004話 我が名は…
『隔靴掻痒』
簡単に言えば、思うようにならなくてモ・ド・カ・シ・イ。(合掌)もどかしい。
それがまさに今の俺の気分。
何せ、この世界の事がよくわからない。この家の事がよくわからない。ここに住む人達の事がよくわからない。とにかく、あれやこれや、わからない事だらけだ。
それも仕方が無いとは思う。何せまだ小さな子供で、動ける範囲は限られているし、喋る事もそれほど上手ではないのだ。
痛手なのは幽体離脱(?)ができなくなってしまった事だ。赤ん坊に憑依(?)した時、最初は出来ていた幽体離脱(?)みたいな事が今では全くできなくなった。赤ん坊と俺の魂の融合(?)が進むにつれて徐々に出来なくなっていったようで、1年経った今は全くできなくなっている。悲しい。あれはあれで楽しい部分もあったし、この世界の事を知るのには便利な部分もあったのだ。実は赤ん坊に憑依(?)した後にできるようになった幽体離脱(?)の場合は時間は短いけれど、それなりの距離を自分の意思で移動できたのだ。それで、赤ん坊と俺の魂の融合(?)が始まる前は、ちょくちょく幽体離脱(?)して色々この見知らぬ家の中や家周辺の外を見て回っていた。
ところで驚いた事に、この見知らぬ世界の人の話す言葉は日本語らしい! それに父親らしき人物の部屋にあった本の背表紙に書かれていたのは、何とカタカタの題名だ! もうびっくりだ。だからこの事態がタイムスリップという線は消えたと思う。人の容貌、衣装、建物、道具、そういったものが中世ヨーロッパみたいなのに、言葉だけは日本語なのだ。これはパラレルワールド的な異世界かもしれない。あぁ、それにしても本の中身を見てみたかったが、残念ながら幽体離脱(?)では物はつかめないので見れなかった。ホント残念!
なお、本の題名を数例上げると。
「シャクイベツ、シュクジョノクドキカタ」(爵位別、淑女の口説き方)
「イタクナイジガイノシカタ」(痛く無い自害の仕方)
「コレデアンシン、キゾクドウシノツキアイカタ」(これで安心、貴族同士の付き合い方)
「ジョウズナメカケノツクリカタ」(上手な妾の作り方)
「スグワカルリョウチケイエイ」(すぐわかる領地経営)
「ヒトアジチガウウワヤクヘノココロヅケノオクリカタ」(一味違う上役への心付けの贈り方)
「センジョウデホリョニナッタバアイノミノシロキンノネギリカタ」(戦場で捕虜になった場合の身代金の値切り方)
「センジョウデキケンヲオカサズテガラヲタテルジュウノホウホウ」(戦場で危険を冒さず手柄を立てる10の方法)
この本のラインアップからすると、父は貴族じゃないかと思う。それにしても、あぁ読んでみたい!
そんなわけで色々見て回るのに幽体離脱(?)はホント便利だった。壁抜けもできたし。だから幽体離脱(?)している間には色々な事を知り得た。だが、まだ情報は全然足りない状況だった。
それなのに、魂の融合(?)が始まってしまい、それを食い止めるのに懸命で、見て回って情報を集めるどころではなくなってしまった。そして今では幽体離脱(?)もできなくなってしまった。残念だ。
まぁ気をとりなおして……。幽体離脱(?)しなくても知りえた事も当然ある。その代表は今では同化して俺自身となった赤ん坊の名前だ。何せ母と父が呼ぶからね。当たり前か。
「我が名は………………シャルリーだ!」
……ちょっと間があいた。危うく某作品で妖しげな力で他人を操り、騎士団を率いて帝国に戦いを挑む主人公の名を叫んでしまうところだった。いかん。いかん。
さて、この家には俺達母子と父と使用人達の他に「奥方様」と呼ばれる女性や「若君」と呼ばれる俺より年上の男の子や、「お嬢様」と呼ばれるやはり俺より少し年上の女の子がいた。
ちなみに俺は使用人達からは「シャルリー坊ちゃま」と呼ばれ、母は「エミリー様」と呼ばれている。 どうやら俺の母は父の「妾」らしい。奥方様と呼ばれている女性が正妻のようで、「若君」と「お嬢様」はその正妻の子であり、俺とは母違いの兄と姉という事らしい。兄と姉の名前もまだわからない。幽体離脱(?)してる時に、奥方様や父が兄と姉の名前を呼ぶ場面に遭遇しなかったのだ。タイミングが悪かったようだ。
そう言えば、その兄は自分の事を「僕」と言っていた。だから、これからは俺も自分の事を「俺」ではなく、子供らしく「僕」と言う事にしよう。これから先、この世界の人と話す時、自分の事を幼児な僕が「俺」なんて言ってたら生意気なガキと思われてしまうかもしれないし、それは避けたい。今から「僕」に慣れておこう。
ちなみに、奥方様とその子供達と、僕達母子は全然交流が無い。顔を合わせないし食事も別だ。
正妻に遠慮して僕達母子は与えられた部屋で大人しく暮らしていると言ったところだろうか。
まぁ正妻に虐められる妾なんて、時代劇ドラマではよくある光景なので、僕達母子もそうなるのでは……と、心配したのだが、今のところは大丈夫みたいだ。
僕の父は奥方様には「あなた」と呼ばれ、僕の母や使用人の人達には「お館様」と呼ばれている。そのためどんな名前なのかはわからない。なお、父はアメリカのTVドラマで、マイアミにある警察署の科学捜査班を率いる主人公の警部補に似ている。長身で細面でなかなかいい表情をするハンサムな男だ。渋いセリフが良く似合う感じ。僕を何度も抱き上げてくれて笑いかけてくれる優しい父親だ。そうだ「お館様」なのだから家の事は、これからは「館」と言おう。
