16話:反省する第一王子
学園から帰ってきたイオラとアリエルの姿を見て、逃げるようにテラス席を去ったテオドルは、戻ってきた宮庁の執務室で頭を抱えていた。
(なにをしているのか、俺は……)
シーラを目にすると、なにもかもうまくいかない。
島国ムーナへ彼女を迎えに行って、余計な一言を告げた愚かさから、しゃべることも怖くなっていた。
背もたれに体を預け、目を閉じた。
瞼にデザートを食べているシーラの笑顔が映し出される。
(アリエルやヘルマンと変わらない年齢だったのだ)
テオドルはそんなことさえ、気づかずにいた。
舞台で踊るシーラは、天女か女神のようであり、テオドルにとって、まるで神話の世界から飛び出し、具現した存在だった。
一年に一度、シーラに会えることをどれだけ楽しみにしていたか。それを励みに、勉学に武芸に、あらゆることを頑張ってきた。
真面目なテオドルには、特別な趣味はなかった。
それこそ、楽しいことや、したいことはないのかと問われたら、読書や乗馬といった勉学や武芸に通じることぐらいしか、思いつかなかった。趣味らしいことに手を出しては、それなりにこなしても、夢中になるということがない。
そこそこ真面目に取り組み、そつなくこなせるため、難しいと感じることも少なく、のめり込むこともない。そんな淡白な性分であるテオドルは、夢中になることを知らずに成長した。
(聞き分けはいいが、面白みのない子どもだったよな)
テオドルは幼少期の自分をそう振り返る。
シーラとの出会いは転機だった。
生まれて初めて、一つの対象にテオドルは夢中になった。
エラリオでも、コンサートや舞台を見る機会はある。なぜシーラだけが、あれほど強く印象に残り、特別に見えたのか、テオドルはわからない。
わからないものの、シーラだけが特別であることは、まぎれもない事実だった。
これを愛と呼べるのか。テオドルはそれもまたよく分からない。
しかし、島国ムーナで彼女が夫を迎えることも、ジュノアに彼女が嫁ぐことも、弟のヘルマンが王太子になり彼女の夫になることも、どれもこれも、テオドルには受け入れがたかった。
ジュノアにシーラが嫁ぐかもしれないと知った時、彼女の踊りが見れなくなるだけでなく、もう会えなくなり、誰かが彼女の夫として隣に立つなんて嫌だ、とはっきり自覚した。
誰にもシーラを渡したしたくない。
王に進言し、舞台で踊っていた女神は手元に零れ落ちてきた。
女神ではなく、異国の姫として、彼女は嫁いできたのだ。
(俺はどこか、シーラを浮世離れした特別な存在だと思っていたのだな)
だから、彼女の気持ちより、自身の気持ちを優先できたのだ。
シーラ自身は、ヘルマンやアリエルと年も変わらない、生身の少女である。今さっき、そう実感したテオドルは、王妃がシーラを描いた品々を捨てろということが、やっと腑に落ちた。
シーラは、テオドルの行為を何もかもを許してくれる、都合の良い女神ではないのだ。
生身の人間であるということは、彼女自身にも感情がある。嬉しい、楽しいだけでなく、嫌悪だって抱くだろう。
つまりは、テオドルが今までひっそりと積み上げてきた品々を彼女がどう見るのか、という問題に繋がる。
(気持ち悪い、と思われても仕方ないのだ。
俺が今まで品々に固執していたのは、俺のエゴだ。シーラの気持ちよりも、俺自身の欲求や執着を優先したからだ。
王妃が言いたかったのは、それではダメだということだろう)
目を開けたテオドルは、天井を見つめる。
(食事中どころか、エラリオに連れ帰ってからも俺はろくにシーラと話していない。
シーラから見たら、見知らぬ異国の地に足を踏み入れたというのに、俺は、自分のことばかりで、彼女に対して一切の配慮を欠いていた。
昼食の時、緊張し、前日の失言から無言でやり過ごしてしまったが、あれだってシーラを不安にさせることになっていたかもしれない。
デザートの時、少し声をかけれたとはいえ、俺は逃げるようにあの場を立ち去った。
思い返せば、朝食時も、昨日の夕食時も、挨拶さえろくにできていなかったな)
テオドルは自嘲する。
(なんだ、俺は。まるで、幼児じゃないか。
母親におはようとこんにちはさえ教わっていない子どもじゃないか)
テオドルは、天井を見ながら、今まで大切にしてきた宝物を思い浮かべる。
一つひとつの品には思い出はあるものの、生身のシーラこそもっとも優先する大切な存在だ。
(シーラの気持ちを考えれば、王妃が捨てろと言うのも頷ける)
テオドルは深く息を吸い、吐きながら呟いた。
「捨てるか」
※
テオドルが反省している同時刻。
シーラがテオドルが隠し持っていた品を見ていたと判明した宮殿では激震が走っていた。
テラス席で発覚した事実にイオラとアリエルだけでなく、そばにいたメイドまでも驚いた。
イオラが王妃にシーラがテオドルの秘密を知っていることを伝えに走る。最初に案内された応接室に、シーラとアリエルは移動した。学園から戻ってきたヘルマンとニコラスも加わり、イオラが王妃を連れてきた。
メイドは交代し、テラス席にいたメイドの口より、シーラがテオドルの秘密を知った事実が、使用人の界隈にもあっという間に広まった。
シーラと王妃が真正面から向き合う。周囲には固唾をのんで見守るイオラ、アリエル、ヘルマンにニコラス。遠巻きに、メイドも数人控えていた。
座る王妃が、扇を手のひらに打ち付けた。
「では、シーラ様は、昨夜、部屋に戻ろうとして迷ってしまい、テオドルの寝室にもぐりこんでしまったのですね」
「はい、王妃様」
「そこで見たと、あのテオドルの秘密を!」
「はい」
「では、シーラ様はあの様を見て、どうお思いになりましたか」
「びっくりしました。まさか、部屋中に私の絵が飾られているなど思いませんでしたから」
「そうでしょうとも。では、他に見たものはありますか」
「はい、飾り棚とベッドに置かれた大きな枕も見ました。
クローゼットに隠れた私は、テオドル様が王様からそれらを捨てるように言われてとても悩んでいることも知りました」
「そうですか……。何を隠そう、それらを捨てるようにとテオドルに告げるよう王に助言したのは私です。
率直に問います。
シーラ様は、あれらの品を、今後どうしてほしいと思われましたか」
「私としては、寝室に置かれるのは控えていただきたいかと思いますわ。保管するなら、別の部屋にお願いしたいなと思います」
シーラの発言に、周囲は騒めく。
「捨てなくても良いと……」
「はい。さすがに寝る時に、自分の絵に囲まれていることは、気恥ずかしくてたまりませんから。寝室に置くのはやめていただきたいですね」