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「倒せていなかったみたいね」
「そのようだ」
シリンは香音を庇いながら、香音はシリンの背に隠れながら、走っていく。
追ってはいる。だが、その差は縮まらない。
時折、牽制するように攻撃が放たれるが、それは問題にはならない。
「このまま追うべきか」
「誘われているとか?」
「かもしれない」
「なら、立ち止まってみるとか?」
「妙案だ」
シリンは、そう言うと、歩道から外れ、林の中へと入り込む。
大樹の幹を背に、周囲の気配を探る。
「私はここで待ってるから、シリンは追いかけて」
「だが」
「拉致があかないでしょ?」
シリンは、数瞬、考え、そして、小さく頷いた。
「絶対に動かないこと」
「わかりました」
香音が頷くと、シリンは身を投げるように駆け出し、瞬く間に闇へと紛れた。
音が消え。虫たちの鳴き声がゆっくりと広がっていく。
香音は、瞳を瞑り、息を潜め、耳を済ませる。
奏でられる自然の交響曲は、ただ美しく快かった。
鼓動、吐息。己の音を意識し、心を鎮める。
凪の中に沈もうとする。その時だった。
香音は、その異変に、はっとした。
静穏は、前触れもなく、失われていた。
惑うしかない。
低い音と共に、空気が揺れ、木々がざわめく。
この周囲からではない。
遠く彼方から響いた轟音の残滓が世界を一転させていた。
「何が起きているのかしらね」
風紀委員の言葉、襲撃者の影、そして、シリンの存在。
考えても、そこに答えはない。
「待つしかないか」
すぐに駆け出したくはあったが、シリンのことを考えると、そうもいかない。
香音は静かに、身を潜める。
再び訪れようとした静穏は、またしても破られる。
草木を揺らす音がした。
乱れた足音が近づいてきていた。
香音は、そっと様子を窺う。
目は闇に慣れてきていたが、それでもはっきりしない。
顔や姿は曖昧で、ただ輪郭からそこにいるのが人であるということが判った。
呼吸音は荒い、怪我をしているのかもしれない。
人影は腹部を抑えているようにも視えた。
「逃げられないぞ」
誰かの声が響いた。
人影は声に怯えるように揺れ、そして、地面に蹲った。
身を隠そうとしたのか、いや、そうではない。
すぐに立ち上がり、走りだそうとした。
だが、それは許されなかった。
その背を閃光が撃ち抜いていた。
何が起きたのか、香音には解らない。
ただ、吐き出しそうになった音を、どうにか堪えた。
口元を抑え、胸の鼓動を鎮める。
人影は、崩れるように地面に倒れ込み、起き上がる様子はない。
恐ろしい場面に、遭遇しているのではないか?
そんな不安が、香音の背筋を冷たく撫ぜる。
「助けてやったというのに、手間を掛けさせないで欲しい。
我々の存在が知られると、まずいのは解るだろう?」
女性か、或いは、若い男性か、そんな高い声だった。
姿は視えない。
「うっ、ぐっ」
人影は、小さく呻き声を上げ、そして、動かなくなった。
「確保した。連れて帰る」
声は虚空に語りかけると、人影を軽々と持ち上げ肩に載せた。
「白兵戦では話にもならないか、由々しき問題ではあるな」
声はやれやれと呟き、そして、足音は去っていた。
やがて、虫たちが歌いはじめ、それから、香音は深くため息をついた。
「まったく、何が起きているのかしらね」
香音は、へなへなと座り込むと、呆れるように呟き、天を仰いだ。




