二人のトラウマ
ファーレとフィール、そしてその契約者であるミリーナの旅は、最後の時以外は基本的に順調だった。ミリーナの旅の目的は数多くの魔物を倒し、人々を救うことであり、その目的はただ外の世界を冒険したかったファーレ達にも受け入れられた。ミリーナの天真爛漫な性格もあって三人の仲は良く、また大きなトラブルもなかったため、三人共にとって楽しい旅であったことに間違いは無い。実力も確かであり、魔物に負けるようなことも無かった。
過保護に育てられたミリーナは、悪人や悪意と言うものを知らなかった。人はおしなべて善人だと信じていた。普通なら周囲の庇護を捨て、見知らぬ土地を訪れた時点でそれがまやかしであることに気付くだろう。しかし彼女は、幸か不幸か半年間はその幻想を保ち続ける事が出来た。それほどに半年間の旅は順風満帆であり、まるで運命の神にでも守られているかのようだった。
もちろん単に運が良かっただけではなく、旅が順調だった理由は幾つかある。まず、ミリーナの目的は金儲けではなかったため、ギルドに登録していなかった。収入は魔物から得られる魔石や素材を売るだけだったが、かなりの金額を自分で持ってきていたため、足りない分はそれで補っていた。そのため金銭トラブルは発生せず、依頼の取り合いで揉めるようなことも無かった。
また、彼女達は魔物の多い場所を中心に活動していたので盗賊の類いにも遭遇せず、冒険者が多くいる場所も避けたので彼等とトラブルになることも無かった。地元の人々にとっても、依頼をしなくても勝手に魔物を狩ってくれて、宿や市場での金払いも良い彼女はありがたい存在であり、歓迎された。
そんな理由はあったものの、彼女達はやはり恵まれていただろう。大金を持ち、見目が良いミリーナが誰にも絡まれなかったのは運が良いとしか言いようがない。しかしそんな幸運は長続きせず、運命の神に手のひらを返されたかのような不幸な出来事が彼等に襲いかかる事になる。
それはミリーナがファーレとフィールの二人を旅の仲間に加えてちょうど半年程たったときだった。彼等はとある街の貴族に、古い砦に住み着いたゴブリンを退治して欲しいと依頼された。この頃にはミリーナ達三人は腕利きだと評判になっており、それが貴族の耳にも入ったのだ。ギルドに登録していないミリーナ達だが、頼みとあれば断れないと意気揚々と砦に向かった。ゴブリンと言えば弱いイメージがあるかもしれないが、集団で出てくると中々に危険であり、その割に得られる素材は少ない。そのため積極的に狩りたがる冒険者も少なく、ミリーナ達が代わりにゴブリン狩りをすることは結構多かったのだ。
依頼された砦に着くと、彼等はさっそく中の探索を始めた。このとき彼等は決して油断していたわけではない。むしろ油断大敵とばかりにしっかりと周囲を警戒していた。しかしそれは、あくまでゴブリンに対する物でしかなかった。そしてその砦に潜んでいたのはゴブリンではなく人間で、それも盗賊だった。
砦に入った彼等を最初に襲ったのは落とし穴だった。ゴブリンには罠を作る知恵は無いため、警戒していなかった彼等は簡単に嵌まってしまった。
その次には矢と魔法が大量に降ってきた。ファーレとフィールの二人はそれらをもろにくらってしまった。精霊は不死身であるが、体を一定以上に欠損してしまうと魔素に戻ってしまい、暫くは契約者の魔力の中から出られなくなる。矢と魔法の集中砲火を浴びた二人は数時間は復活出来ない状態となって強制的にミリーナの魔力の中に戻された。
残されたミリーナもなすすべなく、衝撃の魔法で昏倒させられた。落とし穴という古典的ながら強力な罠で、彼等は一瞬にして盗賊達の手に落ちてしまったのだ。
ミリーナは若く、見目麗しい少女だった。そんな彼女が盗賊に捕まったらどうなるか、それは火を見るより明らかだ。すぐにゴブリンやオークに捕まるのと、大差無い運命を辿ることになる。
