初恋
初めて死に直面したのは私が八歳の時でした。当時飼っていた犬が年老いて死んだのです。今でもその時の情況を思い浮かべることができます。クリーム色のシーツの上に横たわった犬の死骸を囲むように私は三歳上の姉と立って見下ろしていました。姉は隣でこの世の終わりを嘆くかのような大声を出して泣いていたのをよく覚えています。母はそんな私と姉を慰めるために私たちの肩を抱き寄せて、細長い指で私の目から涙を拭いさってくれました。確かに私はそのとき泣いていました。声の大きい姉には負けましたが、それでも自分なりに大きく嗚咽を漏らして泣きました。でもそれは決して悲しかったから泣いていたわけではありません。それが正しい行動だと思い、一生懸命泣いたのです。実際にそのとき思っていたことは別にあります。私は我が愛犬の死骸を見ながらそのとき心の中でこう呟いたのです。
死とはなんて汚いのだろう。
公園で駆け回っていた脚に力はなく、半開きになった目からは生気が感じられず、口からだらしなく垂れた舌はあの愛らしかった顔を不細工にしてしまって、私は悲しみよりも嫌悪感を抱きました。一刻も早くこんなモノ捨ててしまい、家の中に置いときたくないと思いました。しかし、姉と母の手前そんなことは言えないと理解し、悲しむふりを演じ続けました。
その後もいくつかの死と直面したとき、私は似たようなことを感じました。学校の校長が死んだときも、近所の老人が死んだときも、祖父が死んだときも、私は死に対してどこまでも冷めた目で見ていました。しかし、初めて死へ感じた嫌悪感は次第に薄れていきました。成長するにつれ死に免疫が持てたのでしょうか。最終的には何も残りませんでした。葬列に並んで棺の中から覗いた祖父の顔を見ても私は何も感じませんでした。ああ、死んでるなと思っただけでした。今では棺に入った祖父の姿を思い出すこともできません。顔が白く、枯れ果てた巨木みたいだなと思ったのを覚えているだけです。
死とはなんてつまらないものなのだろう。
私はそう思うようになりました。
私は自分が他と少しズレているとすぐに気づきました。周りの反応を見ていればそれは容易いことでした。そこで一つはっきりしておきたいことがあります。私は決して死を冒瀆するつもりはないということです。死んだ者と二度と会えないという悲しみは深く理解しているつもりです。しかしそれを心で分かち合えなかっただけのことなのです。皆みたいに純粋に死へ悲しむのはおろか、感情の起伏さえ私にはなかったのです。いえ、きっと死へ大してのみならず、何事に対しても私の感情は無機質に平坦でした。生まれ持ったものなのか、環境でそうなったのか私にはわかりません(確かに私は子供のころから平均の人より少しだけ多く死と対面してきました。けれど、それは姉も一緒で、彼女は毎回大声で泣いていたのを思うと、やはり私が特殊だったのだと言えるかもしれません)。しかしこれが私なのだから仕方ないと諦めていました。そのため、彼女との出会いは私にとって大きな意味があったのです。
あれは私が中学二年生になった秋の頃でした。私は当時、よく友達何人かで立ち入り禁止区域の森に入って遊んでいました。森の奥に入ると河が流れており、そこは雨が降ると洪水になることが多く、そのため立ち入り禁止になっていたのですが、逆に言えば誰も来ない子供たちの良い溜まり場だったのです。私はそこで友達と隠れてタバコ吸ったり、大人の真似事をして遊びました。
(これは余談ですが、私は当時友達という概念がよく理解できませんでした。何故同じメンバーの人間と毎日のように遊ばなくちゃいけない理由がわからなかったのです。
そんな私が友達を作ったのは、家族の前で悲しむふりをしたように、それが社会的に正しいことだからだと直感的に思ったからだけでした。もともと、人とのコミュニケーションに長けていた私にとってそれは容易なものでした。
