第六章 ネコモリサマ #3
「それにこの猫も可愛い。なんて名前なの、この猫」
素子さんが、翠の方に関心を移す。
「ミドリです。濱野翠」
「あー。目にグリーンが入ってるから、ミドリなのね。可愛い!!」
「いえ! 翡翠って漢字の下のほうの翠です!」
と強く否定する。
あれっ? 私なんで素子さんと張り合ってるんだろう。
素子さんは一瞬驚いた顔になったが、直ぐに何かに納得したように。
「あー、なるほどね。分かった分かった」
と言って私と三笠くんの顔を見比べてから
「あー、残念。三笠くん、私のお婿さん候補だったんだけどな」
と笑う。
「なに言ってるんですか」と三笠くんが苦笑い。
素子さんは、それを聞き流すようにして、私に向かい真顔で
「ガンバ!」と声をかけた。
いったい何を頑張れっていうのだろうか?
「ところで、ご注文は何になさいます?。こちらで食べていかれますよね」
と素子さんが商人の顔になる。
「それがー。今日来たのは、猫守神社を見せて貰うためなんです」
「そうなの。いいよ。場所は知っているよね。私は店番があるから、お二人さんで
行ってくれる」
「はい。じゃぁ、失礼して」
三笠くんが手招きするので、ついていく。
喫茶室の奥の引き戸を開けると、小さな和風庭園がある。
そこにも椅子とテーブルが置いてあり、お茶が愉しめるようになっている。
三笠くんは、椅子を素通りして、庭園の奥に進むと木の茂みの下で佇んでいる。
私が三笠くんの隣に並ぶと
「これが、猫守神社」
と三笠くんが囁いた。
木の茂みに挟まれた向こうに、人の胸の高さほどの祠がある。
思いのほか新しいようだ。
正面に観音開きの扉がある。格子の向こうには御神体があるのだろうが、暗くて
よく見えない。
祠の両脇には、狛犬があるが、よくよく見れば犬ではなく猫の顔をしている。
「これが、猫守神社?」
「そう。昔は、もっと広い境内があったんだけど、再開発の影響でここに移され
たんだ。仁連屋さんの先祖も、元は神主さん兼務だったらしい」
「三笠君、詳しいね。なんで、そんなことまで知ってるの?」
と素朴な疑問を口にする。
「さっき、民間伝承が好きだって言ったろ。猫守神社の事は小学生の頃に先生に
聞いてたんだけど、高校生になってから自分で色々と調べてみたんだ」
「そうなんだ」
「そして、仁連屋さんに行き当たった。猫守神社の由緒は、仁連屋さんの社長。
素子さんのお父さんにあたるんだけど、その人から話を聞けたんだ…」
三笠くんは、そこで意味ありげに言葉を区切る。
私は、ゴクリと唾を飲み込み。
「じつは、猫守神社の由緒話と濱野さんの話が驚くほど似てるんだ」
そういって、三河くんが話してくれた猫守神社の由緒話は次のような話である。
正徳五年。今から三百年ほど前。江戸時代、七代将軍徳川家継の時代。
仁連佐七という商人があった。
旅の途中で猫守神社に差し掛かったとき、暴れ馬に撥ねられそうな猫を助けた。
その晩、佐七の夢枕に猫が現れ、助けて貰った恩返しに願いを叶えると言う。
佐七は知恵者だったらしく、猫と旅を続けるうち、猫の叶える願いで大いに財を
なした。
その後、佐七と猫が再び猫守神社を訪れると、猫は何処へともなく消え去った。
佐七は猫への感謝を忘れず、この地に新しく猫守神社を建てて、篤く奉った。
「その話、私のとそっくり…」
「だろ。だから、ここに何かの手掛かりがあるんじゃないかと思う」
私の心が軽くなった。
ほんの少しだけ、光明が差した気がする。
ニャァ。
抱きかかえていた翠が体をモゾモゾと動かした。
翠も何かを感じているのだろうか。
「どうしたの」と声をかけると、翠は私の胸から飛び降りて、祠の前に座る。
背筋を伸ばしている姿は、猫盛神社に対して何かを訴えているように見える。
「翠も…何か感じてるんだね…」
「さて、次はどうしようかな。濱野さんの見た髭の猫がこの辺りに居れば良いん
だけど」
「うん」
「素子さんに、訊いてみようか。知ってるかもしれない」
「そうだね」
私たちは、店の戻るため祠に背をむけて歩き出す。
ニャァ。
翠の声。
振り返ると、翠は祠の前に座ったまま、首だけを私の方に向けている。
「どうしたの。一緒に行こう」
と声をかけてみたけど、動こうとはしない。
私は翠の隣にしゃがむ。
「行こう」
やっぱり、翠は動かない。
そうか、猫盛神社に来たのに何にもしないのは失礼だよね。
そう思って、しゃがんだまま胸の前で手を合わせ、目をつぶる。
「猫守さま、猫守さま…。…で良いのかな? 私です、濱野美寿穂です。今朝は、
夢だと思って、翠を猫にする御願いをしましたけど、あれは間違いです。どうか、
翠を人間に戻してください。お願いです」
心の中で、そう願をかけた。
サーッと一陣の風が吹き抜ける。
周りが急に静かになったような気がする。
ゆっくりと目を開けると、私は真っ白な風景の中にいた。