好きだ
「牧師はゲイなの?」
ジョアンの唐突な質問に、トニー,ブラウン牧師は言葉を詰まらせた。
毎週日曜日の礼拝は、子供には退屈な時間。
ベンチに座った脚をバタバタさせたり、顔見知りが居ないか後ろを何度も振り返ったり、牧師にそんな質問を投げ掛けて、母親に叱られる。
今朝からの大雪で、街の人々の足は教会から遠のいてしまったようだ。
一番後ろにはゲイカップルが座っている。中米からの移民でやって来たマイノリティ達。最近五度目の結婚をした評判の良くない中年女性。
体を揺らしながら発達障害の青年が牧師を見つめている。刑期を終えたばかりの老人が救いを求めるかのように、両手を合わせる。
反対側の座席には、バイセクシャルの退役軍人が不機嫌そうに座っていた。
そしてジョアンと母親だ。シングルマザーの母親に連れられて、七歳のジョアンは毎週教会へやって来る。
「聖書はこのくらいにしておきましょう」
牧師は、ジョ―.カシマ神父のことをを思い出していた。
「この大雪の中、教会に来られた皆さんに、神のお導きがありました。今日は、特別な日と致しましょう。少し、私のお話しをさせていただきませんか?」
礼拝者達は牧師に集中した。自分の呼吸さえ控え目にして、一つの言葉も聞き洩らさないように。
「私は日本に留学していた事があります。札幌という北にある大きな街です。当時、私は厳格なカトリック教徒でした。プロテスタントではなかったのです。カトリック教会で知り合った若い神父に、人間的魅力を感じ、多くの事を学びました。」
2005年、冬の札幌は、ホワイトイルミネーションで飾られて、とてもロマンチック。
街行く恋人達は、皆、肩を寄せあっている。
トニーはため息をついた。
恋人と肩を寄せあって歩くだなんて、夢のまた夢。
カトリック神父希望の自分には、結婚や恋愛は許されない事。
まして、自分はゲイだ。
この事実は自分だけの秘密で、墓の中まで持って行くつもりだ。
それでも、札幌カトリック教会で知り合った若い神父に、思いを寄せている。
彼は、貧乏学生の自分を心配してくれて、英会話教室の講師のアルバイトを紹介してくれた。今夜、面接を受ける。神父も、英会話を習っていて、水曜日の夜、来ているらしい。
今夜、会えるかもしれない。
香島譲は、油彩教室の最後の生徒が帰宅すると、大急ぎで指についた油絵の具を落としていた。
今日は水曜日。英会話教室の日。
マリアに会える日。
聖母マリアのマリアではなく、同じ英会話教室の北川マリアさん。
小柄で大変美しい女性だ。
譲は、入会した今年の春から今日まで、ずっと想い続けている。
彼は素早い動作でクロ―ゼットの扉を開いた。
何を着ていこうか、油絵の具がついてない服はあるか。
ひっくり返し、ハンガーを外し、結局ミラノで購入したグレーのバックスキンのコ―トにプラダの黒のセ―タ―。フラノのスラックスに、靴はどうしても寒冷地仕様のゴツいブ―ツを選ぶ。
ミント水で口をうがいして、髪を整え香水を少しだけつける。
こんなに身なりに気を使うのは水曜日だけ。
自宅アトリエのある円山公園駅から地下鉄に乗り、大通り公園駅で降りる。
クリスマスが近づいた札幌の地下街は、人.人.人。
雑踏の中、ススキノ方面に地上に出て、英会話教室のあるビルまで急ぐ。エレベーターに飛び乗って腕時計をみると八時を過ぎていた。
遅刻だ。
心臓がドキドキしているのは、走ったせいさ。
譲は自分にそう言い聞かせて、深呼吸をひとつ。
スクールロビーを抜けて、教室のドアを開ける。
「I'm sorry to be late.」
「Its ok」
カナダ人講師は授業を進める。
譲は、北川マリアの斜め後ろに座り、素早く今日の彼女の雰囲気を読み取った。
雪で濡れたセミロングヘア、綺麗なモスグリーンのスーツに黒のロングブ―ツ。長い睫毛に大きな瞳。
一瞬、マリアは振り返り、譲を見て微笑む、
彼も笑みを返し、テキストをめくる。が、マリアが前を向くと、再 び譲はマリアの雰囲気を読み取ろうとした。
日によっては、仕事で疲れていたり、ストレスなのか不機嫌だったりする。逆に、ハッピーだったり、譲に何度も微笑みかけて、意味深げに
している時もあるのだ。
その度に譲は翻弄され、
何故今、自分に笑いかけたのか?