ついでに言うと、僕の母は妾をしてるだけあって美人だ。アメリカのTVドラマで、秘密のサークルに入って魔法を使えるようになった女主人公の話があったけど、母はあの主人公の女優に似ている。金髪碧眼で細身な美人だ。
それから、僕の住む館は2階建てで、上から見たとするとコの字型をしているように見えると思う。
それなりに大きい館のようだ。館の周辺は長閑な田園風景であり、人の住む集落もある。その規模からしておそらく村だと思う。村の周辺は山と緑にあふれている環境みたいだ。
館では中央の建物に正妻ご一家が住み、一方の端の建物部分に使用人が住み、もう一方の端の建物部分は厩舎みたいになっている。そこでは馬に似た生き物が何頭か飼われているようだ。馬にそっくりなのだけど微妙に馬とは違う生き物のように見える。何せ頭に小さな角(?)か瘤(?)のような物が2本生えてる。まるでキリンだ。地球の馬にそんな角のある品種はいたっけ?
それはともかくとして僕達母子は、中央の建物の厩舎側の端にある一階の部屋で暮らしている。
使用人は住み込みと通いの人もいるようだ。正確な数はわからないが十数人いるようだ。女性の方が多いように見える。
服装は女性は基本的に室内ではチュニックでウエストにベルトをしている姿だ。外出の時にはその上から外衣を羽織るけれど、季節により袖なしの外衣だったり、袖ありになったりするようだ。冬にはさらにその上に毛皮のコートみたいなのを着ている。靴は底の浅い革製のような物だ。
男も女性同様にチュニックを着ているけど下にズボンを履いている。あとはだいたい同じだ。
子供、つまり兄と姉もサイズを小さくした大人と同じような物を着ている。ただ僕の場合は男だけどズボンは無しだ。幼児だからか?
身分差で着る物の色も決まりがあるのかもしれない。奥方様はいつ見ても赤系統の肩から胸の部分に刺繍のあるチュニックを着ている。使用人でも他の使用人に命令している上級使用人?上役?のような人は紺系統の色の物を着ていてる。「家令」さんに、台所の「料理長」さん、厩舎?の「御者長」さん、「侍女長」さん達がそうだ。そして、その人達に命令され働いている者は緑系統の色を着ている。僕達子供はみんな白系統を着ている。
そして当然というか父も衣装は特別のようだ。白のチュニックなのだけど、その胸には大きな紋章が複数の色の糸を使って綺麗に刺繍されている。外衣もゆったりしている作りで、みんなの着ているのとはちょっと違う。
館の外の人達、おそらく村人だろう人達も館の使用人と同じような格好だ。ただ服の色はバラバラで、灰色など地味な色の人も多い。
髪型は男女共に真ん中分けで、男はそれほど長く伸ばしてないけど、女性は長くお下げ髪にしている。
ところで、幽体離脱(?)して見て回っている時、父の書斎に次いで興味深かったのは館の台所だった。中央の建物の端、使用人達が住む建物側の一階にある。僕達母子の部屋のちょうど反対側だ。
何せ、その台所には水を張った大きな桶が置いてあり、その中に生きた魚が数匹泳いでいる。勿論食用だ。台所で働く人達の話を聞いていると、どうも川で捕った魚らしい。必ずいるというわけではなく、いない時もあるから獲れない時もあるのだろう。
そして大きな暖炉があって、そこで燃やす火の上に、鉄製(?)の「網焼き」のような物が当たるような配置になっており、現代日本の台所のコンロような感じだ。「網焼き」と言っても日本で魚や肉を焼くような細くて小さい物ではなく、かなり丈夫で太い鉄(?)の網だ。何せ大きな鍋を3つ乗せ同時に調理しているくらいだから。他にパン専用窯もある。
台所の梁には乾燥させているのかハーブ(?)の束のような物がたくさん吊るされている。
ハーブ(?)は乾燥させて使うものばかりではないようで、台所から外に出る扉を開けると、そこには数種類のハーブ(?)が栽培されていて、調理の時に料理人がハーブ(?)の葉を千切って料理に入れていた。それを見てるとイギリスで人気の高い中年男性シェフの料理番組を思い出した。あの男性シェフも料理の途中に台所から庭に出てハーブを取って料理に使っていた。あの男性シェフは自叙伝の本を出していて、それがイギリスでTVドラマ化されているが、僕はまだ見ていない。見たかったのに。もう無理かな。残念。
ちなみに使われているハーブ(?)はバジル、セージ、マージョラム、タイム、ローズマリー、オレガノ等といった地球にあるものに似ている。味はどうなのか分からない。地球の物と似たような物なら味もそれほど違わないかもしれない。
何せ今の僕は1歳の幼児なものだから食べ物も最近ようやく離乳食みたいな物になったばかりで、大人の食べる料理とは別なので、よくわからないのだ。いや離乳食、美味しいけどね。なんかシチューみたいなものなんだけど、ホント美味しいよ。
だけど、本格的な料理も早く食べたい。別に『至高』とか『究極』とか『天才の少年料理人』が作ったとか、『莫大な報酬を求める流れの料理人』が作ったとか、『魔法の中華料理』とか、そういうのでなくていいから、こうステーキとか焼き魚を思う存分、味わいたい! だって、この前まで食事はミルクばかりでしたから!
