が気になるものらしい。でも僕の興味は相変わらず“星”だった。
「風呂とか覗かないのか?」
「バカ言うな。そんなクズみたいなまね、出来るか!」
―1994年春―
僕と麻美子は中学生になった。
中学に入る前にそれぞれの部屋をもらった。大きくなったからというより、僕のいびきで悩む麻美子のたっての希望だったらしい。
ブカブカな学生服を着て、桜並木の下を登校する。
「明くん、サッカー部入ったんだ。剣道やめちゃうの?」
祖父はすでに亡くなっていた。でも素振りは続けていた。
「部が無いんだもん。それに背が伸びないのは頭叩かれてるせいだ」
麻美子の方が少し背が高い。
「そうかな?サッカーって足短くなるって言うよ」 (個人の意見です)
「ええっ?」
―1995年秋―
勉強は中の下だけどスポーツ万能、ルックスもまあまあだし。「モテるかもしれない」という僕の秘かな期待は外れ、僕の周りは野郎ばかりだった。
特に親しかったのは同じサッカー部の田中、小学校からの友人・辻と下田。
麻美子とはずっと別のクラスだった。彼女も特定な彼氏はおらず、女子の友人ばかりだったが、男子に人気があった。
僕と麻美子が同棲してるとからかわれた。そいつら(上級生もいた)は僕が一緒に住んでいるのが妬ましかったのだろう。
“いじめ“は毎日続いた。執拗に。陰湿に。
ある日、そいつらは僕の両親を侮辱するような事を言った。
「明!やめろ!」
辻の制止を振り切り、僕はそいつらに殴り掛かった。
・・十人以上を倒した。
辻は僕を弁護してくれたが、僕は一週間の停学になった。
いじめは無くなったが、“不良“のレッテルを貼られた。
ぴしゃり。
義母は僕の頬を叩いた後、何も言わずに抱きしめた。肩が震えていた。
「お前を信じる。家族を信じるのは当たり前だ。でも手を出したお前の負けだ」
義父はそう言っただけだった。
麻美子は何も言わずに、僕の頭をなでた。
三人共判ってくれた。この人たちの家族でよかった。僕は、三人の前で泣いた。
―1996年夏―
「フロンティア号発進!」
僕は自転車をこぎ出す。三輪車以来僕の愛車の名前だ。将来バイクや自動車を手に入れてもこの名前を付けるだろう。
「まって~明くん。あたしも乗せて」
暴力事件以来、妙に麻美子を意識するようになってしまった。当の本人は何も気に留めず自転車の後席に座る。ゆるい上り坂。
「お前、太った?」
「たたくよ」
坂を上り切ると後は下りだ。
「・・地区大会、残念だったね」
「・・・」
僕は2年生からサッカー部レギュラー(MF)、つい先日の地区大会準々決勝、終了間際の敵味方バテバテの中、僕はドリブルでシュートを決めた。負けたが満足だ。やめないでよかった。サッカーは団体競技の難しさと楽しさを教えてくれた。
自転車は下り坂をゆっくりと下って行く。坂の向こうに海がキラキラ光っている。
「今度海行こう」
「うん」
麻美子は僕の腹に腕をまわし、ぴったりとくっつく。その胸の感触で僕は頬を赤らめる。
いつも隣にいた幼なじみが女の子だって気付いた。それも大切な・・・
―1997年冬―
僕は麻美子の部屋の前にいた。
「(この扉の向こうに麻美子がいる)」
そう思うと眠れない日もあったが、夜這いはかけなかった。義父母を裏切る訳にはいかない。もちろん麻美子も。
突然扉が開いた。
「明くん。どうしたの?」
「なあ。ここ教えてくれよ」
アドリブではない。本当に勉強を教えてもらおうとしていたのだ。受験生だし。
実はサッカーの有名校から推薦を受けていたが、プロになりたい訳でもないし、僕には行きたい高校があった。不純な動機だが、麻美子と同じ学校。
「いいけど。私も英語で聞きたい所があるから後で教えて」
アメリカで生まれた僕は英語と好きな天文学(物理はダメ)だけは出来た。
「えーと、ここは・・」
ふたりの顔が近づく。
僕は麻美子に見とれていた。澄んだ瞳。小さな唇が動く。ころころ表情が変わる。
「何?」
「何でもない。もう一回たのむ」
「ちゃんと聞いてる?」
春、僕らは同じ高校に合格した。