毒舌令嬢、笑いで悪役の汚名を晴らします! ~微笑みの処刑人と呼ばれた公爵令嬢、誤解されたままでも笑い続ける~
エルミナ魔法学園には、誰もが恐れる人物がいる。
その名はレティシア・フォン・グランベール。由緒正しき公爵家の一人娘にして、現王太子の婚約者。
そして、学園で“微笑みの処刑人”と陰で呼ばれる、冷酷非情な悪役令嬢──らしい。
「まあまあ、そんなに魔力が暴れるなんて、まるで怒られた鍋みたいに吹きこぼれてるわね?」
今日もまた、魔法演習で浮遊魔法を失敗した男子生徒が、涙目で逃げ出した。
「よっぽど緊張していたのね。顔が真っ赤よ? 実家が火事なのかしら? それとも前世の業が……ふふ」
彼女の一言一言は、棘のある冗談のつもりだった。
しかし、受け取る側は完全にそれを“暴言”と解釈していた。
「エマ、今のちょっと良かったと思うのだけど。『怒られ鍋』ってなかなか使い勝手が良いわよね?」
「……はい、お嬢様。“火に油を注ぐ冗談”としては大変洗練されておりました」
侍女のエマは、死んだ魚のような目で淡々と答える。
もはや日常風景と化したこのやり取りに、学園の生徒たちは慣れきっている。
彼女の毒舌は恐れられていた。
だが、それは誤解だった。
レティシアは、本当は人を笑わせるのが好きな、ただの“お笑い好き”だったのだ。
幼少期のこと。レティシアは退屈な貴族の教育から逃れるように、城の隅でこっそり“道化師の漫才”を見ていた。
庶民の子どもたちが笑い転げるその光景に、彼女は衝撃を受けた。
──人を笑わせるって、すごい。
それ以来、彼女は令嬢教育の傍らで密かにジョーク帳を作り、鏡の前で“笑わせトーク”を練習するようになった。
だが、貴族社会では“笑い”は美徳ではない。
彼女のユーモアは毒舌として誤解され、皮肉として恐れられ、そして次第に──
「悪役令嬢レティシア、登場」などと呼ばれるようになった。
だが本人に自覚はなかった。
「ふふ、皆がわたくしを避けるのは、照れ隠しなのよ。きっと、笑いを我慢してるのね」
「お嬢様、それ“恐怖による沈黙”かと……」
「失礼ね、わたくしの“毒”は胃にやさしいのよ?」
どこまでもポジティブで、どこまでも天然。
それが、レティシア・フォン・グランベールという女だった。
さて、そんな彼女の次なる“犠牲者”は、浮遊魔法が苦手な平民の男子生徒・フリードである。
「うわっ、また失敗だ……なんで俺だけ……!」
焦りから魔法陣を乱してしまい、浮遊石はぴくりとも動かない。
そんな彼に、レティシアが笑顔で歩み寄る。
「あらあら、魔力が足りないのかしら? それとも、昨日見た夢が悪かった? うっかり“自分が魔法適性ゼロ”って診断される夢、見たりして?」
「っ……」
周囲は凍りついた。フリードは俯いて震えている。
「……あれ? おかしいわね。わたくし、今日こそは“励ましジョーク”のつもりだったのに」
エマが耳打ちする。
「お嬢様、それは“地獄に塩を塗る系”ですわ」
「えー……じゃあ、もう少しオブラートに包んで。“地獄の飴細工”にするわ」
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その日の午後。レティシアの“毒舌芸”が炸裂した数時間後、学園では珍しく人だかりができていた。
「新入生だって」「しかも平民らしいぞ」
「なにそれ、可憐系? 儚げ美少女ってやつ?」
レティシアも噂を耳にしつつ、興味なさげに廊下を歩いていた――のだが。
(“儚げ”って、笑い取るのに一番難しいタイプじゃない?)
