1話:隣国へ嫁ぐ姫①
「あなたを愛することはない」
海を隔てた左の大国エラリオから訪れた第一王子のテオドルが放った一言に、島国ムーナの一の姫シーラは、片頬に手を当てながら、呆けたように小首をかしげた。
金色の髪をなびかせるエラリオの第一王子は、青い目を細め、眉間に皺を寄せ、顔をしかめる。
発言と表情が重なり、シーラは(テオドル様は、王太子妃に異国の姫である私を迎え入れることが不本意なの?)と思った。
※
島国ムーナは海を隔てて、右の大国ジュノアと左の大国エラリオという、二つの大国に挟まれている。
女系である島国ムーナは姫が多い。
一の姫を筆頭に二の姫、三の姫、四の姫と続く。
そんな島国ムーナに、右の大国ジュノアが、姫を一人、後宮に嫁がせないかと持ち掛けてきた。
すると、その話を聞きつけた大国エラリオも手をあげた。姫の選定に無条件なジュノアに対し、エラリオは踊りの上手な長女か、才女と名高い三女を指名したのだった。
当初、ジュノアには一の姫をと考えていた王は困った。
四の姫は年端も行かない幼女。
三の姫は次期女王。
必然として、指名のないジュノアには二の姫が選ばれた。
エラリオには、指名通り、一の姫が嫁ぐことに決まったのだった。
そんなエラリオからは大船三隻が一の姫を迎えに来た。
それぞれの船に、三人の王子が、一人ずつ乗船する。
第一王子のテオドル。
第二王子のヘルマン。
第三王子のニコラス。
三隻の船には、結納に当たっての贈答品が多数載せられており、島国ムーナに献上された。他に、多種の酒や食料も持ち込まれ、その夜は、二国の料理と酒が並ぶ、宴席が催され、夜通し祭りのような賑わいを見せた。
※
そんな一の姫の歓迎ぶりを、島中に見せつける宴席の片隅で、エラリオの第一王子が告げた一言に、一の姫のシーラは小首をかしげたのだった。
宴席の舞台で躍り終えたばかりのシーラの頭部から流れた汗が額から頬に流れ、頬に寄せられた手の指先で二股に割れた。
「……」
「……」
シーラの淡い空色の髪が、潮風に揺れる。
エラリオの第一王子の金髪もたなびく。彼の無感情な碧眼がシーラを見下す。
遠くから、集団演舞を披露する楽曲が流れてくるものの、二人の耳には聞こえなかった。それぞれの心音と呼吸音だけ体内に広がり、ただただ、互いから目を逸らせずにいた。
(私のことがお嫌いなのかしら?)
見知らぬ誰かに一方的に嫌われる。それも、自身の夫候補からだ。そんなことを考えもしていなかったシーラ。胸がきゅっと痛んだ。
(それとも、この方に他に好きな方がいらっしゃるのかしら?)
疑問は浮かぶものの、顔を知るだけで話したことがほとんどない王子に、思い当たることは一つもなかった。
立ったまま見つめ合う二人の沈黙を裂く一声が飛んできた。
「シーラ」
二の姫ラーナの声であった。
その声に、エラリオの第一王子が踵を返す。
追う間もなく、背を向け早足で歩き去り、ラーナとすれ違った。
入れ違い、今度はラーナがシーラに向かってくる。
ラーナの肩越しに、エラリオの第一王子は、振り返りもせずに角を曲がっていった。
「シーラ。さっきの方は?」
「エラリオの第一王子様よ。名はテオドル様ね」
「では、あの方がシーラの伴侶第一候補なのですね」
「そういうことになるの。……かしらね」
ラーナの横から、彼女の傍仕えのミルドが顔を出す。
「シーラ様、まずはお着替えを。王子様方へのご挨拶準備です」
「ええ、そうね」
「手伝うよ、シーラ」
「ありがとう、ラーナ」
ラーナが差し出す手を握り、シーラは自室へと急いだ。
今宵の主役の一人であり、島国ムーナを代表する踊り手のシーラは、本日の宴で最も忙しい。前座の踊りが終わり、すぐに舞を披露して後、今度は、島国ムーナを訪れた三人の王子様方に挨拶に向かう。
踊り終えたばかりの汗だくのままでは出ていけないため、一度、着替えて後に挨拶に行くという算段になっていた。
二の姫ラーナは隻腕である。
そんな彼女はもっぱら宴席では表に出ず、裏方に回ることが多いのだ。
汗を拭き、新たな衣装に着替え終えたシーラは、ラーナの手を握った。
「ありがとう。こうやって、ラーナに助けてもらうのも今日が最後なのね」
「私が居なくても、シーラはちゃんとできるでしょう」
「そんなことないわよ。ミルドとラーナが裏方で手伝ってくれるから、私は安心して表で踊れるのよ」
「買い被りすぎだよ、シーラ」
「そんなことないわよ」
シーラはラーナの肩に頬を寄せる。
ラーナは、そんなシーラの為す任せる。
「お互い、頑張りましょうね」
「……、そうだね」
「大丈夫よ、ラーナは素敵だもの。きっと向こうでも上手くできるわ」
「どうかな。私は、隻腕だし、こんな性格だ。きっと早々に戻されるさ」
「分からないわよ。逆にラーナの魅力に虜になる方かもしれないわ」
「まさか。私が姫なんて柄じゃないのは、シーラが一番分かっているでしょ」
「その私が言うのよ。大丈夫、ラーナは魅力的よ」
「……まあ、四の姫がそれなりの年になり、入れ替われる程度の時間稼ぎになれたらとは思うよ」
シーラの脳裏をエラリオの第一王子が放った一言が浮かんで消えた。
「私だって、どうなるか、分からないことよ」
「シーラがダメだったら、誰が嫁いでもダメだろう」
「それこそ、買い被り過ぎだわ」
シーラはラーナの背に手を伸ばした。
「いつも一緒にいたのにね。会えなくなるのね」
すぐ横にいつもいたラーナ。歳近い姉妹として育ってきた二人が、こんな別れを迎えるなど想像もしていなかった。
二度と会えないとは思わなくとも、数年に一回、人生では、もう何回かしか会えなくなるのだと思うと、シーラは寂しくて仕方なかった。
ラーナは黙って、シーラの頭部に頬を寄せ、その手で髪を撫でる。
今までずっと一緒にいた姉妹たちと別れて、一人異国に渡る寂しさを抱えながらも、表ではなにも言えない二人は、ただ慰め合うように、抱き合った。
時間は押しており、感傷に浸る時間はない。
シーラは王子たちがいる宴席へと向かう。
裏から回り、主賓席に入る入り口まで、ラーナとミルドもついてきてくれた。
立ち止まる。
胸に手を添えて、深呼吸を二度繰り返した。
「行ってくるわ」
「行ってらっしゃい」
前を向いたシーラは、音楽が途切れた一瞬を見計らい、主賓席に踏み出した。