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「何も起きないね」
「そうだな」
香音の足取りは軽やかだ。
シリンの表情も穏やかだ。
二人の深夜徘徊は既に日常になっていた。
何故、襲われたのか?
偶然か、或いは、必然か。
探し求めるように、二人は歩きはじめた。
それすらも未だ答えは判然としない。
寮に門限はなく、深夜の外出を咎められることはない。
学生の自由な生活を尊重する姿勢が、ここにも現れている。
前提として、島内の治安が極めて良いからこそのことだ。
事件発生の前後には、一時的な制限が課されることもあるが、現状ではそうなっていない。
香音とシリンは、襲われたことを学園に報告してはいなかった。
「学園に相談したほうがよかったのかな?」
「正気を疑われるだけだろう」
「うーん、そうだよね」
香音は、出会いの夜を思い返し、首をひねる。
「ただ襲われたとか、そういう曖昧な説明しかできそうにないし」
不可視の刃による攻撃。
あれがどういう現象であったのか、襲われた当事者でさえ理解できていない。
「健全に生きてきたつもりなのに、不本意だわ」
香音の言葉に嘘はない。
そういう存在だと悟られた覚えもない。
少なくとも、自覚してはいない。
「シリンは?」
「ない筈」
「筈ね」
深夜徘徊をはじめることを提案したのは、シリンである。
理由がわからない以上、自らの身を囮にして、敵を誘うしかない。
それが、シリンの主張であった。
「標的は、私か、香音か」
「或いは、偶然かも? 誰でもよかったとか」
「かもしれない」
「それに考えても、意味がないのかも」
「どういうことだ?」
「どかーんとしたでしょ? あれで倒しちゃったのかも?」
「かもしれない」
「だから、私たちは、ただ夜の散歩を楽しんでいるだけ」
香音は、縁石に跳ぶと、サーカスの綱渡りのように手を広げて歩いてみせる。
「いやなのか?」
「いいえ」
香音は、きっぱりと否定する。
むしろ、この凪のような時間が、ずっと続いて欲しいとさえ思っていた。
「襲われて、捕まえて、どうするの?」
「話を聞く」
「それから?」
「考える」
「シリンは、面白いわ。
考えているようで、考えてない」
「答えが出せないことを考えても意味がない」
「確かに、そうかもしれません」
とりとめのない会話を続けながら、二人は夜道を歩いて行く。