005話 誰か助けて…
『女の嫉妬は恐ろしい』
とは昔からよく言われる言葉だけど、これが自分と、その家族に降り掛かるとシャレにならない。
父が亡くなった。
幼児の僕には詳しい事情はわからないが、どうも父は遠方に出かけていて亡くなったようだ。
父と一緒に出かけた家来の人達が父の亡き骸を運んで帰ってきたようだ。
そして、しめやかに葬儀は行われたらしい。
「らしい」というのは僕達母子は、父のお葬式に参列する事を許されなかったからだ。
奥方様の命令だったらしい。
家令さんを始めとして他の使用人さん達も、僕達母子もせめて葬儀に参列できるようにと奥方様に懇願してくれたらしいが、とうとう奥方様は許さなかったらしい。
葬儀の間、僕達母子は館の部屋で大人しくしていた。母様は喪服を着て悲しみくれ泣きながら僕を抱きしめていた。僕はその胸に縋り付いていただけだ。
「あぁあぁなぁはぁひゃひぃで」(ママ泣かないで)
「大丈夫、大丈夫よ、坊や。さぁお寝んねしましょうね」
あぁ、まだよく喋れない自分が不甲斐無い。抱きしめられるばかりのこの小さな体が恨めしい。僕には母様を慰める事すらできない。何もできない。精神年齢は大人だけに余計に堪える。あぁ心が痛い。涙が出そうだ。
父が亡くなった事も悲しい。憑依(?)のような形で赤ん坊と同化したため、「実の父」という実感は無かったが、それでも「養父」のようには感じていたため、「父」とは思っていた。毎日会っていたわけではないけれど、それでも会う時はいつも僕を笑顔で抱き上げて可愛がってくれたのだ。親愛の情も湧く。それが、こんなにも早くお別れする事になるとは悲しすぎる、寂しすぎる。
僕達母子が参列できない父の葬儀が済み、誰も墓地にいなくなった夕刻、僕は母様に抱かれて、たった2人で父のお墓に行った。夕日が沈んでいく寂しすぎる墓地で、僕達母子は父のお墓にお別れを言い、花を手向け……泣いた。
それにしても「らしい」とか「ようだ」という話ばかりで自分でも嫌になる。だけど、こればかりは仕方がない。僕はまだ小さく、よく喋れない幼児の身。しかも、たまに散歩にお外に出るくらいで、殆ど部屋から出ないのだ。母様と使用人との会話から諸々の出来事を知るしかできない。もどかしい。あまりにももどかしい。一日も早く大きくなりたい。
父の葬儀から暫くしたある日、まぁ昨日の事なのだけど、馬(?)に乗った数人の人が館にみえられた。僕が母様に抱っこされ部屋の窓からお外をみていた時、その人達が館を訪れたのを偶然見かけたのだ。その人達の格好は亡くなった父の生前と同じような服装をしており、剣も腰に佩いているようだ。一人は旗を持っている。風があり旗のはためく角度が悪く、旗のデザインは見れ無かった。残念。
昨日の夜は、そのお客を歓迎しての宴会があったらしい。でも僕達母子は相変わらず部屋にいたので、その様子は分からない。このお客様は、一泊し今日の昼には帰っていったようだ。
そして、その後、すぐに家令さんが僕達、母子の部屋にやって来て、母様に色々と話してくれた。
僕は母様の膝の上で大人しくいい子にしている。
お客様は、ここら一帯を含む地域を管轄し統治する地方長官のビュイス子爵様の代理だったそうだ。
亡くなった父の弔問と、士爵家の継承についての通知と確認に来たそうだ。
士爵家。そう父は士爵だった! 父の名前もわかった。その名はオディル・ファン・ファベール士爵。
そして父の跡を継ぐのは長男であり、僕の兄であるフィルマン・ファン・ファベールだ。
「ファン」ってオランダ風だね。確かオランダの場合、必ずしもファンが付くからって貴族とは限らなかった筈だけど、この世界ではどうなのかな? それにしてもこの世界に来て1年以上経ってようやく父と兄の名前がわかったよ。ヤレヤレ。
それはともかく、どうやら小貴族の場合は、自分が貴族家の当主になった時、「ソウゾクネガイショ」(相続願い書)という物を二通書くそうだ。正確には家名も書くらしいから、うちなら「ファベールシシャクケ、ソウゾクネガイショ」(ファベール士爵家相続願い書)になるのだろう。これは自分が死んだ場合、誰が次の当主になるかを書いておく遺言書だそうだ。子供がいる場合は慣習により長男の名が書かれるのが普通らしい。