そう言えば離乳食になったのはいいけど、1歳な僕は食事を服に溢してしまったり、まだ、お漏らししたりしているので、洗濯物がかなり出る。ここの洗濯は、大きな桶に入れた水に木の灰と脂みたいな物を溶かし、それに洗濯物を暫く浸けた後に取り出し、布(?)を巻いた木の棒(?)みたいな物で洗濯物を叩き洗いするか、手で揉み洗いし、その後に濯ぎ日光で乾かすという事をしていた。
ちなみにお風呂は五右衛門風呂みたいな物があって、みんなそれなりに入ってるみたいだ。
そう言えば、洗濯をしている使用人は女性なのだけど、いつも同じ人がしている。台所で働いている女性もいつも同じメンバーだ。奥方様の世話をしている女性もいつも同じ人。僕の母の世話をしている人もいつも同じ人だ。館の中を掃除したり、雑用したりしている人達もいつも同じ顔触れだ。
英国ヴィクトリア朝風に言うと、奥方様や僕の母の世話をしているのが「ウェイティング・メイド」で、洗濯してる女性が「ランドリー・メイド」だろうか。そして台所で働いてるのが「キッチン・メイド」で、館の掃除や雑用しているのが「ハウス・メイド」と言ったところか。ともかく、みんな専門的に分業しているようだ。
それにしても「メイド」……いい響きだ。『メイドは文化の…………華だね!』
……ちょっと間が空いた。「華」だね「華」うん。危うく『極み』とか言って、某作品の少年主人公を騙して危ない雰囲気を醸し出した人外少年と似たようなセリフを言うところだったよ。いかん、いかん。
ともかく、メイドは良いものだ。うん。もし、違うなんていう奴がいたら僕のお手手で『…………粛清してやる!』……またしても、ちょっと間が空いた。危うく『修正』とか言って、某作品に出てくる気難しい男のセリフを言うところだったよ。いかん、いかん。
しかし、もう、日本のメイド喫茶には二度と行けないかもしれないけれど、この世界にもメイドはいる! きっとメイドだよね彼女達? いつか僕もきっとメイドを侍らせる身分になってみせる!
……えっメイドは侍らせるものじゃなくて、雇って働かせるものだって? いいのだ。侍らすのが男のロマンというものなのだから! だから僕は頑張る! メイドを侍らせる男になれるように! ……なれるといいな……なりたいな……とにかく僕は頑張る!!
それにしても、僕の思考、胸の内での呟きも何だかどんどん幼児化している気がする。中二病も進行している気がする。何て事だ。「僕」と言い出したのがいけないのだろうか? または赤ん坊&幼児の身の上を1年と少しやっているから、その「役」に感化されすぎてきているという事もあるのかもしれない。それに前にも述べたが、確証はないけれど赤ん坊と魂が融合(?)した後から、どうも僕の魂(?)は元気に陽気に若返っているような気もする。
これは、ちょっと僕も気を付けなくては。これではまるで、幼児プレイをする大人ではないか! そう言えば、日本でも現実から逃避するために童心にかえって小さな子供の遊びをする若者達も出現しているとTVで放送しているのを以前見た事がある。見た時は呆れたものだったが。いや、まてよ? 僕の場合、気を付ける必要があるのか? そもそも誰も困らないよな、僕が幼児化したって。もともと外見は幼児なんだし齢相応って事になるんじゃ……。問題は中二病の進行くらいか。ならいいや、このままで。この話は苦笑いしておしまいにしよう。
そんなこんなで、おそらく、僕の父はこの村を治める貴族か何かなのだろう。
このまま、僕はこの家で生活し育っていくのだろう。
妾の子だから、将来には少し不安があるけれど。
でも、いつかメイドを侍らせられるような身分になれるその日が来るまで、僕は頑張る!! そう決意したのであった。
3ヵ月後、僕達、母子は館を追い出された……