第8話 貴方が選んだ人間は
私はいつも同じ時間に目を覚ます。そしてカーテンを開き、太陽の位置を確かめて……ちょっぴりホームシックに陥る。
私が目を覚ますのは、いつも忠さんの朝食の準備の音が合図だった。
「元の世界に帰るなら、ラインハルトと……」
昨日のアマリの台詞が頭に浮かんで、脳裏にラインハルトの姿を描く。あのトカゲニンゲンが、私が帰る為の手がかりなのか。
同時にあの下手糞な笑みを思い出して、変な顔だとくすりと笑ってしまった。
朝食の席に向かっていると、反対側からアルフレドがやって来た。彼は片手を上げて(恐らくあれは挨拶だ)、私の肩を軽く叩いた後、エスコートの為に腕を差し出した。
「おはよう御座います。アルフレドは最近早いですね」
「おう」
「最近は朝のお仕事が多いんですか?」
アルフレドの輪郭が軽く変化する。微笑んだようだった。
「相変わらず鈍い奴だ。お前と一緒に居てぇからだよ」
「……?」
私と一緒に居る為? アニマルセラピーとかいう奴だろうか?
頬をぶにゅ、と突かれ困惑したままの私を引っ張ることもせず、私が歩き出すのに合わせてアルフレドはダイニングルームへ向う。
廊下には様々な調度品が置いてあり、興味を示すたび、彼はどの国がどんな理由で贈ってきたのかを語ってくれた。
「アルフレドは国を大切にしているんですね」
「まあな、俺が直にトップに立つ場所だ。何処よりもスッゲー国にしてぇんだよ」
彼は得意げに胸を反らせる。言葉の端々から誇りが伝わってきて、私はその矜持に感心する。私も忠さんの為にスッゲートカゲになりたいものである。
食事が始まると、アルフレドは私の食器捌きを褒めてくれた。思わず微笑んで「アルフレドのお陰です。ありがとうございます」と言うと、彼は何故か赤面してしまった。どうやら思っていたよりもシャイな人間らしい。お礼を言われて照れているようだった。
今日は税についての授業で、私は忠さんの「また消費税上がっちゃうかー、辛いなー」という独り言の意味が理解できるのだとわくわくしていたのだが、フィトは何故か教材を用意していなかった。
「国王様が貴方をお呼びしていたじゃないですか。今日は午後から儀式を行うんでしょう。最近祝福の力が薄れているようで。だから今日はちょっとしたお話しか出来ません」
「そんな……。授業、楽しみにしていたんです。税のお話は出来ないんですか?」
「そう簡単に語れる内容でもありませんから……」
私は何とか話を聞きたくて、フィトが二度目に名前を教えてくれた時、彼がしたのと同じように、彼の両手をぎゅっと握った。
「どうしても駄目ですか……?」
「そ、そんな目をしても……駄目です!」
どうやら駄目らしい。私はしょんぼりするが、廊下からフィトの言うことを裏付けるように、普段は王様に付いている侍女の足音が聞こえたので、未練を何とか断ち切った。
大抵のことはお願いすればお強請りを聞いてくれるフィトだが、今回はやっぱり駄目なようだ。
「ほら、迎えも来たようです。……風呂に入ることになると思いますが、もう二度と髪を乾かさずに本を読むのではありませんよ」
それは私も反省している。本が濡れてしまって半泣きになってしまった。勿体無いし申し訳なかった。……しかしトカゲの時は髪の毛なんて無かったのだ。情状酌量の余地はある、はず。
「そのうちに風邪を引いてしまいますからね」
風邪……いや、私は龍になってからは耐寒が跳ね上がっているので、引かないんじゃないかと思う。ちょっと微妙な顔をしてしまうが、よく考えたら最近は寒くなってきていたのだ。
私は城下で自分で買ったオレンジ色のバラのブローチをフィトにあげた。花言葉は『健やか』で、これもフィトに教えてもらったことだ。
「フィトも気をつけて下さい」
バイバイをした後に侍女に連れられながら振り返ると、彼は蕩けるような笑みで胸元のブローチを見つめていた。喜んでくれたようで何よりである。
自室に戻ったかと思うと、備え付けの風呂にぶち込まれた。
花の香りの漂う浴槽の中に侍女さんに入れられ、顔に暖かいタオルを乗せられる。嫌ではないが、視界が皆無なのはちょっと……。
されるがままになっていると、頭をぐいぐい押されて、腕も足も揉みこまれて、まるでハンバーグになってしまったかのように錯覚する。
体を洗われるのは毎日のことだが、こんなに念入りではなかった。国王様の儀式は余程重要らしい。
風呂を上がると体を優しく拭かれて、その絶妙な力加減のくすぐったさに尻尾が出てしまった。侍女さんはその瞬間「しまった!」という顔で私を風呂に逆戻りさせた。