小貴族のその「相続願い書」は、ニ通とも自分の領地を管轄する立場にいる地方長官や大貴族に提出され、一通はその地方長官や大貴族がそのまま預かり、もう一通は地方長官や大貴族が定例の王宮参内をした時に王宮に提出してくれる決まりなのだとか。地方長官や大貴族は年に何回か王宮に行く事が定められているので、そのついでらしい。
そして、小貴族の当主が亡くなった時、連絡を受けた地方長官や大貴族が預かる「相続願い書」が開封されて、誰が跡を継ぐか確認されるそうだ。それで使者が亡くなった小貴族の家を訪れ身内に相続者を通知し、無事、継承される事を確認するのだとか。その後は地方長官、大貴族から王宮に継承確認が連絡され、王宮で預かる「相続願い書」が開封されて、書かれている名が連絡通りの者か確認され、お家相続の手続きが行われるのだそうだ。
ちなみに大貴族の場合は「相続願い書」を一通、王宮に提出しているだけらしい。
そして小貴族で新たに当主となった者は、その後、折を見て地方長官や大貴族が定例の王宮参内をしに行く時、一緒に連れて行ってもらい、王に紹介され、そこで改めて忠誠を誓うのだそうだ。
王都から遠い地にいる小貴族は、王都に行くまで何日もかかるため、当然の事ながら領地を空ける日数も多くなり、旅の費用もかかるため、領地の支配に差し障りが出る恐れや、金銭の負担がかかり過ぎる恐れがあるため、できるだけ王都に来ないでも大丈夫なように配慮されているらしい。そのため王宮に代わり地方長官や大貴族が小貴族の面倒を見ているという事のようだ。
こうした制度によって、スムーズにお家継承が成されるように、お家騒動みたいな事ができるだけ発生しないようにしているらしい。つまり、地方長官とか大貴族が前当主の遺言を預かり、新当主の後見人になるような形なのだから、よほどの事が無い限りは、正面から新当主に異議を唱え反旗を翻そうという者は現れないとの事だ。それに、大抵は長男が家を継ぐのが普通で「相続願い書」に書かれる後継者も殆どが長男であり、後継者を生前に家臣の前ではっきりとさせておく当主も多いから、「相続願い書」について使者が来る場合は、単なる確認という意味合いがかなり強いらしい。それでもたまには後継者争いが起こるらしいけれど。そういう場合は使者が来る前にお家騒動になっているという話だ。
ちなみに「相続願い書」に書かれる継承者の名前は、当主の事情によって何度も書き換えられる事があるそうだ。当主を継いだ時、自分に子供がいなければ、慣例的に兄弟の名を書き、その後、自分に子供ができたら、その子の名に書き改めた物を提出し、前の「相続願い書」は破棄してもらうらしい。
今回のファベール士爵家の場合、当主の父が亡くなったので、この地を管轄する地方長官のビュイス子爵様が、生前の父から預かっていたファベール士爵家の「相続願い書」を開封し、後継者が長男フィルマンであると確認され、それをうちに知らせてきたとの事だ。
ただ、僕の兄フィルマンは未だ成人前なので仮相続となり、成人するまでの間は、奥方様が士爵家当主代理を務めるそうだ。継承者が未成年の場合は、成人するまで、その母や親族が当主代理になるのが決まりらしい。今回の訪問には、奥方様が当主代理を務められるかどうかの確認でもあったようだ。無理ならば縁戚の誰かが、当主代理にならなければならなかったようだが、今回は問題無かったそうだ。
こうした制度の事を聞くと、なんだか江戸時代の大名の「仮養子願」制度を思い出す。まだ、嫡子など跡継ぎのいない大名は、参勤交代で国許へ帰る前に、もし自分が国許で亡くなった場合に誰を次の藩主にするか、前もって決めておき、それを書状(仮養子願)にして、幕府の老中に預けてから、国許に帰る制度があったそうだ。国許でその大名が亡くなった場合は、老中が預かった「仮養子願」を開封して、次の藩主が誰になるか確かめられ、大名が国許で亡くなる事なく参勤交代でまた江戸に来た時は、老中に預けられていた「仮養子願」は開封される事なく返還されたらしい。
そう言えば某TV局の大河ドラマでもこの江戸時代の「仮養子願」制度について、一つの見せ場にしているドラマがあった。『八代目の将軍様』が主人公のやつだ。
どこの世界でもお家継承をスムーズにするためには何らかの制度が必要とされるという事だろうか。
それにしても何で、こんな事を長々と家令さんは話すのだろうか?