今では人間が社会動物であり、遊びというのは自然界でも協調性を示しあうための義務だということをしっかり理解しています。)
ある日、私は森の中に一人で入っていきました。理由はよく覚えていませんが、友達が皆忙しかったからだと思います。
今でもよく覚えています。太陽の光が赤く染まった木々の葉っぱの隙間から降り注ぎ、河の水面がきらきら光っていました。私はその年初めて出した冬のコートを羽織り、溜まり場に行きました。木陰に座って友達が兄から盗んだというタバコに火を点けました。
私たちがよく行くだけあって、溜まり場はポテトチップスの袋や、空き缶や、タバコの吸い殻など、ゴミが散らかっておりましたが、妙な心地よさを感じました。
紫煙がゆらゆらと空へ昇っていくのを見ながら私はふと森のさらに奥へ行きたくなりました。何故かはわかりません。探求心からだったのか、冒険心からだったのか、はっきり言うことはできません。もしかしたら彼女が私のことを呼んでいたのではないかなど、本気で思った時期もありました。
私は河が流れる方向とは逆に森の中を突き進みました。舗装された道など当然なく、獣道を一歩一歩、草をかき分け、落ち葉を踏みながら歩きました。溜まり場から相当歩いたと思います。私は彼女を見つけました。
生い茂る草の中に埋もれ、木に背中を預けるように座り、放り出された足は片方の靴がなく、はだけたシャツから片方露出した乳房の間から突き出るナイフ。彼女は完全な死体としてそこにいました。
その時の私の気持ちをはっきりと言葉にすることはできません。驚き、恐怖、焦り、どれも違うような気がします。あえて言うなら、期待でしょうか。何に期待していたのかはわかりませんが、何か新しいことが開ける、そんな期待だったと思います。
私はゆっくり彼女に近づき、俯いた顔を覗き込みました。長く黒い乱れた髪の奥に潜む顔は真っ白に固まったまま動く気配を見せず、薄く開いた白い瞼の奥には光沢を失った黒いビー玉のような瞳が二つ浮かび、かさかさに乾いた唇だけが周りの白い肌とは異なる淡い紫色に光っておりました。
河の流れる音がどんどん遠ざかっていくのがわかりました。
どれくらいの時間彼女のことを見つめていたこでしょうか。私は時間を完全に忘れ、森の中にいることさえ忘れて、彼女を眺めました。
綺麗だ
私は生まれて初めて震えるような感激に包まれました。これほど美しいものを見たことがありませんでした。
次に私が起こした行動は衝動的、というほかありません。私は我慢できず、彼女に顔を近寄せ、あと少しで唇が合うというところまで持っていきました。が、止めました。死体だったからではありません。彼女が脆く、壊れやすいように見えたのです。それほど私は彼女に惚れてしまいました。
私は彼女の素性を詮索する気が起きず、イザベラと名付けました。イザベラ。神への誓いという意味の名前。これほど合った名前はないと当時私は思いました。
その日、私は家に帰って家族と夕飯を食べているときも、学校の話をしているときも、テレビを見ているときも、ずっとイザベラのことを想いました。夢にまで出てきました。
半分露出した彼女の胸から突き出たナイフ。傷口から垂れ流れ、黒く乾いた血が彼女の白いシャツを染めあげている姿。黒いビジネススカートから伸び出る真っ白な脚。そしてなんといっても時間を止めてしまうような美しい顔。私は彼女を夢の中で抱きしめました。幾度となくキスしました。私は現実では怖くてできなかったことを夢の中で一気に開放し、狂いました。翌朝、私は布団を濡らしてしまったことに気付いて目が覚めました。
その日から私はまたいつイザベラに会いに行けるか、楽しみでなりませんでした。毎日があんなに待ち遠しいと思ったのは今も過去、その時だけです。しかし、私の願いはそう簡単に叶いませんでした。日中は学校があり、放課後も友達と遊ぶという義務があり、まったく会いに行けず仕舞いだったのです。
