第4話 サフィロスの沿革 上
時の流れはとても美しい。私は人間になれるようになってから、朽ち行く自然や、人の営みを間近で見ることが出来るようになった。これは素晴らしいことである。
木の実を埋めれば一週間ほどで芽が出てくるし、その葉に水をやらなければ枯れていく。私はそんな時間経過を、トカゲだった時よりも鮮明に理解出来た。
私が寝ている間に誰かがご飯を食べる。その程度ならまだ理解出来るが、私が水遊びしている間に誰かが精密な機械を作る。これは理解できない。凄すぎる。
私が食べて寝てぼんやりとしている間に、忠さんが『お仕事』をしていたのは知っていたが、まさか人間の『お仕事』がこんなに凄いものだとは。同じ時間で、違う個体が違うことをする。時間の流れを理解し、それぞれが複雑に動く。
私は人間について知れば知るほど感嘆のため息を吐いた。
そうした人間についてを学ぶ為の授業があって、その先生役が青いのなのだ。今日の分の授業が始まるまで、後『よじかん』ある。四時間というのは、忠さんがご飯をくれて(八時)から、太陽が天辺に昇る(十二時)までの期間くらいのことである。
これは青いのから学んだ単位である。時間の単位を統一し、人間同士の意思疎通を容易くする効果があるとのことで、人間って寒さに強いだけでなく頭も良いのか、と私はすっかり感心してしまった。
四時間もあれば私はこの国の端っこから端っこまで行き放題。先日はラインハルトの肩に乗った素敵なトカゲさんとも出会えたことだし、この調子で女トカゲのお友達作りでもしたいと思い立った私は、また国王に「外に行ってきますね」と言って空へ飛び立った。
空を飛び立つと、お腹がふわふわして気持ちがいい。私は三回転やスピンをしたりして一人ケラケラと笑い、水の匂いのする方へ向かう。
余り濁りすぎているのは心地よくない。出来れば冷たすぎなくて、虫が一杯居る所が良いだろう。あれ? 私って人間の体で虫を食べても平気なのだろうか?
首を捻りつつ森に着地し人化する。あっという間に川が見えて、私はそこへ足を踏み入れ――る前に、ラインハルトに貰った外套を肩に掛ける。
「ふんふん、ふふん」
ぱちゃぱちゃと足踏みをしたり、時たま魚が寄ってくるのを戯れに掴もうとしたり。川って賑やかだ。初めてきたが、これも中々悪くない。
強固な鱗塗れになってしまった私の体だが、『人化』すれば小さな花を摘むこともできる。人間ってつくづく便利だ。手がこんなに別々に動く。お花で冠を作ることだって――。
「出来ない……」
茫然として膝に花を散らす。確か、『てれび』とやらで作っている人間のメスを見たことがあったのだが。頭の良くなった今の私でも思い出せず、苦悩しながらぐしゃぐしゃと編み続ける。こうか? いやこうか?
「むむ」
「ッ、くはッ」
誰かの声が聞こえ、きゅいと瞳孔を開いて振り返ると、そこに居たのはラインハルトと弟トカゲだった。警戒を解いて、ぐしゃぐしゃの花を握ったまま体の向きを変える。
「まさか本当に出会えるとは……ック。ふっ、くくっ。いや、笑って悪いとは思う。っ、しかし、何だその、情けない顔は……!」
「しょぼーんとなっているんです」
「はははっ! 全くお前は。どれ、貸してみろ」
ラインハルトは歯を見せて笑っていた。貸してみろ、と私から花を取り上げて編む間も、何故か口元はずっと緩んだままで、その顔はそんなに下手くそじゃない笑顔だと思って、私は呆けたように、黙ってその表情を見つめていた。
目が細くなっている。頬が緩み、唇は少しカーブを描いていて、ぎこちない筋肉に緊張は無い。目のうちには優しい光があって、私を見る忠さんの目に似ていた。
「ほら、出来た」
「ッ、凄いです!」
受け取ったそれを頭に載せてくるくる回る。白い花は良い香りだ。さっきラインハルトが作っているのを見たから、もう自分でも作れる。
花畑から川まで歩いて、花冠を載せた自分を水面で確認した。うーん、サイズもぴったりだ。この大きさが人間には丁度いいくらいなのだろう。
「ありがとうございます、ラインハルト」
にっこりと微笑んで言うと、ラインハルトは虚をつかれた顔で私を見て、そしてまた下手くそじゃない風に笑った。
肩の上のトカゲは閉じていた目を開き、ラインハルトのその顔を見ているようだった。
「弟さん、何だか前よりも元気そうですね」
「分かるのか? その通りだ。大分良くなってきている」
相変わらず格好いいトカゲだ。断りを入れてそっと背中を撫でると心地よさげに目を細めている。可愛い。ギャップ萌えにくらくらする。
暫時彼と川に足を浸しながら話していたが、ふと空を見上げると太陽が少し頂点から下っていた。
王城を出たのが太陽が登って暫くした頃だったことから、そろそろ四時間は近づいているに違いない。
「ラインハルト、私は用事があるのでそろそろ失礼します」
「そうか。……ミスズ」
「はい?」
「――また、会えるだろうか?」
「それは私には分かりません。でも、前にラインハルトが言っていたように、私も何だか、ラインハルトとはまた会えそうな気がします」
本当に不思議だ。こんなことは思ったことが無かった。ラインハルトはとっても不思議な人間だ。
ラインハルトは柔らかく、吃驚するぐらい綺麗に微笑んで――今までのあの笑顔はなんだったのだ――私に背を向けて行った。
私は以前と同じくそれを見送ったあと、外套を咥えて王城へ帰っていった。
「今日もよろしくお願いします。先生」
「……なる程、先生という呼称で誤魔化してきた訳ですか……」
「先生、以前に習った所の続きがとっても気になってしまって、先に教材を読んでしまいました。すみませんでした」
「そして名前を忘れたことよりも、予習をしたことを謝るというこの……!」
青いのは頭を抱えて深呼吸をし、「落ち着け私……彼女は龍の巫女……龍の巫女……怒らずに冷静になれ……」と普通の人間には聞こえない声で呟いていた。
私は羽の生えたヘンテコトカゲ――龍、もしくはドラゴンというらしい――になってからは、耳が良くなったので聞こえていたが、気に留めず教科書を読んでいた。今日は詩のお勉強だ。
「さあ、牢屋へゆこう。ふたりきりになって、籠の中の鳥のように歌おう」
たったこれだけの言葉に詰まっている意味を考えると、興奮で頬が紅潮した。
詩というものは時間という概念と同じくらい素晴らしい。ほんの少しの文字列で、私の頭に様々な情景が浮かび上がる。
どきどきしながら読んでいると、青いのは顔を上げて私を見て――ううむ、ちょっと、輪郭が変わった気がする。多分、表情を変えたんだと、思う。
「ああ――そうだ、貴方。自分で食事をしたことが無かったそうですねぇ」
青いのの意地悪気な声は劇の台詞みたいに朗々としていた。私は人間歴一ヶ月ほどだが、彼の声と直前の輪郭の変化から、彼が嘲けりの笑みを浮かべていることが容易に想像出来た。これって凄いのでは? 私は声で人間の感情が把握できるようになったのでは!?
人間と完全に意思疎通出来るようになる日も、これなら近いかもしれない。もっともっと、人間に素敵なものを教えてもらいたい。そんな気持ちが、詩の解釈を聞きたい欲求を上回った。
さあ、牢屋へゆこう。ふたりきりになって、籠の中の鳥のように歌おう-シェイクスピア