雪の中の足音
こんなにたくさんの雪を見たのは、何年ぶりだろうか。
窓の外には、目の細かい雪が狂騒のように舞っている。
今日は、どこもかしこも異常な大雪。雪のあまり降らないこの辺りも例外ではなく、元からよく吹く強い風も合わさり、強烈な吹雪になってしまった。
電車はとうに止まり、駅員である彼も駅舎に閉じ込められたようなもの。時間も遅く、この天気なら利用客もいないので気楽なもの、と思っていると……。
「どこのどいつだ? こんな日に」
線路をはさんだ向こう側のホーム、待合室の照明がついて人影が見える。
照明のある場所だが、空調はついていない。風を遮る壁があるだけ屋外よりマシではあるが、この気温では大差ない。
跨線橋を渡って駅員がそこに向かうと、大きなカバンを抱えた男がそこにいた。外套と襟巻き、帽子に手袋と防寒具は身につけている。
事情を聞けば、今日電車で移動をするはずがこの雪で足止めを食らい、宿も取れずに途方に暮れているのだという。
寝具こそ無いが、駅舎なら暖房がある。凍え死なれては困るからと、駅員は彼を駅舎の中へと案内した。
「地獄に仏とは、まさにこの事。本当にありがとうございます」
沸かしたばかりの湯で入れた茶。熱すぎて渋みも出てしまっているが、凍え疲れた男の体にはその苦味すらありがたい代物だった。
「ほんの一時とはいえ、よくもまああんな所に」
最悪はあそこで夜を明かすつもりだったと聞いて、駅員としては呆れるほか無かった。
一応男はハンディウォーマーを持っていて、これから使うつもりだったそうだ。だが、今夜の寒さ相手にはそれでも辛かっただろう。
「あまり、人を頼れない事情がありまして」
「凍死するかもしれんというのに?」
「……作り話のように思われるかもしれませんが、聞いてください」
ある故郷での出来事、それが男に無茶をさせた。
彼の故郷は、この辺りと違って雪のよく降る大きな山の麓。ひとつの変わった決まりを除いて、どこにでもある普通の田舎だった。
「何というか、迷信みたいなものなんですけどね。『雪だるまを作っちゃいけない』んですよ」
「へぇ、聞いたことないな」
特定の地域独特の風習というものはままある。
これもそういうものの一つ、なのだろう。
「さらに言えば、作っちゃいけないのはある程度以上に大きな雪だるまです。雪うさぎやかまくらのように、人の形に近づけようとしなくてもOK」
何故、そんな決まりがあるのか。
地域に伝わる、山に棲むものの存在がその理由だ。
山の神、と言えるほどに良い性質ではない。とにかく人を己の下へ止めようとする傾向があり、山に登った人を迷わせてしまうこともあれば、なにか用事を作って山に引き寄せようともする。
「だから毎年お祭りをして、身代わりの人形を送りおとなしくしていてもらうんです」
人を模ったものというのは、厄を肩代わりさせて人の身を守るため、神霊を憑けるために使われる。
神とやり取りをするための祭りには、手順のひとつひとつに意味がある。誤った手順を踏めば当然、伝わる意図も反応も誤ったものとなる。
大きな雪だるまを作るという行為は、山に棲むものへ意図しないメッセージを送るということを意味する。そして、この行為に対する反応は……
「わたしは『それ』に、目をつけられてしまいました」
幼い頃の男は、周囲の人から隠れて雪だるまを作ってしまった。
何が起こるのかを伝えられず、ただするなとしか言われていなかったので確かめたくなってしまったのだ。
もちろん、作った直後に何かが起こるということはなかった。すぐに証拠も隠滅して、だれにもばれてはいない。
妙なことが起こりはじめたのは、起こりはじめたことに気がついたのは一月ほど時間が経ってから。雪の降る日に限って、後ろからついて来る足音が聞こえるようになったのだ。
それも気がついた時点では「もう一人分の足音が聞こえるような気がする」という、気のせいと思える程度のものだった。
しかし時間が経つにつれ、段々と追跡者の存在感は増していく。何かの影が視界の端に映るようになり、家の中でも外にいる何かの気配を感じるようになり。
そしてそれらの現象は幻聴や幻覚などではなく、周囲の人間にも知覚できるものだったため、ようやく彼のしたことは発覚した。
「それで、お祓いか何かを受けたと?」
「一応、そんな感じの事もやりはしましたが……もう手遅れだったんです」
窓が、大きな音を立てた。吹雪がガラスを叩いた音か、あるいは別の「なにか」か。
音に注意の向いた意識が、別の音にも気がついてしまう。
窓の外から聞こえる、雪を踏む音。足音としか思えない間隔で、何度も聞こえてくる。
駅員は何かの姿を確かめようと窓に手をかけ、ふと気がつく。
何かが中に、入ってくるのでは。
「窓を開ける程度なら大丈夫ですが、外には出ないでください」
駅員の頭に疑問が浮かんだタイミングで、男が答えを口にした。
「あれは、天幕一枚でも遮るものがあれば中には入ってこれません。たくさん人がいる場所ならば、わたしを見間違えることもない」
雪の降り積もるところでなければ、追跡はされない。普通に町中で泊まる分には、雪が降っても問題ない。
この場にある問題は、ただひとつ。
「ただ、おそらくなんですけど……駅員さんとわたしの年、近いですよね」
お互いに、そこそこ年のいった男同士。体型もそう変わらない。
「この『何か』が、間違えて俺を連れていくと?」
「かもしれません。……こういう事情があるから、頼れなかったんですよ」
気味の悪い怪現象が、一晩中起こり続けることになる。意図せず身代わりにしてしまうかもしれない。
だから、屋根のある所で一晩凌ごうとしていた。
「まあ、もしもの話です。こうなってしまっては、わたしにもどうしようもない」
どうにか出来る力があれば、追われ続けているわけがない。
「今夜一晩、どうか耐えてください」