そのほかの休日などは森に行くことはあっても大概友達と一緒でした。当然友達と一緒にイザベラの所へは行けません。彼らは彼女を見るなりすぐに警察へ連絡をしてしまうのを怖れたのです。私はいずれ彼女が警察に連れて行かれてしまうのは仕方ないことだとわかっていました。しかしそれを急がせるようなことをしたくなかっただけなのです。
私は自分が悪いことをしているのだと自覚していました。いや、もしかしたら心の底では思っていなかったかもしれません。社会的法則に背く行為だということは認めても、悪いことだと思ったことはなかったかもしれません。実際今振り返ってみても果たして私のしていたことが悪いことなのかわかりません、それに正直どうでもよいことだと思っています。私はただただイザベラと会いたくて仕方ありませんでした。そのため、私は夜彼女に会いに行くようになりました。懐中電灯を手に、夜中皆が寝静まった時間帯に森へ赴き、彼女に会いに行っていたのです。今考えてみると、殺人の起きた森へまだ年端もいかない少年が夜行くという行為が何と危ないことか、私は当時の自分の無謀さに背筋がぞっとします。今ならもっとうまく会いに行けたことでしょう。
イザベラの腐敗速度は秋という寒い季節のお陰で遅くはありましたが、やはり会いに行く度に変わったところがありました。私は毎晩のように彼女に会いに行きましたが、次第に彼女の周りに蠅が飛ぶようになり、ナイフの刺さった傷口に黒い虫が湧き、口の中が白い幼虫で一杯になりました。しかし、そんなこと気にならないくらい彼女は美しくあり続けました。私は彼女から発せられる腐臭さえも愛おしく思ったのです。それくらい彼女と一緒にいるのが幸福でした。
私は彼女のとの間に懐中電灯を空に向かって置き、ずっと彼女を眺め続けました。そして、帰るとき、どんなに虫がいようと必ず彼女の手を取って甲に唇を付けました。また来るよと誓って。
そんな日々が続いて寒さが本格的になる時期でした。毎晩のように、森へ入り毎日学校へ行くには体力が要し、疲れが溜まり始めました。友達からも、当時付き合っていた彼女にまで心配されました。
そうです、お笑いください、こんな私にも付き合っていた生身の女の子がいたのです。ここに本名を記すつもりはないので、彼女のことはネトーシカと呼びましょう。ネトーシカは私と同い年の十四歳で、そのとき既に三か月付き合っていました(イザベラと出会うより二か月も先に付き合っていたのです)。彼女は学校でも人気があり、付き合い始めたころ友達から羨む目で見られました。
確かにネトーシカは一般的に綺麗な部類に入っていたと思います。当時、中学生にしては背の高かった私と同じくらいの高身長で、肩まで伸びた栗色の髪をいつも後ろで束ね、常に流行に沿ったファッションを着こなす才能は年上の男性まで振り向かせるほどでした。
そんな娘が何故私と付き合っていたかと疑問に思われるかもしれません。しかし、自慢するようで申し訳ありませんが、私はこれで結構モテたのです。
先ほど記したように私は人とのコミュニケーションが非常に上手でした。相手の気持ちが子供のころから瞬時に把握することができ、相手がどんな言葉や反応を求めているのか直感で理解できたのです。それに加えて背の高かった私は後の人生でも女性から言い寄られることがよくありました。
しかし、私は皆の言うような美しさをネトーシカに見受けることができませんでした。彼女だけでなく、これまで出会ってきた女性で美しいと思ったのは、前にも後にもイザベラだけでした。ネトーシカと初めて会ったときも私にとって彼女はそこらへんにいる他の同年代の女の子と変わりないように見えました。私が彼女と付き合うと了承したのは断る理由がなく、『彼女』というソーシャルステータスがあってもいいかという程度からでした。もしイザベラと先に出会っていたら、ひょったしたら断わっていたかもしれません。
