10話:秘密を知る夜②
「シーラ様」
人知れず無言で呻くテオドルを無視し、王妃がシーラに声をかける。
「シーラ様も明日以降、テオドルとの昼食で異論ありませんね」
「はっ、はい。ですが、テオドル様がお忙しいのでは……」
「ここにいるなかでは、テオドルが一番融通がきくのです。
イオラもふくめてテオドル以外はまだ学生です。ですので、平日の昼間は学園に通っております。つまりは、用事があるのです」
イオラがシーラに「学園とは勉強をするために通う場所で、主に年頃の貴族の子弟が通っているのですわ」と耳打ちした。
「シーラ様を島国ムーナまで迎えにいく時は仕方ないにしても、やはり勉学が遅れることは好ましくありません。
学生といえる年代のシーラ様にも、留学生として通っていただくこともできますものの、予備知識もなくいきなり通うというのは敷居も高いでしょう」
王妃の言う通り、シーラも、エラリオの貴族が多数通っている場に行くとなると気後れしてしまう。
「ですので、しばらくは、この王宮にシーラ様専属の家庭教師を招き、学んでいただきます。午後は、学園から戻ったイオラがつきますのでご安心ください」
王妃の発言に、シーラよりもイオラが驚いた。彼女は、学園を休み、シーラについているつもりでいたのだった。
「王妃様、私も学園に通ってもよろしいのでしょうか。父からは、シーラ様にずっと付き添うことになると言われていましたのに」
「アリエルやヘルマンを通うというのに、イオラだけここに残るのも、あなたのためになりません。
しばらくは、シーラ様付のメイドであるとはいえ、イオラもここを家と思って寛いでほしいと思っています」
「お心遣いありがとうございます」
イオラの返答を聞きながら、テオドル以外の三弟妹は、これはシーラとテオドルを二人きりにしようという母の画策だなと看破した。
テオドルも、母の発言に、何を言っているのだというふうに眉を潜めている。
テオドルの顔が見えるアリエルは、(そんな眉を歪めていては、またシーラ様に誤解をさせるでしょうに)と内心呆れており、案の定、シーラもまたそんなテオドルの表情を見て、(ご公務おありでしょうに、ご負担をおかけしてもうしわけないわ)と思っていたのだった。
デザートに舌鼓を打っていると、執事が一人入ってきて、王妃に耳打ちをした。食べ終えたテオドルが黙って立とうとしたところで、王妃が「待ちなさい」と呼び止める。
執事は下がり、王妃が言った。
「王が部屋で待っているそうです。顔を出してから自室に戻りなさい」
「……」
「返事は?」
「……分かりました」
小言を言われると確信するテオドルは苦渋の表情を一瞬浮かべ、食堂から出て行った。
去っていく仏頂面のテオドルを見て、(王様もテオドル様もお忙しいのね)と、デザートを食みながらシーラは思った。
デザートを食べ終えたシーラは、「長旅でお疲れでしょう。今日はこれで、お部屋に戻り、お休みください」というイオラに連れられ、食堂を出て部屋へと戻る。
部屋に戻ると、イオラは寝衣を出してくれた。さっき案内してもらった湯殿につかりたいと希望すると、快諾し、案内してくれた。
廊下を歩きながら、シーラはイオラにお礼を告げる。
「今日は朝からありがとう。妹は傍仕えを一人連れてジュノアに嫁ぐのですけど、私は一人でこちらに来ているでしょう。イオラが傍にいてくれて心から助かったわ」
「嬉しいお言葉ありがとうございます」
「明日からも、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
湯殿の前でシーラはイオラと別れた。
そこには、専属のメイドがおり、シーラに湯殿の使い方などを教えてくれた。
湯につかったシーラは、長い一日だったと一息つく。
朝はまだ故郷にいたというのに、もう何日も前に出たかのような感覚になる。
(それぐらい、長い一日だったのよね)
柔らかい湯を手ですくい肩にかける。
テオドルの不愛想が脳裏をよぎった。
指先が振れ合った時の刺激。
舞台を見つめる彼の視線。
いくつもの彼の印象がシーラの中で蘇っては、どこかちぐはぐで、違和感がぬぐえない。
(テオドル様には、嫌われていないと思っていたのよね。毎年、舞台から見ていた方だったから、私もついつい知った気でいたわ。勘違いも甚だしいというのはこういうことを言うのね)
湯をかけていた手を止めて、肩を握る。
(ほんと、ひどい思い上がりだわ)
明日から一緒に昼食をとる相手でありながら、いつ二人きりの昼時に王太子妃としてむかえることはできないと言われるか分からないと思うと、シーラの心臓はきしりと痛んだ。
湯から上がり、着替えたところで、メイドが「部屋まで送ります」と申し出てくれた。
しかし、そこに、アリエルが来たため、湯殿を担当するメイドは困ってしまう。
シーラは「イオラに案内してもらったから、自分で部屋に戻れますわ」と言って、一人で湯殿を後にした。
廊下を歩き始めるシーラ。
イオラと一緒に散策したはずのに、どこまでも似た雰囲気の廊下は長く、同じような扉が等間隔で並んでおり、あっという間にシーラは迷ってしまった。
今まで見知った場所や屋敷しか歩いていなかったシーラは自分が方向音痴であるとこの時初めて気づいたのだ。
(どうしましょう。誰かとすれ違えたらいいのだけど)
宮殿で働く人も夜は少なくなるようで、なかなか人と会わない。
困ったシーラは、目についた扉を開けてみた。誰かいたら、道を聞こうと考えたのだ。いくつか開けては、閉じてを繰り返す。
(宮殿はとても広いのね。このまま、部屋にたどり着けなかったらどうしましょう)
引き返そうにも、ここまできたらたどってきた廊下もよく分からない。
また扉を開いてみたものの、そこも誰もいない。
情けなさに、嘆息すると、廊下から足音が響いてきた。
(良かった、これで部屋に戻る手掛かりが得られるわ)
扉を閉めて、歩いてくる人に声をかけようとしたシーラだったが、伸びてきた影に目をむいた。
それは、あきらかに男性で、影が形作った髪型や体形から、テオドルだと思い至る。
(どうしましょう。テオドル様にここで会うのは気まずいわ)
焦ったシーラは開けた扉の中に飛び込んだ。
このまま、廊下を通り過ぎてほしいと思ったところで、部屋を見る。
月明かりに照らされた部屋は、大きな机と本棚、そして応接セットも置かれている部屋だった。シーラの部屋よりも大きく、ベッドはないが、別の部屋につながる扉もあった。
(私の部屋より大きい。ということは、もしかしたら、この部屋は、どなたかの王子様の部屋かもしれないわ)
廊下からテオドルの足音が響いてくる。
(どうしましょう。ここがもしテオドル様の部屋だったら、変に疑われるし、睨まれてしまうわ。隠れなくちゃ!)
動転するシーラはひとまず見つからなければいいと、部屋にあるもう一つの扉のなかへと飛び込んだ。