小貴族の家令さんが「大貴族の相続願い書」についてまで言及している。知っている事も驚きだが、それはそれで博識という事で済むかもしれない。しかし何故、母様にこのような、あまり関係無い話までするのか不思議だった。
そう思っていたら家令さんが一呼吸置き、改めて話出した。
「………そして、これからが本題なのですが………」
そう言うとまた黙り言い辛そうにしている。なるほど、さっきまでのお話は前振りだったらしい。きっと本題の話がかなりの厄介事で口に出し辛いために、前振りの話がついつい長く余計な事まで喋ってしまったというところだろうか。
「どうぞ、遠慮無く仰って下さい」
母様のその言葉に意を決したのか、家令さんがまた話し出した。
「次の当主はフィルマン様に決まりましたが、あくまで今はまだ仮のため、当主代理の奥方様が『相続願い書』を書き、ビュイス子爵様の使者の方にお渡し致しました。その『相続願い書』に書かれているお名前はシャルリー様でございます。もし、フィルマン様に何かあった場合、当家を継ぐのはシャルリー様となります。これは慣例からは当たり前の事でございます。シャルリー様は先代様にご認知されていらっしゃる立派なお血筋であり、ご次男でしたから。ただ……奥方様はご自分の手でシャルリー様の名を『相続願い書』に書くのが、とても不本意かつ、ご不快だったようでして……酷くご立腹なご様子を見せられまして……」
と、そこでまた家令さんは言葉を切ってしまった。
「どうぞ続けて下さい……」
か細い母様の声が再び家令さんを促がした。その声は少し震えているようだ。
当然だろう。どう考えてもこれから言われる事は良い事の筈が無い。悪い事に決まってる。僕も心臓の鼓動が早くなり、お腹が痛くなってきた感じだ。そして家令さんはとても、申し訳なさそうに母様に言った。
「エミリー様と、シャルリー様は今日中に、この館を立ち退くようにとの奥方様のお申し付けでございます。……申し訳ございません! 奥方様をお諌めしたのですが、どうにもお聞き入れ下さらず……」
そう言って家令さんは頭を下げ、悔しそうに歯を食いしばっている。僕が母様の膝の上にいたからこそ見れた家令さんの表情だ。この人はいい人だ。僕達、母子のために力を尽くしてくれたのだろう。
「お気になさらないで下さい。お館様が亡くなった時から、こういう日が来るかもしれないと、覚悟していましたから……」
僕の頭の上で母様がそう言った。頭の上なので表情は見えない。いや母様の表情を見るのが辛いし恐い。母様が僕をぎゅっと抱きしめた。
何て事だ……。
奥方様が僕達母子を嫌っているのは、父の葬儀に参列させない事からわかっていた。その嫌っている僕の名前を書く事が、関わる事が、より一層、奥方様の僕達に向ける嫌悪感を、いや恨み、憎しみかもしれないが、それを増幅させたのかもしれない。
それに家令さんは言っていなかったが、きっと奥方様はフィルマン兄さんにこの家が相続されるのが決まったので、目障りな僕達母子をもはや遠慮なく追い出せると思ったのだろう。
夫の愛を奪った憎い女とその子供に復讐した気でいるのかもしれない。
最悪だ……。
今日中にと言ったって、今日はもう夜まで何時間も無い。こんな電気も無い世界では夜は活動する時間じゃないのだ。僕はこの世界で、夜の明かりは今まで蝋燭しか見た事がない。それなのに、これから準備して館を出ていかなければならないなんて……。今日中だなんて最悪だ。
僕は、母様を助けるのにどうしたらいいのだろう?
いや、それは最初からわかっている事だ。
幼児な僕には何もできない……
どうする事もできない。
僕は無力な幼児でしかない。
役立たずな幼児でしかない。
涙がこみあげて来た。
あぁ誰か母様を助けてあげて。
目から涙が溢れそうだ。
お願い、誰か……。
誰か……
助け…て……