目をさましたミリーナの目に入ったのは、今まで見たこともない邪悪な笑みを浮かべた男達の姿と、服を剥ぎ取られた自分の体。そして身動き出来ないように縛り付けられた腕。訳の分からない自身の状況に戸惑う彼女を、男達は下卑た視線を向けて笑った。その後すぐに、彼女は生まれて初めての悪意を、悪人を、その体で無理矢理に体験させられる事になる。
契約精霊は契約者の魔力の中にいるときでも、契約者の目と耳を通して周囲の状況を知ることが出来る。フィールもファーレも、自身の契約者が陥った最悪の状況を、これ以上無いほど間近で見ていた。出来ることならすぐに飛び出して盗賊達を叩きのめしてやりたかった。だが、そう思っても欠けた体がそれを許さず、ただ見ている事しか出来ない。動けない事が歯痒くて、目を覆うことすら出来なくて、あっさり倒された自分達が、腹立たしくて仕方なかった。
しかし、いざコトが始まるとこの二人もそんなことを思っていられなくなった。精霊契約は魂を繋ぐ契約。そのために強い感情を伝える事がある。半年間の契約で初めてミリーナから伝わった感情の波が、二人を襲った。
それは恐怖、困惑、屈辱、絶望、その他ありとあらゆる負の感情の奔流だった。混沌として、黒々としたソレは、凄まじい勢いと圧力でもって二人の心を蹂躙した。
ミリーナはそれまで、美しいものしか知らなかった。そんな彼女には、盗賊達の暴挙は耐えられなかった。純粋な心は、それ故に壊れやすかった。
二人の精霊には彼女の死んでゆく感情が、壊れていく心が、ダイレクトに伝わってきた。それはまるで、自分の心が壊れていくようでーーーー
「ーーーーで、気が付いたら僕も姉ちゃんも精霊境にもどってきてた。伝わってくる感情に耐えられなくて、契約を切って逃げ帰っちゃったんだよ。……僕達よりずっと苦しんでいるミリーナを見捨ててね」
話は以上だよ、とファーレは言葉を切った。どうやらまたしても盗賊が関わっていたらしい。本当にろくでもない奴らである。レイナを連れてこなくて正解だったかもしれない。
「あのときミリーナを見捨てて契約を切ったことはまだ後悔してるよ。だけどもし今、全く同じ状況に陥ったとしても、僕は逃げずに居られる自信はない。言い訳するつもりは無いけど、あのとき伝わってきたミリーナの感情は、言葉では言い表せない程におぞましかった。今でも思い出すたびに感情が乱れるし、心が痛むよ」
ファーレは自身の胸を押さえ、その痛みを堪えるように、言葉を紡いでいく。そんな彼の様子を心配そうに見ながら、ルシアが確認のために口を開いた。
「ええと、その、じゃあファーレ君達のトラウマってのは契約者だったミリーナさんが盗賊に捕まったことと、その時のミリーナさんの感情が契約を通して伝わってきたことなんですね?」
ルシアはそうまとめたが、この話の一番恐ろしい所はそこではない。ファーレは何度もミリーナの純粋さを強調していた。つまりそう言うことだろう。
「それに付け加えて逃げ出してしまったことも、だけどね。しかしまあ、何が一番の要因かって訊かれたら、それはあのとき伝わってきた感情だよ。恐ろしいことにさ、ミリーナは最後のときまですっと、人は良いことしかしないって幻想を保ち続けてたんだ。本当、神様ってのは酷いよね。どういうわけか僕達は、旅をしてる間は全く悪い事をしている人間に会わなかった。もし街中で絡まれていれば、もしケンカを目撃していれば、もし誰かの悪口が耳に入っていれば、それだけで彼女の信じていた世界は粉々に砕け散った筈だ。それなのに何故かあの盗賊に会うまでは、そんな状況に遭遇しなかった」
聞いた話、彼等の旅は街に入って人に会うよりも、森で魔物を狩る期間の方が長かったようだ。活動していたのも、治安が比較的良好な地域だった。
