2. 始まりの逃亡②
龍の生贄。
コンリの言葉が、衝撃となって体を打ち付ける。
「それは、一体…」
震えた唇で尋ねると、コンリはゆっくりと口を開く。
「遠い昔、この地に龍が降りてきた時、龍の眷属となった一族がいた。十数年に一度、その家から娘が生まれると、適齢期になってから贄として捧げる。今の時代、あまり知られていない事だ。ユマイはその家系の娘だった。」
コンリの言葉が、重く胸に沈み込む。
この地に降り立った龍は、国に安寧と繁盛をもたらす。それほどまでに重要な存在だった…
幼い頃から昔話で聞いてきた事だが、生贄を捧げる風習が未だに残っていたなんて信じられない。というより、信じたくなかった。
「龍なんて…古い言い伝えじゃないの?」
すがって尋ねるも、コンリは、首を横に降る。すると隣から、シリュウの声が低く響いた。
「龍は生きてる。昔から今まで、人間と同じ様に子孫を残して受け継いでいる。」
感情を殺すように前を向いたまま話すシリュウを見て、ヨウリは気が遠くなる。
「私も、知らなかったんだ。津硃を任されてから、初めてその日、太子らも集まって…行くと、ユマイが…」
愛する人が贄になる瞬間、その場にいながらも何もできなかった。コンリは、グッと歯をくいしばる。
ヨウリは、母が死ぬその瞬間を想像して、息がつまった。
「(どうゆうことなの?そんな、お母さん私には何も…。)」
息を短く吐いて、コンリはおもむろに席を立つ。
そして後ろにあった棚から何かを取り出すと、ヨウリの前に置いた。
「これをお前に託したい。…ユマイの物だ。開けてみなさい。」
金の模様が入った赤い巾着袋に、拳の大きさ程の何かが入っている。
ヨウリはそっと紐を解くと、慎重に中のものを取り出した。
赤を基調とした正方形の箱に、重厚感のある煌びやかな龍の装飾がが浮き彫りになっている。
そして龍が意味ありげに囲っているのは、はめ込まれた大きな翡翠の宝石だった。
「(…綺麗。)」
そっと翡翠を撫でる。石に何やら見たことのない紋様が浮かんでいる。
シリュウが、何かを思い出したかの様に顔を背ける。
ヨウリはそれに気づかず、今度は箱の側面を見る。
4面にそれぞれ一つづつ、蓋にはめ込まれている翡翠より一回り小さな窪みがある。
中を開けようと力を入れても開かないあたり、この窪みや蓋の装飾に何か仕掛けがあるのだろうか。
「中には何が入っているのか分からないんだ。でもそれは、入れ物自体にも意味を持つようだね。」
コンリにそう言われて、再び蓋の装飾を見る。
龍の目は、赤い。
ふと、何か懐かしさの様なものを感じたが、それが何なのかは分からなかった。
コンリが、冷静でいながらも少し焦った様に話し始める。
「ヨウリ、実はもう時間がないんだ。お前はまだ適齢期ではないから、油断していたけれど…」
突然、ヨウリの背後の扉がけたたましく開かれ、先ほどの門兵が切羽詰まった様子で入ってきた。
「太子殿下!監魍省のものが門のところまで来ております!」
「分かった。すぐ行く。訪問室までお連れして。無理矢理にでも構わない。」
コンリが早口でそう告げると、門兵は短く礼をして駆け足で出て行った。
「(監魍省…?そんな部署、聞いたことがない…)」
あっけに取られたヨウリの肩に手を置くと、コンリは顔を近づけて、目を真っ直ぐに見つめる。
子を教えさとすような父の真剣な表情に、ヨウリはびっくりして見つめ返した。
「ヨウリ、強くありなさい。これから先、生きることを諦めては駄目だよ。」
そしてコンリは、先ほどの巾着に入った箱を、手に添え、言った。
「“龍の通り道を行きなさい“。…シリュウ、頼めるね。」
「はっ。」
シリュウが跪いてそう言ったのを見て、コンリは安心した様に頷いた。
確実に只事ではない事が起きているのに、ヨウリには内容を察する為の情報がほとんど無い。
自分から何かしなければならないと思いつつも、事の展開を見ていることしかできない自分が、歯がゆかった。
「どういうこと?一体…何が起こってるの?」
混乱する頭で尋ねるも、コンリは微笑みだけで、何も言わない。
それが尚更不気味だった。何か嫌な予感がする。
気持ちを察したのか、コンリは微笑んだまま頷いた。
「私は大丈夫だから、彼と一緒に走りなさい。聞きたいことは沢山あるだろうけど、ちゃんと詳しく教えてくれる人がいるから、その人に聞くんだ。」
ヨウリは、コンリの瞳に何か強い意志を感じて、動揺しながらも確かに頷いた。
シリュウと共に、ヨウリが部屋から出て行く。
部屋は水を打ったように静かになった。愛しい娘を思いながら、先ほどまでの記憶を思い起こして、長机を撫でる。
初めてあの子を抱えた時、赤子とはなんて温かくて愛しいのだろうと感動したものだった。
そして同時に、儚いこの子を命に代えても護ると、そう決意したのだ。
考えながら、コンリの頭に声が響く。
”あの子を護って!コンリ…“_______
「ああ、護るとも。決して殺させやしない。私たちの娘を…」