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春霞

作者: いるマに

 あの日は確か朝立ちが降っていた。

私が雨合羽を着終えた時、既に雨は止み、雲は春の黄み帯びた陽光を降らせていた。

 部屋の時計をちらと見てまだ入学式までは十分に時間があるのを確認してから、雨合羽を脱ぐ。入寮の手続きが長引いて出来なかった通学路の確認や学校の下見をしようと余裕をもって準備をして正解だった。母から預かった地図を片手に、今日から通う高校へと急いだ。

 「第一〇八回入学式」と書かれた看板の立て掛けられた校門をくぐり、部員を求める手を避けながら体育館へと向かう。楽しげに話しながら歩くぱりっとした制服を着ている彼らは友達だろうか。

 館内にはまばらにしか人がいなかった。学校の方針で、新入生以外の学生は授業を受けているが、それにしても少なかった。私の座る席の周りもほとんどいなかったが、右隣りには一人座っていた。それが彼女との出会いだった。その人は文字通り私の彼女になる人だが、その時点の彼女は単なる新入生の一人だった。先ほど見かけた彼らを思い出し、友達の一人も作らなければいけないと意識し、彼女にコンタクトを取った。その時の会話はもう覚えていないが、式が長そうで憂鬱だとかお互い学校の寮に住んでいることだとか、そういった他愛もないことだったのではないかと推測する。いつもいつも、私と私の彼女はそういった話ばかりしていたから。

 学校が始まってからも私達の交友は続いた。始まって一月も経つと五、六人ほどの仲良しグループに分かれたが、そのグループに関係なく私達は他愛なく話したし、時折一緒に下校することもあった。ただ同じ寮に帰るというだけの理由で。

 夏になるとクラスメイト達は学校生活にも慣れ、どことなく色めき出した。数人で話す時の話題はそういった恋愛話ばかりだ。もちろん私もそういったことに興味がないでもなかったが、なんとなく愛だとか恋だとかを持ち出すには私達の関係は少し後ろめたかった。クラスメイトと話していると、時折私と彼女のことについて訊く数寄者もいたが、そういうときは大抵単なる友達として彼女のことを話した。そのうち訊く人もいなくなった。

 噂というものは当人たちに聞こえなくなるほど尾びれ背びれが付くもので、私と彼女が付き合っているという噂もその例のうちだった。季節は秋を迎えていた。

 一緒に帰るという行為は当人より他にはかなり特別な行為であり、それが男女であれば尚更であるらしく、噂は私が彼女を自室に連れ込んで云々という所までひどくなっていた。噂をクラスメイトから聞いた帰り道でそのことを彼女に話すと、困ったように微笑んだ。しかしやはり私と彼女の間には、恋人としての何かが足りていなかった。

 冬になった。暖冬になるとニュースが騒いでいたが、一度二度の変化は人には空しく、マフラーや手袋を付けない日はなかった。帰り道、彼女は泣くのを我慢するようにぐっと黙り込むようになった。それが寒さが原因で、怒ったり悲しんだり、そういう負の感情を抱えた時の彼女の仕草であると気付くころには春になっていた。

 四月のクラス分けで私と彼女は別のクラスになった。クラスメイト達は私を励ましたが、残念に思ったり悲しんだりすることはなかった。しかし彼女はそうでもなかったらしく、一緒に帰る頻度がそれを物語っていた。下駄箱で私を待つ彼女の姿は遠目に見てもいじらしく、私が近づくとそれまで呆けていたような顔をぱっと輝かせた。その姿がスタンドライトのようで、なぜかとても愛おしく思えた。足りた、と思えた。

 春は霞も残さず失せ、すぐさま夏がやって来た。その土地特有のムワリとした湿った暑さにも負けず、恋人は私と手を繋ぐことを求めた。周りに見せつけるような行動が好ましく思えない私はやんわり拒んだが、ぐっと黙る彼女を見ていると自分が極悪人になったようで、結局求められれば手を繋いだ。その度彼女は明かりをともした。彼女も手を繋ぐ以上のことは求めて来なかった。私もそれで良かった。

 私達の(ほだし)は一年では解けない程雁字搦めだった。三年のクラス替えで、私達はまた同じクラスになった。関係はむしろ二年前に戻ったかのようだった。パッと輝くあの笑顔は見られないが、代わりに彼女はいつまでも私に光を浴びせ続けた。ふっと私は彼女に何か与えられているのだろうかと不安になった。

 それでも彼女は私の隣にいた。一緒に帰る回数は、減った。

 結局私と彼女には恋人になるには、愛や好意以外に何かがまだ足りていなかったのだ。あの春に見えた幻想は、一年だけ私に夢を見せて、彼女に希望を与えた。

 私が彼女に別れを告げた時、彼女は黙っていた。あの時の無言が私に押し付けた意味が私には理解できなかった。しかし、あの時彼女が怒っていたのか悲しんでいたかを知られたところで、彼女を救うことにはならないだろう。それは足りなかった何かではない。


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