今思えばネトーシカはとても良い女性でした。中学生にしては聡明で、学問とは異なる頭の回転の速さを持ち添えていました。私が過去に付き合った容姿だけしか能のない女性なんかとは比べものにならないくらいです。しかし、当時私はネトーシカが鬱陶しくて溜まりませんでした。初めてのガールフレンドということもあり、私は一般的な交際というのがまだ上手く理解できていませんでした。当然、お互いまだ中学生だったので、それほど特別なことをしたわけではありません。ただ毎日、友達と一緒じゃない場合は登下校を共にし、祝日は必ず二人でどこか出かけるというくらいでした。しかし、私はこの儀式めいた行動が私は嫌で嫌でたまりませんでした。
もちろん、こういった不満を彼女に言ったことはありません。いつも朗かに笑い、彼女の会話に合わせて適切な応答をしていました。しかし、ネトーシカとでは、イザベラと一緒にいるとき感じるみたいな、身体の芯まで響かせるような気持ちになることができなかったのです。これは彼女のせいではありません。イザベラに匹敵する女性を求めた私がいけなかったのです。
けれど、当時子供だった私にそのような理性は効かず、イザベラと出会ってから彼女に冷たく接していたことは否めません。彼女が私に話しかけてもそっぽを向き聞こえないふりをしたり、街角でばったり彼女と会っても見えないふりをするなど、彼女を無下にするような扱いをし出しました。
ネトーシカはそれが私が疲れているからだと解釈してくれ、より一層優しく接してくれました。私はそんな彼女をうざったらしい野良猫をあしらうように無視し続けました。そして、夜には森へ入りイザベラと会いに行きました。
私の冷たい態度がとうとう限度に来たのでしょう、ある日ネトーシカは私に突っかかってきました。
放課後、一緒に帰ろうという約束を反故して一人で歩いている途中後ろからネトーシカが走ってきました。
ウールのブラウンコートを学校の制服の上から着た彼女が冬空の下を走ってくるのをよく覚えています。
私は何もないように挨拶しました。彼女はそんな私を見て、いきなり怒鳴りはじめました。何故急に冷たくなったのかや、彼女のことが嫌いになったのかなど、そういった内容だったと思います。私は紅潮した彼女の顔を見て、肩をすくめながら、別に、と答えました。
自分から別れ話を切り出すこともできましたが、それでは周りから私が一方的に悪者にされかねないと思い、彼女から言い出してくれるのを待っていたのです。いくら私が冷たく接していてもそれは我々二人にしかわからない程度だったし、彼女が私のことを振ってくれれば私が被害者の仮面を被ることができると考えたのです。
しかし、ネトーシカは私を振りませんでした。それどころか、彼女は決死の覚悟みたいな顔付きをし、家に招待してくれました。
彼女の家に入るのは初めてでした。いえ、同年代の女の子の家に入ること自体初めてだったかもしれません。親は仕事でいないのだと、ネトーシカは説明してくれました。彼女は私を自分の部屋に通してくれて、暖房を点けました。
彼女の部屋は実にシンプルに充実していました。
ベッドや、本棚や、鏡台はどれもシックに統一されており、真っ白なカーテンに覆われた窓から覗く空の色と合わせてまるで一枚の絵みたいでした。
私は彼女に言われるがままベッドに腰を掛けました。
彼女はドアの鍵を掛け、電気を消しました。外は既に暗くなり始めていましたが、街灯の明かりが部屋の中を満たしました。ネトーシカはその明かりの中をゆっくりと私に詰め寄ってきました。彼女は、私が何故彼女に冷たい態度を取っていたのか実はわかっているのだと言いました。聞くと、彼女は、私が彼女とこういうのをしていないから不機嫌になっていたのではないかと思ったそうです。
お互い初めてでした。私も緊張しましたが、ネトーシカは比べ物にならないくらい動作がぎこちなく、それが逆に落ち着かせてくれました。