しかしそれでも、半年もの間全くそう言う物に会わなかったのは偶然と言う他ない。普通なら相当な幸運なのかもしれないが、この場合は不幸だろう。この偶然のせいで、ミリーナは自身の幻想を保ち続けることが出来てしまった。
「悪意を知らないってことは当然それに対する耐性なんて無いよ。ずっと綺麗な世界だけを見て生きてきて、初めて見る『悪』があの盗賊達ってのは、いくらなんでも極端だよな。そんなのに耐えきれる筈もなく、彼女はあっさり壊れたよ。そして彼女が壊れていく感覚が、そのまま僕達に伝わってきたんだ」
ぶるり、とファーレは身を震わせた。フィールもその事を思い出してしまったのか青い顔をしてうつむいている。
「それで気が付いたら契約を切ってしまっていた。僕達は精霊境に戻されて、ミリーナがどうなったのかも分からない。僕達が逃げなければ、まだ助かる可能性もあったのにな。……本当、情け無いよね?」
自嘲するように顔に手をやったファーレを、ルシアが慌てて慰めようとする。
「そ、そんなことがあったなら仕方無いですよ。私がその立場でも、耐えられなかったと思います」
「でも、危機に陥った契約者を見捨てて逃げたのは事実よ。おそらく、壊れかけのミリーナにとっては追い打ちになったでしょうね」
ここまで沈黙を守っていたフィールが、弟と全く同じ表情で返した。重くなる空気に危険を感じた俺は、言葉に詰まったルシアに加勢する。
「だけど、ファーレが言ったように、耐えられないような物だったんだろ?なら、俺達がそれを非難することは出来ないよ。心が壊れていく感覚とか、俺には想像することすら不可能だ。そんな恐ろしいこと、誰だって逃げたことを非難出来ないと思う」
ミリーナ本人以外では、だけど。しかし彼女は、生きているかどうかすら分からない。
「……そうだね。今はこの話をするべきずゃないな」
そこでファーレは首を振って話を変えた。じっと俺の顔を見て、真剣な表情で口を開いく。
「僕も姉ちゃんも、もう一度外へ行きたいとは強く思ってるよ。だけどミリーナのときの二の舞になるのが何より怖いんだ。だからこそ、少しでも強い冒険者と契約がしたかった」
「俺なら大丈夫だよ。盗賊なんかには負けやしないさ」
「……ミリーナも強かったよ。だけど、罠に嵌められて簡単に捕まった。どんなに強くても、不慮の事態ってのは起こってしまうもんだろ?」
「それは……」
タイムリープの能力を持つ俺には起こらない。否、起こっても無かったことに出来る。だからこそ、彼等は俺と契約すべきだと思ったのだ。契約しないと能力のことを教えられないのがなんとも歯痒い。
「あー、まあ、取り敢えず話してくれてありがとうな。お前らが引き摺ってるもんは良くわかったよ」
「私が思ってた以上に、大変だったんですね。、二人共」
「僕も少し気分が晴れたような気がするよ。……しかしこの後どうしようか」
ファーレが周りを見て言った。確かに、今はとてもじゃないが契約が成功しそうな雰囲気ではない。再挑戦するにしても、少しは時間をおいた方が良いだろう。
俺は少し考えてから提案した。
「今頃はレイナが精霊契約の交渉をしてると思うんだよな。時間があるなら少し様子を見に行ってみないか?」
「ああ、良いね。そうしよっか」
「そうね、あたしも賛成!」
「なら私も……あ、どうしようかな」
ファーレとフィールはすぐに賛成してくれたが、意外なことにルシアが微妙な顔をしている。彼女なら絶対ついてくると思ってたんだが。
「ん?ルシアは何か予定とかあるのか?」
「あー、いや、まだ時間はあるんですけどね。後で知り合いと会う約束をしてるんですよ。割とせっかちな人ですから、ちょっと早めに行っといた方が良いかな~って思って」
「ああ、そう言えばリネッタが帰って来てるんだっけか」
思い出した、とファーレがポンと手を打った。




