3. 始まりの逃亡③
シリュウの案内で宮廷の廊下をしばらく走り、何個目かの中庭を通り過ぎると、とある小部屋に入り込んだ。
物置部屋として使われているらしく、棚に古い書物が並び、床には荷箱や壺が雑多に置かれている。
「少し、離れていてくれ。」
ヨウリが後ずさると、シリュウは壺を1つ抱え、おもむろに床へ叩きつけた。
派手な音を立て散乱した破片の中から、突起のついた石製の棒を拾い上げる。
一見するとただの棒だが、無数についた四角い突起は、何か意味がある様に思える。
ふと、ヨウリは背後の棚にある、さやに入った短剣に気がついた。
「(そういえば私、武器を何も持っていない…)」
手に持っていた赤い巾着を腰に巻きつけ、短剣を持つと、そのまま自身の懐に入れた。
硬い感触に気を取られたが、無いよりはマシだろう。ヨウリは、服越しに短剣へ手を添える。
「(大丈夫、出来るわ。いざとなったら…)」
目を正面に戻すと、シリュウは先ほどの棒を床に差し込んでいた。
どうやら、箱が置かれて隠れていた場所の様だ。
差し込んだ穴の周りに薄っすらと切れ目が見える。
シリュウが棒を回し上に持ち上げると、分厚い床石が外れ、人がやっと2人通れるぐらいの穴ができた。
「殿下の隠し通路だ。地下だから息苦しいけど、あまり息を吸わないで。」
顔を強張らせながら中を覗くと、3メートルほど下に、横穴が続いていた。
シリュウは床石から棒を引き抜き、床に叩きつけ割った後、穴の側面についた突起に足をかけ、ヨウリに手を差し伸べる。
「(怖い…。けど、覚悟を決めなくちゃ…)」
気を奮い立たせ、ヨウリはシリュウの手を取って、暗い穴の中へ足を伸ばした。
◇
シリュウが床石をはめ直すと、穴の中は完全な暗闇に包まれる。
一番下まで降りてからも、少しの光すら感じられない。
「大丈夫だ。俺に着いてこれるか?」
すぐ近くにシリュウの声が聞こえる。
「思った以上に何も見えないわ…。」
「手を繋いで行こう。ほら。」
手を前に差し出すと、しっかりと手を握りしめられる。
そのまま、シリュウに手を引かれて、ゆっくりと歩き始めた。
硬い床に響き反響する足音が、より不安を掻き立てる。
ヨウリの頭の中に、先ほど聞かされた話がぐるぐると巡る。
「(お母さんが、龍の生贄…。一体どうゆうことなの…?)」
五歳の時、その日もいつもと変わらず、母の語る昔話を聞きながら一緒に眠ったはずだった。
そして朝になってから気がつくと、母はどこにもいなくなっていたのだ…。
あの時はびっくりして、しばらく1人で泣き喚いていたのだった。
今まで、どこかで生きていると、理由があって遠くに行かなくてはならなくなったのだと、そう信じていた。
“さあ、母が居ますからね。安心してお休み。”______
頭を撫でる優しい母の顔と、先程の父の顔が重なる。
「(お父さんも、大丈夫かしら…。)」
考えてはみるものの、自分がおよそ命を狙われて危険な状態に、どうして父が安全だといえよう。
そう思うと、罪悪感に苛まれて胸がきゅっと苦しくなった。私だけで逃げてきて本当に正解だったのだろうか。
両親を2人とも失ってしまったら、私は…
あまりの心細さに、繋がれた手に力が入る。
すると何も言わず、シリュウの手がヨウリの手を包みこんで握り返した。
言葉は無くても、シリュウが慰めてくれたような気がして、心が温かくなる。
「(大丈夫。お父さんも、きっと死ぬ事はないわ…。)」
繋がれた手が温かくて、緊張が少し和らぐ。
「(シリュウさんにも、着いてきてもらって悪いわね…。案内が済んだら、お父さんの所に戻ってもらおう。その方が何かあった時に心強いし、うん。私は大丈夫。)」
再び胸に手をやる。埃びた短刀が、なぜか今は心強い。
ヨウリはこれからの未来に覚悟を決めて、しっかと前を見据えた。
_____短刀が懐の中で、淡く発光しているのには気付かずに。
◇
随分長いこと歩いてから、シリュウは突然歩みを止めた。
ヨウリはそれに気付かず、止まる前に背中に当たってしまう。
「あっ、ごめんなさい。」
「いや、大丈夫だ。…ちょっとここで待っててくれ。」
どうやら行き止まりだったようで、シリュウは壁を確認すると、来た時と同じように上まで登ってゆく。
重い石の床を開ける音と共にパッと光が指したかと思うと、シリュウとは違う、若い男性の声が飛んできた。
「ああっ!よかった。来てたんですね。」
「ああ。でも、すぐに追っ手が。」
ヨウリが、久々の光に安心しながら上を見上げると、シリュウはすぐに降りてきて、上に上がるように促した。
不安定な凹凸に足をかけ、ゆっくりと登ってゆく。
「よくおいでくださいましたね。守護者様。」
上まで上がって顔を出すと、先程の声の主がこちらに手を差し伸べた。
どうやら代理官の様で、身なりの整った聡明な顔立ちをした若者だ。
出てきた場所もどうやら室内の様だが、小庭に通じる扉が大きく開け放たれていて、新鮮な風が吹き込んでくる。
「(守護者様、って…、私のこと?)」
言葉に疑問を感じつつ、ヨウリは男の手を取って、体を引き上げた。
「あの、ありがとうございます。」
「いいえ。でも心配しておりました。監網省の者が来たと聞きましたから…。」
若者は、穏やかな顔でヨウリに微笑みかけた。
後ろでは、続いて登ってきたシリュウが、床石をはめ直している。
「ここには、まだ来てないか。」
「ええ。今のところは。正門からかなり離れていますからね。」
どうやら2人とも知り合いの様だが…、もしかすると父の言っていた人間は、この人だろうか?
「あの…、すみません。私、父に言われて、シリュウさんに…」
「ああ、全て存じておりますよ。ヨウリ様。」
「えっ、私、様をつけられるような身分じゃ…」
さも当然かのように若者は、頭に?を浮かべて、首を傾げた。
「ヨンハク、悪いけど、まだ彼女に説明できてない事が多いんだ。」
「ああ、そうでしたか。それではその話はこちらでいたしましょう。どうぞついてきてください。」
言われたままについて行くと、ヨンハクと呼ばれた彼は小庭に出た。
そこには大きな池があって、睡蓮が綺麗に花を咲かせていた。池を取り囲むように塀があり、その正面にアーチ状の穴が空いている。建物の裏から流れる水が、どうやらそのまま川として流れていっている様だ。
淵には、ヨウリが使ってきたような小舟が浮かんでいる。
「いつの間に用意したんだ。舟なんて…。」
「ふふ、必要になるかと勘が働いたものですから。」
そう言いながら小舟の側までよると、3人で小舟に乗る。
先頭に陣するヨンハクが、2人が乗ったことを確認してからヨウリに話し始めた。
「この池は、渾呍川という大河に繋がっています。しばらくご案内いたしますね。」
ヨンハクはそう言って、片手を舟に触れて囁いた。
「運航」