なぜか対抗心が芽生えた。
案の定、紅茶の間で噂の転入生と対面することになる。
「わ、わたし……リーファと申します。マリア・リーファと……。至らぬ点が多いかとは思いますが、どうか、よろしくお願いいたします……」
か細い声、潤んだ瞳。震える肩と控えめすぎる身振り。
この手の“あざとさMAXの天然系”は、レティシアが最も扱いに困るタイプだった。
「まあまあ、そんなに震えなくてもいいのよ。わたくし、雷よりはマシってよく言われるもの」
「…………」
沈黙。
エマがそっと、袖を引く。
「お嬢様、比喩表現が強すぎました」
「えっ、これも駄目? 最近の笑い、難しいわね……」
だが、そんなやり取りをじっと見ていた者がいた。
レオン・エグザイル。王太子殿下であり、レティシアの婚約者。
そして今、マリアの隣に立ち、完全に“ヒロインの守護騎士”ムーブをかましていた。
「マリア嬢に怖い思いをさせないでほしい、レティシア。言葉には責任を持ってくれ」
「……まあ、殿下が“怖い”と思う人の基準が、わたくしなんですものね。信頼していただいて光栄ですわ」
「……皮肉は要らない」
皮肉ではなかった。が、伝わることはなかった。
その晩。
学園内の裏庭。人目の少ない場所で、王太子とマリアが顔を寄せ合っていた。
「レティシア様って、本当にお綺麗ですよね……。でも、わたし、ああいう方、ちょっと怖くて……」
「君の方がずっと魅力的だよ、マリア。レティシアは所詮、政略上の駒だ」
「ふふ……じゃあ、“計画”通り進めてもいいんですね?」
「もちろん。学園中を味方につけて、あの女を……切る」
甘い声と、黒い企み。
その策略が動き出したことを、まだレティシアは知らない。
翌日、学園の特別授業――経済交流課程の公開ディスカッション。
貴族と商人の未来を語るという名目で、上級生の商会長が招かれていた。
「あら、なんだか面白そうな話をしてるじゃない」
教室の隅に立つ一人の青年。
整った顔立ちに落ち着いた佇まい、そして学園の制服の上に羽織る洒落たローブ。
それが、ロイ・アルステッドとの出会いだった。
「グランベール令嬢ですね。……先ほどの講義、面白く聞かせていただきました。特に“雷よりマシ”のくだりが秀逸でした」
「……えっ、笑ってくれたの?」
「ええ。ようやく笑いの通じる方に出会えた気がします」
ロイは、学園の特別課程に在籍する“現役商会会長”。
若くして家業を継ぎ、実力で商人界に名を轟かせる逸材で、特例で学園に通っていた。
「あなた、貴族なの?」
「いいえ。貴族じゃないからこそ、笑えるんですよ」
その言葉が、レティシアの胸にじんわりと染み込んでいった。
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ロイと会ってから、レティシアの中に何かが変わり始めた。
「笑ってくれた……本当に、笑ってくれた……」
彼女は鏡の前で何度も口角の上げ方を練習した。“微笑みの処刑人”と言われないように。
冗談の語尾に少し柔らかさを混ぜることも覚えた。
けれど。
(……それでも、わたくしのことを“怖い”と言う人は減らなかった)
理由は単純だった。
マリアが陰で、“可憐な被害者”を演じ続けていたのだ。
「レティシア様って、すごく……お綺麗ですよね。でも、言葉がちょっとだけ、怖くて……」
「ふふ、わたしなんて平民ですし。お邪魔だったら、すぐにでも身を引きますので……」
そう囁かれれば、誰だって同情する。
王太子も教師も、次第にマリアの肩を持つようになっていった。
*
そして、ついにその日が来た。
「レティシア・フォン・グランベール。君の行いについて、学園理事会より報告がある」
王太子と教師、マリアを含む数名の生徒が見守る中、公開処分会が開かれた。
マリアは、涙を滲ませながら語る。
「わたし……何も言いたくなかったんです。でも……“平民風情が”って、レティシア様が……」
「そんな言い方、してないわよ。もっと面白く言ったはず。“平民風情が貴族の真似をすると、靴擦れするわよ”って」
「……」
「……」
誰も、笑わなかった。
(そっちのほうが、きつかった)
*
「……もういい。レティシア、君には謹慎処分が言い渡される。学園の名誉のため、退学も検討する」
静かな場内。レティシアはただ、小さく呟いた。
「……笑ってもらいたかっただけなのに」
そのとき――
「だからって、嘘までついていい理由にはならないだろ」
声が響いた。扉が開く。