「ここで龍化なさってくださいませんか?」
「天井にぶつかりませんか?」
「……こう、腹ばいになることは……?」
「出来なくは無いです」
龍に戻った私の体を新品のデッキブラシでガッシュガッシュと磨き上げる侍女さんたち。洗い終わった後には私の鱗はオニキスのように煌いていた。
「まあ、綺麗……。ターコイズではなくアクアマリンに致しましょう」
そして人に戻ってからの服飾タイム。侍女さんは一々何がどうだ、これはどこ産だと説明してくれる。髪には白い造花が編みこまれ、ギブソンタックという髪型にされたそうだ。
胸元には透明度の高いアクアマリンが四つほど連なり、一歩動くたびに小さく揺れた。中央には大きなアイオライトが銀の控えめな縁取りに嵌められて、主役として鎮座している。
服は不思議な形式のドレスで、背の後ろに全ての留め具が纏まっており、それを外せば全裸になれるそうだ。儀式で龍になる必要があるらしい。
下にひらひらと広がるマーメイドラインのドレスは濃紺の生地の上に白や青が重なったりしていてちょっと歩きにくい。少し私の龍の姿に似ている。
が、私はスノーという種のヒョウモンキトカゲ。青色のキラキラしい色ではない。白黒である。
「もっとモノトーン調には出来ないんですか?」
「差し色がどうしても必要なんです。申し訳ございません……」
「むむ……」
渋面を作って侍女さんと話していると、ノックの音が聞こえた。
「やあミスズ、迎えは俺だよ。……わぁ、君の美しさを引き立てる素敵なドレスだ。髪の花も綺麗で君によく似合ってるよ」
「ありがとうございます」
「よし、じゃあお姫様。お手をどうぞ?」
「お姫様じゃないですが、頂きます」
アマリの手を受け入れて部屋を出る。しかし監視役のアマリが寄越されたということは、今回の儀式は余程重要らしい。
耳元のドッグタグに少し触れて、ざわめく胸を抑えようと深呼吸する。嫌な感覚だった。
アマリはそんな私を気遣うように背を撫でてくれた。
「大丈夫、いざとなれば隙を見て逃がしてあげる」
「……あり、がとうございます」
アマリの優しい声色に身をすり寄せる。するりと私の手が絡め取られた際に、彼の指先が冷たいことに気付いた。緊張しているのだろうか。
冷えはトカゲの敵だ。私は人間は寒さに強いと知りつつ、あれは炎と同じ色のアルフレドだったから平気だったのだという説を諦めきれず、そっとアマリの手を暖めた。
「何としてでも、守ってみせるから」
アマリはきりりとした目で私を見つめていた。
「――これより、捧龍の儀を行う」
しんと静まり返った空間で、白髪の人間が杖のようなものを掲げた。
「龍の巫女よ、かつて先代の与えたもうた祝福は、風前の灯となっておる」
私は事前に言われたままに、国王の前に立っていた。国王は億劫そうに体を玉座から下ろし私に傅く。
「儂は国王として、今代からの情けを……祝福を賜りたい」
国王がそう言うと、玉座の下の赤い絨毯に、まるで水の光が反射しているかのような水面の揺れが浮かび上がる。
私は思わず一歩退く。ここは変だ。陸だというのに、水の中に居るようだ。
これが、王城にあるという"十三の祝福"の一つなのだろうか。
「龍の巫女よ。今代の貴方様は、かつて龍の巫女より寵愛を受けし末裔の三名の内、どの者をお選びになられたのですか?」
国王が指し示した先には、アルフレド、フィト、アマリが居た。三人は私に傅き、じっと頭を下げている。
私はちょっと困っていた。いや、誰も選んでいないのですが、と言いたい気持ちでいっぱいだ。何を基準として選んだというのか。説明がなさすぎる。
視線をさ迷わせても誰とも合わない。しゃらしゃらと胸元の宝石が揺れて煩わしい。
国王が再び口を開く。
「龍の巫女よ、答え給え。貴方様がお選びになったのは――"誰だ"?」
リィン、と耳元で音が鳴る。思わず音源をぎゅっと握りしめると、それは私の大切なドッグタグから鳴っていた。
「ぁ、うあ――ぁ、ああ……!」
「ミスズ!」
音が頭の中でりんりんと響き続ける。いたい、いたい? 苦しい。つらい。痛い!
誰かが私を呼んだ気がするが、それも耳に入らないくらいだ。頭を抑えて悶えていると、国王はまた言った。
「答え給え、貴方様は誰をお選びになったのです」
――答えよ、答えよ、答えよ。
声が輪唱する。私は自分でもわからないまま、勝手に口が開いていくのを不思議に思いながら感じていた。
私が、選んだのは。