TSお姉様、来ちゃう
今話で登場するエピカは、第二章で名前だけ出ていたキャラです
「あら? いらっしゃいませ」
アートリスに店を開き、既に十年は経っている。
昔から衣服や仕立て、そして意匠を好んでいたので、好きなことを仕事に出来て幸せなのだろう。だから、常連さんは大切で愛しているし、手抜きなんて絶対にしない。仕事中化粧をしないのも、香水を嗜まないのも、衣服たちに余計な色や匂いを移したくないからだ。
「あの、見るだけでも、良い、ですか?」
自信なさそうに語る女の子、いや女性だろう客は新顔だ。そして、常連と同じくらい大切なのは新規のお客様。だからこそパルメはニコリと笑い、心からの言葉を届けた。
「勿論よ。ゆっくり見てちょうだい。気になるのがあったら何でも聞いてね」
「あ、ありがとう、ございま、す」
恐らく十台後半だろう。パルメは経験からそう判断した。片言の喋りは緊張からか、視線も余り合わせない。ふと、どこぞやの"超級冒険者様"も昔はこんな感じだったのを思い出した。最初は白金の髪も短くて、何故か少年を思わせたものだ。今や常識も泣いて逃げ出す美人さんになったが。
とりあえず、失礼のないよう観察する。同時に、似合う色や好みはなんだろうと思い浮かべた。
髪の毛は珍しい薄紅色で、フワフワな砂糖菓子(綿菓子)みたい。身長はジルより少しだけ低いくらいか。女性としては比較的に高い方へ入るだろう。
特徴は幾つか見つかる。
真っ先に上がるのは胸。その胸はもう凶器と言っていいし、下着選びも大変だと確信出来る。ジルも勿論大きいが、形や張りまで人間じゃないから比較対象にならない。だから平均的な線でも、衣服選びを間違えば太って見えてしまう、そんな双丘だ。きっと肩が凝って大変だろう。
そしてもう一つの特徴は、フワッフワの前髪から覗く瞳が糸目なことか。視線が少し分かりづらいのは、瞼に瞳孔が隠れてしまうからだ。
うん、でも結構可愛い。如何にも"女の子"なお客様に、ちょっと楽しくなるパルメだった。
最近は"常識外、いやもう女神と謳われてる超絶美人"や"ぱっと見は美少女だけど油断出来ない女の子"やら"背伸びするそばかす可愛いギルド受付嬢"とかの個性派を相手してきたので、ちょっとホンワカしていたりするのだ。
「あれ? もしかして騎士の方?」
偶然見つかった首掛け紐の先。そこには赤い炎が立ち上がり、それが二つ重なるような意匠だ。ツェツエ最高峰の騎士である"竜鱗騎士団"も盾状の鱗を二枚重ねたような見た目だから。
そして赤い炎。つまり、目の前の彼女は"紅炎騎士団"の一員だろう。全て女性だけで構成された特殊な騎士団だ。確か現在の騎士団長はクロエ=ハーディ。だが、声に反応し顔をパルメに傾けたのは、赤髪でも赤い瞳でもない。漸く見えた瞳は深い蒼色だった。
「あ、はい、まだ、新人ですけ、ど」
確かに、首掛け紐も炎の意匠もキラキラな新品に見える。
大人しそうなのに、戦いを生業にする騎士ね……パルメからしたら、そう不思議に思ってしまうのも仕方ないのだろう。
「そうなんだ。それなら今日は任務の合間かな。ほら、アートリスに来るなんて珍しいから」
「ええ、そう、です」
「探してるのは普段着? それとも装備用? あとは、好きな人に見て貰いたいとか」
「……装備用、も、あるん、ですか?」
「勿論。この店には冒険者も来るし、あつらえ品だって大丈夫よ」
あつらえ品、つまり専用の受注生産だ。身体のつくりは一人一人違う上に、好みだってバラバラ。だから一点ものを望む客も多い。まあそのぶん割高だ。ちなみに、魔剣が装備する魔力銀製のアレは例外中の例外になる。
「冒険者……」
ボソリと溢した声に、僅かな喜悦が混じったのは気の所為だろうか。何故なのか、パルメはほんの少しだけ鳥肌が立った。
「……え、えっと、何か気になった?」
「エピカ」
「え?」
「名前」
いきなりの自己紹介に益々パルメは混乱する。何とか冷静を保ち、とりあえず応えてみるしかない。
「えーっと、私は……」
「知ってる。パルメ、さん、でしょ?」
「ああ、うん。表の看板に書いてあるものね」
此処は「パルメの店」という、ある意味安置な名前だ。
「ジル姉様がこのアートリスに来て最初に訪れたお店。そのあとも常連になって、魔力銀の装備もパルメさんに頼んでる。あの人が信頼する数少ない女性の一人だから当然ですね。もうそれだけで、アートリスで用意する衣服は此処でしか買えません。今日は視察なのが残念です。今度有金を全部持って来ますので、ええ」
パルメは絶句した。
いきなり流れるように喋った上に、一歩ずつ近寄って来るからだ。糸目がグワリと開き、深い蒼色に呑み込まれそうになるのが怖い。気付けば壁に背中が当たり、逃げ道も無くなった。知らないうちに後退りしていたらしい。
「ご友人のお一人であるリタさんも最近はよく来店されますよね。冒険者ギルドの受付嬢と言えば花形と言っていいお仕事。そんなリタさんが足繁く通うお店ならば尚更です」
早い。凄く早口で、息継ぎ無く話し切った。さっきまでの片言は何だったんだと問い正したい。けれど、パルメはやっぱり絶句したままだった。だって怖いもん。
「はあ……ジル姉様はどんな服を、どんな下着を選ぶんですか? 出来るなら同じ物を、いえ私などが着熟すなんて不可能ですね、あの方とお揃いなんて不遜の極み。でもでも、一度くらい。そうだ、ジル姉様のお古で良いのでありませんか? ほら下取りとか、どんな高値だろうと買い取ります。ああ、洗濯なんてしなくて良いですよ、必ずそのままでお願いします」
もう触れ合うんじゃないかという距離で、鼻息まで荒いのだ。最初は"可愛いらしい子"なんて思った自分を殴りたいパルメ。でもやっぱり動けない。だって凄く怖いもん。
「はあはあはあ、この手で、ジル姉様の素肌に触れたんですか、ですよね? ああ、なんて尊い、なんて神々しいのでしょう」
撫で回される手だけじゃなく、身体中に寒気が走る。もうパルメは怖くて目を思い切り瞑っていた。だってもう見たくないもんね、あの糸目に隠れた深い蒼色を。
ああああ! ジルってばまた濃いのと知り合いなんだから! 何なのよこの娘は! いくらジルだからってヤバ過ぎでしょうよおぉぉぉ!
