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第5話 サフィロスの沿革 下

今日は2話更新しました


 私は静かに本を閉じ、青いのに向き直る。お話の姿勢である。忠さんはいつも私と目を合わせて「ほらーご飯でちゅよー」と話しかけてくれたものである。


 「何故知っているんですか?」


 「アルフレド様から教えて頂きました」


 「それは、嘘でしょう?」


 声に集中すると、青いのがどんな顔をしているのかが何となくわかる気がする。

 若干の声の震えからして今の言葉は嘘だ。どう? どう? 私合ってるでしょう? わくわくして青いのの様子を伺うと、彼は「ッチ」と音をたてた。何の音だろう。


 「……へぇ、随分彼のことを信頼しているんですね。そうです、嘘ですよ。ま、目や耳は何処にでもある。そういうことです」


 な、何だこの難解な表現は……。

 私はただのトカゲなので、言葉の裏の意味や暗黙の了解は分からないというのに! 何を言っているのだ青いのは。人間には顔に目と耳があるのが当たり前ではないのか?

 此方を混乱させるだけさせて、彼は尚も話を続ける。


 「今までどんな低俗な場所で生きてきたのですか? ああ、もしかして……誰かに飼われていた、とか? それなら余りの無知にも説明が――」


 「言って無いのに何で分かったんですか?」


 「は?」


 青いのは昨日のアルフレドみたいな声をあげて私をまじまじと見つめた。眼鏡をくい、と上げている。


 「飼われていた? まさか、ご冗談を。貴方はどこぞの令嬢ではないのですか? 傷一つ無い肌に異様に無垢な精神、私の推理が間違っていたと?」


 「れいじょう?」


 「大きな邸に住み、座っているだけで生活の出来る女のことを言うのです。城下の方で見たことがあるでしょう? ……ではなくて、飼われていたとはどういうことなのですか?」


 「飼われていた、というのはそのままの意味です。きっと私も令嬢ですね。うんと大きな……邸、ではないですね。この場合は違うのかな……? ええと――」


 ガラス製のケージ、とはこの世界で何といえばいいのだろうか。ケージ……言い換えれば、檻、だろうか。でも、檻は悪い人間を閉じ込めている場所だと言っていたし。


 「私がたくさん歩き回れるくらいの、大きなガラスの部屋で育ったんです。これも令嬢ですか?」


 「……ガラス?」


 「そうです。忠さんがいつも帰ってきてすぐにガラス越しに頭を撫でてくれるんですよ」


 ガラスの向こうから忠さんは私を撫でて、その後決まってバイバイ、と手を振ってくれる。それから彼は洗面所へ消え、手を洗った後は今度こそ直接撫でてくれる。そして私のご飯タイムである。

 至福の時間を思い出し我知らず微笑むと、青いのは息を呑んで私の両肩を鷲掴んだ。シンプルに痛い!


 「貴方は自分が何を言っているのか分かっているのですか!?」


 「は、はぇ?」


 「馬鹿な! その部屋に貴方は何年居たのですか? 何度外に出ましたか? まさかこの世界へ来て王城を出た日に"芝生を初めて踏んだ"というのは……!」


 「あ、あの、肩痛いです……」


 「いいから答えなさい!」


 そう言いつつも青いのは力を緩めた。解放された私は現状の不可解さに混乱する。青いののこの声は、怒っている声だ。至近距離の顔は、私でも分かるくらいに眉間に皺が寄っていて、酷く顰められている。

 記憶力が良いことに、私が初めて王城の中庭に出たときのことも覚えているようだ。先生役をしているだけあって青いのはとっても賢い人間である。


 「う、生まれてから、『さんかげつ』経ったら忠さんに買われたので、それからずっとです。脱走したら忠さんがポロポロ泣いてしまうので、間違えて出てしまったきり一度も無いです」