聞いてみたくなる。
授業が終わりに近づくと、教会に通う留学生のトニーが、ドアガラス越しにこちらを覗いた。
彼は今日、ここでキッズ英会話講師のアルバイト面接を受けたはずだ。トニーは譲に向かって、オ―ケ―サインを出して笑っている。
採用されたんだな。
譲も、笑って頷いた。
授業が終わると、トニーがやって来て
「カシマサン、サイヨウオ―ケ―デス。」
「それは良かった」
その二人の横を、マリアがコ―トを羽織りながら、譲に軽く会釈した。先にトニーが反応して会釈を返した。
譲は堂々として見せて、微笑み返した。
マリアは香水の香りを残し、教室を出た。
譲はさりげなくその香りを吸い込む。
「コンヤ、オニギリ、クバリマスカ?」
「はい、配ります」
「ゴイッショシマス。」
「本当ですか?助かりますよ」
二人は、教会ボランティアと狸小路で合流して、3グル―プに分かれ、厳冬の夜の街のホ―ムレスにオニギリ等の食料を渡す。
トニーは大好きな香島神父と二人になりたかった。運良く、二人で夜回りすることになり、ときめいた。
「こんばんは、冷えますね」
ホ―ムレスの男はワンカップ酒を飲んでいる。
飲まなきゃ、やってられない。
男の頬は赤黒く焼け、ありったけの衣類を着込んでいる。
「夜、教会へ来て下さい。外で寝るよりは良いでしょう。
食事も用意しています。」
譲は教会の地図を渡した。
トニーは初めての夜回りなので、譲の後ろでやり方を学んだ。
「一旦、地下に潜ろう。足の感覚なくなってきた。」
二人はシャッターが下り始めたポールタウン地下街へ下りて、体を暖めた。
「サムカッタ」
「熱い焼酎飲みてぇ」
「ショ―チュ―.ナンデスカ?」
「アハハハ、酒だよ、酒」
「サケ?アルコ―ル?」
譲は豪快に笑って頷いた。
この人、本当に神父なの?と、トニーもつられて笑う。
「これ終わったら、飲まない?」
「オウ、アルコ―ル、ダメ」
「固いな」
その時、背後に人の気配を感じて、譲は振り返った。
北川マリアだった。
「香島さん、外人みたいだから、遠くから判ったよ。何してるの?」
マリアはどこかで買い物していたのか、ベーカリ―の大きな紙袋を下げていた。
譲の心臓は、一瞬止まりそうなくらい高鳴った。
マリアが、ここに居る。
さりげなく譲は、自分の頬をつねってみた。
とりあえず痛い。
トニーはそんな譲を心配そうに見上げる。
「ちょっと、散歩しております」
と、譲はごまかした。
「本当に香島さんって、背が高いのね。ねぇ、英会話クラスのクリスマスパーティー参加しますか?上級クラスの人達、あまり参加しないみたいだから。」
マリアは近くで見ると、信じられないくらい美しかった。目が綺麗なのだ。譲は、マリアに見とれてしまった。
「えっ?」
「クリスマスパーティー参加しますか?」
「そ、そうですね、はい、参加しようと考えてます」
「良かった❗じゃあ、私も❗参加する。絶対香島さん、参加してよ、知らない人ばかりだから、つまんないから」
マリアは人懐こく、譲にパーティーの参加を約束させた。
譲は嬉しそうに、ただ頷くばかり。
トニーはそんな譲に、何かを感じていた。
続く