我々は服を脱ぎ始め、下着姿になるとネトーシカは私を押し倒すようにキスしてきました。彼女の体温が直接肌に伝って、私は自然と彼女を抱きしめました。さらさらと柔らかい女性の肌を初めて感じた瞬間でした。
ネトーシカは上半身を起こし、下着を脱ぎました。まだ発育中の乳房が街灯の明かりにぼんやりと映し出されました。彼女のその恰好を見て、唐突にイザベラの姿が私の脳裏に浮かびました。
イザベラ、イザベラ、イザベラ
私の頭の中はイザベラで埋め尽くされていきました。森の奥にひっそりと虫たちと住む、私の愛しいイザベラ。死神に撫でられた肌を持つイザベラ。浮世を覗き込む瞳をしたイザベラ。胸から活けた花のように刺さったナイフを抱え込むイザベラ。
会いたい。イザベラに会いたい。
私はネトーシカの姿が見えなくなり、先ほどまで勃っていたのがみるみる萎んでいってしまいました。
その後、どんなに頑張っても、ネトーシカと寝ることができませんでした。彼女は泣きました。自分が綺麗じゃないから、私が彼女のことが嫌いだから、と裸のまま自分を責め出しました。私は泣き続ける彼女を放って、家を出ました。そして、森へ一直線に走り出しました。
無我夢中になって走りました。暗い森の中を、キーチェーンの玩具みたいなペンライトで前を照らし、途中で転んで手を怪我しても、構わず這うように進みました。
気付くと雪が降り始めていました。
深々と降る雪の中、イザベラは木の下でいつものように俯いて眠っていました。
私は思わずイザベラに抱き着きました。寒い気候で蝿はいなかったものの、口や目の中は虫の巣窟になっていましたが、私はそれでも構わず彼女を抱き、ズボンを脱ぎ始めました。
私はイザベラの名前を呼びながら自慰行為に及びました。
私の白い吐息。かさかさと風に揺れる木の音や、暗闇に流れる河の音だけが周りを包んでいました。
射精はすぐに済みました。私は我に戻って立ち上がりました。イザベラの身体は硬直しており、座ったままの恰好で倒れていたので、元通りに起こしました。
髪を梳こうしたら、何本も指に引っ掛かり抜けてしまいました。私はできる限り元あった通りに戻そうとしました。
しかし、そこには以前のイザベラはもういませんでした。乱れた髪も、はだけたシャツも、力なく垂れた腕も、全て別人のように見えました。私が彼女を汚してしまったのです。
彼女は私の行為により、ただの死体へとなってしまったのです。
私はその場に崩れ落ち、イザベラに謝りました。何に対して謝っていたのかわかりません。しかし、謝らずにはいられなかったのです。胸が圧迫されるように苦しく、謝罪の言葉は次第に雄たけびへと変化していきました。
私は泣きました。
大声を出して、無限に湧き出る涙を抑えることできず、雪の舞い落ちる真っ黒な空へと泣き叫びました。
最初で最後の本物の涙を私はその夜、森の中で流しました。
その晩を境に私はイザベラに会いに行きませんでした。イザベラはこの世から消えたのです。
その後の人生は実につまらないものでした。
ネトーシカとは寄りを戻しましたが、彼女の不貞ですぐに別れました。怒りもしませんでした。彼女も私に愛想がついたのでしょう、何も言わず、我々の間柄は自然と消滅しました。
結局、イザベラの死体が見つかることも、犯人が現れることもありませんでした。正直どうでもいいと私は思っていました。ただの死体となったイザベラに私は何も感じることがないのだから。
そして年月が去っていき、退屈な日々を平々凡々と過ごしてきました。
学校を終わらせて、地元の会社に就職し、そこで出会った女性と結婚をし、私なりに家庭を支えるために一生懸命働き続けてきました。
何故、私が今このようなことを記しているのか、私も疑問に思います。私も随分歳を取りました。我が死期に近づくにつれ、過去を振り返り、長い空虚な人生の中で唯一輝いていた日々に浸りたいという老い心の表れかもしれません。しかし、実際のところはわかりません。
果たして、私は自分自身を理解できたことが一度でもあったのかわからないのだから。