そんな心の中の叫びは、決して外には吐き出されない。だって……以下同文。
「パルメさん?」
「は、はいぃ」
恐る恐る瞼を上げてみる。すると、いつの間にか数歩分離れ、空気感まで落ち着いていた。また気弱そうな女の子に戻っている。
もっと怖いんですが!
パルメの心の叫びは喉から吐き出されない、そう絶対に。
◯ ◯ ◯
「失礼、しまし、た。つい」
暫くプルプル震えていたパルメだが、漸く落ち着いて来た。つい、で変わるには度が過ぎるが。
「ええっと、貴女はジルと知り合いなんだよね?」
「ええ、まあ。正確に、言う、とパパが」
「パパ?」
「意味は父親、です、ね」
いや、分かるから。そうじゃなくて、パパって誰だよって意味ですけれど。そんな内心の疑問は続くエピカの声で解決を見ることになる。ツェツエでは相当な有名人だったからだ。
「えっと、はい。パパの、名前は、コーシクスで、す。家名、はバステド。なので、私は、エピカ=バステド、に、なります」
「コーシクス=バステド……って、もしかして剣神⁉︎ 竜鱗騎士団長の!」
「違い、ます。副長です、団長は、ツェイス殿下、ですよ」
つまり、ツェツエ最強の剣の使い手、その娘が目の前のエピカだった。コーシクスは、もし冒険者であれば六人目の超級に到るだろう剣の申し子。かの剣聖サンデル=アルトロメーヴスと互角に渡り合うと言う。
「うわー、有名人の一人娘さんね。何だか不思議な気持ちになるわ」
「違い、ます。私は次女、なので。姉がレーテ、妹がシシー、です」
「ああ、そうなんだ。でも何となく分かったよ、ジルとの馴れ初めが。お父様と試合とかして、それを見て憧れちゃったって感じかな」
コクリと小さく頷き、エピカは頬を染めつつ話し始めた。
「私にとって、パパが負ける、姿、なんてある訳、ない、筈でした。でも、四年前、ジル姉様、が降臨、したの、です」
降臨? 聞き間違いだろうかとパルメは思ったが言及しなかった。もう糸目は天を向き、まるで女神が何処かに現れたのかと錯覚しそうだ。
「どこま、でも、美しかった……そして、強かっ、た。今で、も、鮮明に、憶えて、ます。ちょうど、今の私、と同じ年齢、だったのに、ジル姉様は、本当に、綺麗、で」
十台後半と予想したパルメの勘は当たったようだ。四年前であれば十八歳の頃だが、ジルはまだ超級になっていない。だが魔族侵攻や古竜襲来のあとだから、もう名は売れていた。
恍惚とボンヤリ見る先には、ジルの戦う姿が映っているのだろう。憧憬、信仰、そしてドロリとした欲望も隠していない。欲望……同じ女性でしょ?と言う疑問は意味を為さないのだ。ジル自身がターニャと言う少女を愛しているのだから。だが、ジルからフニャリした子供っぽい愛を感じても、エピカのようなドロドロした欲求を顕したりしなかった。それが、ジルとエピカの違いとパルメは確信する。
うわぁ、ターニャちゃんが居たらどうなっただろう。修羅場? それとも……
何かを想像したパルメはまた震えてしまう。
目の前にいるフワフワ髪のエピカも中々だけど、ターニャちゃんは一筋縄じゃ済まない娘だし……そんな風に思考を深めたとき、エピカが何かを言った。
「予定、では、そろそろです。パルメ、さん」
「ん? そろそろ?」
「私、偶然ここに来て、偶然、出会う、お願いしま、す」
そう言うと、エピカは店の奥にある陳列棚の後ろにしゃがんだようだ。お店の正面からは見えないだろう、フワフワ髪の糸目な彼女が居ることが。
「まさか……」
"予感"と言うか、もう間違いない。
「パルメさーん」
「ちょっと聞きたいことがありまして、来ちゃいましたよー」
「あ、いたいた。こんにちは、パルメさん」
聞き慣れたソレは、ほんの少しの幼さと妖しい艶を併せ持っている。そして人柄通りの温かみを纏う声だ。
見れば、白金の長い髪。宝石を依り集めて糸にしたような輝きが眩しい。その意味を知ってしまった水色の瞳は、やはり綺麗なまま。"女神"との例えは決して馬鹿げた話じゃない。高めの身長も、長い脚も、シミ一つ見つからない白い肌も。
全てが美しい、超級冒険者にして、二つ名は魔剣。
ジルが、お店の正面扉を開けて、明るい笑顔を浮かべていた。