14話:気まずい昼食③
城を挟んで宮殿の反対側にある政務を行う宮庁の執務室で、テオドルは頭を抱えた。
昨夜、母には昼食をシーラとともにするように命じられた。さらには、王からは、シーラの品をすべて捨てろと言われている。父が命ずる背景には母の意向がある。
(王妃には誰も逆らえない)
それこそ、王であろうとも例外ではない。
後宮の主であり、宮殿の主。その影響力は、王をも凌駕し、王や宰相を通じて、ひとたび号令があれば、国中に広がるほどのものだ。
なぜ母にそれほどの威光がそなわっているのかは、誰も分からない。ただ、ただ、皆、ひたすらに母が恐ろしいのだ。
シーラと二人きりで一体何を話したらいいのか。
テオドルは悩んでいた。
(俺があれこれ考えて、シーラと話すことを事前に考えてもろくなことにならない)
口を開けば終わる。
彼女を島国ムーナに迎えに行った際に思い知った。
(黙っていよう。余計なことを言ってしまえば、取り返しはつかない)
執務室の扉がノックされ、開かれる。
王が入ってきた。
「テオドル。そろそろ、宮殿に戻るだろう」
「はい」
立ち上がったテオドルは、入ってきた王を応接セットへと招く。二人は曲線が美しい布張りのソファに座り、むきあった。
「今日から、シーラ姫との昼食だな」
「はい」
また絵画や品々を捨てれという小言を言われると思い、テオドルは、身構える。
「テオドルよ。王妃は、シーラ姫がお前の寝室を見れば、きっとお前が嫌われると思っている」
「……」
「あれも、母なりの思いがあって、私に告げるように言ってきた」
「……存じております」
「しかしだ。
私には、私の考えもある。
これから言うことは、あくまでも私個人の考えだ」
王はぽつりぽつりと語る。
「お前の私物を最終判断するのはシーラ姫だ。つまり、彼女がお前の私物を見て、捨てなくてもいい、と言えば、王妃も前言を撤回するだろう」
そんなことを思いつきもしていなかったテオドルは瞠目した。
王は話を続ける。
「今、お前はシーラ姫とどのような関係にある? その関係によっては、お前の私物に対するシーラ姫の受け止め方も変わる。この意味がわかるか、テオドル」
「はい」
「今日から始まる昼食時、シーラ姫に誠心誠意接しなさい。お前の心証によって、私物をどうするか。最終決定者はシーラ姫が持っている。
良好な関係を作り、折を見て、当たり障りのない絵画一枚を見せ、彼女がどういう反応をするか、うかがえるようには努力しなさい。
私がお前に言えるのはこれしかない」
物静かな父の弁に、長年、集めた品々を手放さなくてもいい道があったと、テオドルの胸が熱くなる。
「はい、王様。
しかし、どうして、それを昨日の夜のうち、いいえ、島国ムーナに出立する前に言ってくださらなかったのですか」
「……お前も、それはわかるだろう」
「……」
「宮殿において、私は王妃に逆らえない」
昼食の時間帯が差し迫り、父は去り、テオドルも急いで宮庁を出た。
馬車に乗り、城の裏手をまわって、宮殿に向かう。
到着すると、迎えに来たメイドに、「シーラ様がお待ちです」と言われ、急いで、薔薇が咲きほこる庭を眺められるテラス席へと向かった。
丸いテーブル席に流れる空色の髪を揺らすシーラが座っていた。
彼女は立ち上がり、テオドルを見た。表情が強張っており、緊張しているようであった。
スカートをつまみ、腰を落とす。
さすが舞姫と賞賛したい所作で頭を垂れた。
「テオドル様、ご機嫌麗しゅうございます」
「座ってくれ」
辛うじて告げたテオドルの心は高鳴るばかりだった。
顔をあげたシーラがテオドルを見る。
彼女への想いが溢れてきそうで、気を引き締めるために、テオドルはぐっと奥歯を噛んだ。
シーラの視線は胸元あたりを捉えている。午前に受けた講義のため、淑女としての態度を身につけようと頑張っているのかもしれない。
(本物の舞姫がいる。しかも、私のために頑張っているのだ)
シーラが何を思っているのか、テオドルは知らない。目の前に彼女がいるだけで舞い上がり、思い違い甚だしく、都合良い解釈へと飛んでいく。
言葉を交わさないから、理解も深まらず、互いに誤解したままの昼食が始まると、気づきもしない。
メイドがシーラの椅子を動かす。それに合わせて、彼女は座る。
テオドルもまた、シーラの隣に座った。
横から伝わる彼女の熱だけで、テオドルは一杯になり、シーラを見ることもできずに、薔薇園に目を向けた。
崩れそうな顔面を奥歯を噛んで必死にこらえる。
気の利いた言葉一つかけれないテオドルは、緊張のあまり口内が渇いてきた。
メイドが出してくれた紅茶を一口飲む。心臓が胸の中でどんどんと跳ね続けている。
(どうする。
彼女といい関係を作るために、何をしたらいい。
まずは、話か。
何が良い話代はないか。前みたいに、長ったらしいことを話そうとして失敗するわけにはいけない。天気や庭を話題にするのが無難だろうか。
この場は、あの時のリベンジのようなものだ。どうする、どうする)
迷うだけで、テオドルはいつまでも踏み出せない。
昼食が始まる。
不慣れなシーラのために、テオドルはいつもよりゆっくりと食事をとる。
彼女と二人きりの一時に胸一杯で声がでない。一生懸命、カトラリーをちゃんと扱おうと頑張っている彼女に、愛おしい気持ちが募ってしまう。
気持ちばかりが空回り、声をかけれないテオドルの沈黙は、シーラの内で、いたたまれなさに変わっているなど、彼は気づきもしない。
この一時が、ずっと続けばいいと胸いっぱいに浸るテオドルの横で、シーラは逃げ出したい気持ちを募らせる。
食後のデザートが運ばれてくた。
白と茶色いクリームが添えられたスポンジケーキに、淹れなおされた紅茶が添えられる。
シーラがクリームとケーキを口に運ぶ。
ガラス越しに見ていた彼女をテオドルがチラ見する。
甘みが広がった喜びに、ほんのりと頬を染めて、シーラが微笑んだ。
そこには、甘いものを喜んで食む、年頃の女の子がいただけだった。
(こんな風に笑うのか)
テオドルは初めて、シーラの素の笑顔を見た。その笑顔は彼に、彼女が生身の女の子であると知らしめた。
素直な笑顔は脳裏に焼き付き、今まで写してきたどんな絵画より鮮明に脳裏に焼き付く。
(そうか、アリエルやイオラと、年も変わらないのだものな)
当たり前のことに気づくテオドルは、ずっとシーラを手の届かない異国の舞姫だと思っていた。
特別な彼女を、神から遣わされた生きた女神のようにとらえていた。
シーラは現実にいるのだ。しかも、自らが暮らす宮殿のなかに。連れてきたのは紛れもなくテオドル自身。
遠い存在を目の前にし、やっと甘いものを食べて喜ぶ、ただの女の子だと気づいたのだ。
青天の霹靂だった。
シーラが異国から天使、天女、神の使い、女神だと思っていたテオドルが、彼女が生身の人間であると実感し、妹とそう変わらない女の子だと気づく。
テオドルの口が自然に動いた。
「美味いか」
シーラがはっと顔をあげ、まじまじとテオドルを見た。
見つめられて、テオドルの心臓は一瞬で止まりそうなぐらい大きく跳ねた。
目を丸くしてシーラは、こくりと頷く。
「良かった」
初めて、テオドルは、シーラの前で笑みを浮かべた。