現れたのは、ロイ・アルステッド。学園上級生であり、アルステッド商会会長。
「ロイ……さん……?」
「僕は、ただ見てたんです。誰がどんな顔で、誰の言葉を“信じたふり”してるのか」
ロイが取り出した水晶が、空中に記憶映像を映し出した。
そこにはマリアが泣いたふりをして、教師に“証言”を強要する様子や王太子と密談しながら、レティシアの発言を“加工”する場面が映されていた。
さらに、フリードら庶民の生徒たちが口々に証言する。
「俺、あのときレティシア様に助けられた……」
「机の中に補助具入ってたの、きっとレティシア様だ……!」
教師たちの顔色が変わった。
マリアは青ざめ、動揺して座り込んでしまった。
「う、嘘……そんな、どうして……?」
「だって、マリアさん。あなた、目が笑ってなかった」
ロイの一言に、マリアは凍りついた。
*
「――これが、君たちの“正義”か?」
ロイの問いに、王太子は視線を逸らした。
「くだらない。“従順な平民令嬢”に溺れて、こんな結果か。王族として恥を知りなさい」
学園長がそう言い放ち、マリアと王太子に告げた。
「二人は、学園からの1ヶ月の停学処分にします」
騒然となる中で、レティシアはそっと口元を抑えた。
「……あの、今すごく“ざまぁ”って言いたいけど、言ったらちょっと下品かしら」
ロイが笑った。
「言っていいと思いますよ。むしろ、今の君が言わなきゃ誰が言うのって場面です」
「ふふ……じゃあ、遠慮なく」
レティシアは、声を上げた。
「ざまぁ、ですわ」
どこからともなく大きな拍手が起きた。
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騒動から数日後。学園の空気は、目に見えて変わっていた。
かつてレティシアを避けていた生徒たちが、廊下ですれ違えば頭を下げ、
演習の際には「今日も名言、期待してます」などと声をかけてくる始末である。
「……なんだか、急に“お笑い担当”にされた気分なんだけど」
「お嬢様、“担当”どころか、“座長”扱いされてます」
レティシアは口を尖らせながらも、頬が少し緩んでいた。
*
一方、王太子レオンとマリアは、正式に学園を1ヶ月停学となり、王都の社交界からも一時的に姿を消した。
「まったく……“選ばれし転生者”だか何だか知らないけど、
現実とゲームの区別もつかない人が“王妃候補”って、笑えない冗談よね」
エマのボソッとした一言に、レティシアはくすりと笑う。
「でもエマ、それは“笑えない冗談”じゃなくて、“笑われた現実”だったのよ」
「お嬢様……それ、ちょっと刺さりました」
*
放課後。レティシアは商会を訪れていた。
以前のように“偶然通りかかった”などと強弁するのではなく、堂々とロイを訪ねて。
「いらっしゃい。今日のネタは何ですか?」
「……あら、ネタ扱い? それ、褒めてる?」
「もちろん。僕にとっては最高の“劇場型商談”ですから」
ロイは笑いながら紅茶を差し出す。
レティシアは照れ隠しにカップを手に取ると、少しだけ視線を逸らした。
「……あなたが、最初にわたくしの“冗談”で笑ってくれた人だったわ」
「うん」
「笑ってもらえるって、こんなに救われるのね。笑わせるつもりだったのに、逆に救われたなんて……本末転倒もいいところだわ」
「それが、本当の“面白さ”じゃないですか?」
彼の一言に、レティシアは少しだけ涙ぐみそうになった。
「……最低。そうやってさらっと、わたくしの“感動のフリ”を台無しにするんだから」
「演出家としては、もう一段オチが欲しいところですし」
「この変人……」
二人は顔を見合わせて、心から笑った。
*
数週間後。商会主催の慈善祭りのステージにて。
「皆さま、お集まりいただきありがとうございます!
ええ、あの“微笑みの処刑人”こと、レティシア・フォン・グランベールでございます!」
観客たちが沸き立つ。
「本日は、“処刑”ではなく、“爆笑”をお届けにまいりましたわ! ……あ、爆笑って言っても、建物は爆破しませんのでご安心を!」
笑い声が上がる。
その舞台袖で、ロイがにこやかに呟いた。
「……やっぱり、惚れ直すなあ」
隣でエマが言う。
「ロイ様。彼女のネタ、商会の宣伝にもなってますので、ぜひ長期契約を」
「そっち?」
*
こうして、“悪役令嬢”と呼ばれた彼女は、
身分関係なく多くの人々に今日も笑いを届けている。
そして、彼女のそばにはいつも、
一緒に笑ってくれる人がいる。
──終わり。