 私という種は一年と十二ヶ月程で生殖が可能になるので、私がドッグタグを貰ってここに来るまでは大体一年と九ヶ月程あそこで過ごした訳だ。

 居心地が良いぬるま湯や、忠さんのくれたデュビアが懐かしいと郷愁の念に駆られていると、青いのはすっかり黙りこくってしまった。

 沈黙が長く続いても彼の手は私の肩を掴んだままだ。私は少し気まずい思いを抱き、補足するように質問に答えた。


 「ええと、芝生はここで生まれて初めて踏みました。柔らかくて気持ちよかったです。…………青いの、もしかして怒ってますか?」


 「……」


 青いの、と言った途端に肩の力が強くなり、私は漸く察した。

 この人は私が『トリヒキサキノカタ』の名前、つまり、青いのの名前を覚えていないから怒っているのだと。


 忠さんも電話に向かって何度も頭を下げていた。きっとあれはとても罪深い行為で、人間でも許してもらい難いことなのだから、トカゲな私ではもっと謝らないといけないに決まっている。

 しょんぼりとした気持ちで眦を下げ、下から青いのの顔を見上げる。


 「ご、ごめんなさい、私が名前覚えてないからですか?」


 「…………いえ、」


 「次はちゃんと忘れないように頑張りますから、ごめんなさい。そうしたら許してくれますか?」


 「違うと言っているのですッ!」


 ひょえ……。めちゃくちゃ怒っている。

 授業の時間に花を持ち込んでは「これは何の花ですか?」と聞いた時も「どうして先生は王子たちと仲が悪いんですか?」と聞いた時も、頬を引き攣らせるだけで怒らなかった青いのが、こんなに怒っている。


 名前を間違えたからではないらしい。では何故か。憤怒の前後からして確実に問題は私に関するところにある。発言の内容は『トカゲがガラス製の部屋で飼われていた』、『脱走を一度した』、『芝生が柔らかかった』、以上。

 必死で頭を働かせる。詩で人間は言っていた。敵のため火を吹く怒りも、加熱しすぎては自分が火傷する、と。

 このままでは青いのが火傷をしてしまう。彼自身が傷ついてしまう。


 「何てことだ、自身が如何に貶められていたのか、理解すらしていない?! 貴方の世界には心底見下げたゲスがいたようだ! その上、この世界に来てまで自由を奪われ、契約をしてしまった! 貴方のような存在から、国王はこれ以上に何を奪おうと――」


 何かを言おうとする彼の口を手で抑えて、視線を辺りに遣る。今確かに誰かの視線を感じた。

 彼は私が辺りを見渡す様子に正気に戻ったように、肩を握っていた手をゆっくりと下ろしていく。サァ、と血の気が引いていく青いのが不安そうに見えて、彼の頭を忠さんがしてくれたように撫でてあげた。彼は自分の火での火傷はしなくてすんだようだ。


 「大丈夫ですよ、ただの使用人さんです。声は聞こえなかったようで、今は隣の部屋で雑談をしているみたいです」


 「……貴方、聞こえるのですか? 壁を挟んだ、向こう側の声が……」


 「はい。……青いの、そんなに怒らないで下さい。私、ちゃんと城を出る時は国王さんに言っています。脱走なんて一度もしてませんよ」


 トカゲがガラス製の部屋で飼われるのは当たり前だし、芝生が柔らかいのも同じく当然である。

 では残るは『脱走を一度した』ということのみ。私はなるべく謙虚そうな顔をしてみるが、青いのはただ顔を手で覆って天井を見上げるのみである。


 「貴方はずっと、ずっと、自我が育つよりも前から、ガラスの中で生きて来たのですか。それでは、まるで、まるで……」


 消えていった語尾は殆ど吐息と変わらず、私のスーパートカゲイヤーでも聞き取れなかった。


 青いのは少しの間そうしていたが、気を取り直したように、私を椅子に座らせ、詩を読んでくれた。解釈も教えてくれたので、完全に機嫌は直ったと見ても良さそうだ。

 授業が終わると、彼は退出する私を引きとめて、私の両手を掬い上げた。


 「私の名前はフィト・グラセス。フィト、ですよ。……覚えられますか?」


 「はい、フィト、ですね。ちゃんと覚えます。では、また明日も色んなことを教えてくださいね、フィト先生」


 手を振って、忠さんのようにバイバイをしてから廊下を進む。ふと一度振り返ると、彼は下ろしていた手をわざわざ上げて、もう一度バイバイをしてくれた。


敵のため火を吹く怒りも、加熱しすぎては自分が火傷する-シェイクスピア

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