原案の話(読まないほうが良いよ)
この物語の主人公の原案暴露です。
これはあり得たかもしれない話
修道服を着た女が歩いて居た。
焦げ茶の半長靴は長いスカートに隠れ、両手には厚手の指ぬきサック。ヴェールはしておらず髪は三つ編みにされて垂らされているが、長く伸びた前髪が素顔を隠している。
両手には斧とショットガン。Taurus社のレイジングブルとチアッパ社のライノが両腰に下げられ、背中にはHK417のセミオートマチックモデルを背負っており、少なくともこの女が敬虔な基督教信者だとは、誰も思うまい。特に、この場所では。
アナトリア半島で起こった武力衝突はすでに最終局面を迎えていた。
ウクライナを経由したロシア本国からの介入と、理研の死守を第一にアメリカもまたその兵力の多くを割いての徹底した抗戦。すでにそれは十年続いていた。前線は疲弊しきり、戦争による景気変動も落ち着いてしまい、両国ともに、この戦争を続ける意味を見失っていた。しかし前線はそうはいかない。一度投げた石はもう元には戻らない。
すでに盤図はかき乱され混戦状態にあってなお、合衆国は傭兵を雇うのを辞めない。ロシアもまた同様だ。
ある程度などと云うラインなどすでに通り越していたのだ。この期に及んで余裕のある者など、其れこそ所謂大層な主義や主張を持たない類のPMSC’sくらいな物だろう。
狂気にとりつかれたように、二分されたアナトリアの兵と兵が銃口を向け合う。アメリカ軍とウクライナ軍が増援に駆け付ける。PMSC’sは最早混とんを極めた戦場からの撤退を始めていた。
所詮、一つのPMSC’sに盤面を一つ、丸ごとひっくりかえせるような力など存在しない。こうまで混沌化すれば、まともなところなら業界での信用度外視で逃げ出すのが普通だ。正規軍には悪いが。
そんな中で、見つけてしまったのだ。あの女を。
誰が? 全員だ。
森林でのゲリラ戦。跳弾と銃声に敵と味方の息遣いの混ざり合う、殺意と敵意と狂気のみがこの場を包んでいた。
ある兵士が殺し、ある兵士は殺す。ある兵士に殺され、ある兵士を殺す。
声に出されない、殺せという大合唱。それは呪いなのか、それとも生を渇望するが故の反作用なのかは誰にも分からないが、しかしこれだけは確実に云える。この殺害の大合唱に、中身など微塵もないのだと。
それでも鳴りやまない。それでも止め処が分からない。どちらかが完全に屈服するか、それとも双方が共倒れにでもならなければ終われないのではないだろうか――狂気の果ては、そんな末路しか予見させられない。
戦場のただなかでふと正気に戻ってしまった男は、そして次の瞬間それを目の当たりにした。
「はい、視力検査のお時間です。其処に座って片眼でこれから撃つ銃弾の数を数えてくださいね」
暑さすら伴った湿気に交じる硝煙と金属の香りには似合わない甘ったるいような声が聞こえたような気がすると、直後にショットガンの発射音が聞こえてきた。
見れば、血に染まった修道服を身にまとった女が口の裂けたような笑顔でそこいらの雑兵を殺して回っているのだ。敵味方の区別なく。
女がやったことは単純だ。当身を食らわせた相手の膝を巻き割り用の3kgはある斧で叩き折って跪かせ、その顔面にダブルオーバックを放ったのだ。そのスイッチング自体は華麗だとすら云えたが、当の女はと云えば、一言で表すなら狂っていた。
「ふぅむ、視力が随分と落ちてますね。花粉症でしょう。そんなあなたにはダブルオーバックを処方します」
二発。一発目は胴体に撃ちこみ最後の一発を顔面に撃ち込んだ。相手の顔は判別も不可能なほどずたずたに引き裂かれていた。戦場で熊にでも遭遇したのかと思うくらいに。
顔は原形をとどめず、腹はボディアーマーのおかげで原形は留めているだろうが着弾時の圧力からして体内は悲惨なことになっているだろう。しかしそんな凄惨な殺し方をやって見せた女は、少なくとも意図してそんな殺し方をしているのだと彼は分かっていた。
新平が錯乱して殺しすぎてしまうことはよくある。しかし女は戯言を誰に言うでもなく宣いながら確実に一人一人、それも誰にも気づかれずに殺していく技量を持っているのだ。これが故意でなくてなんというのか。そしてその上こんなことまで笑顔で宣って見せる。どこまでも、楽しそうに。
「おぉ神よ、私は罪を犯しましたしかし反省はしない人間なんてそんな物でしょう?」
こいつには、良心の呵責なんてものが存在しない。ある程度殺し慣れた兵ならば敵兵を路傍の石とみなしたりするようになるが、こいつはそれが、その明らかな意図をもって行われる明確な虐殺を罪と認識していながらも反省もせず続けると神に誓っている。これほどの冒涜があるものだろうか。
兵士のメンタリティとその女のメンタリティではもはや階層が違う。普通の人間のそれとも逸脱して乖離しすぎている。こういったのを、世では破綻者と呼ぶのだろう。
あまりにも壊れすぎているのだ。良識を持ち合わせていながらそんな物は必要ないと嗤って捨て去り残虐に殺すことができる殺人マシーンとすら形容したって良い。これは壊れている。
そんな彼女の幸運と云えば、こうまで大騒ぎをしておきながらいまだに誰にも、男を除いて誰にもその存在を知覚されていないことだろう。
「ステルスとは一体何か? それはフレンドリーさだ! さぁ私の溢れ出る最高のフレンドリーを物理エネルギーに変換してステルスで前頭葉を埋め尽くしちゃうぞ!」
肩からの助走付きの当身を食らった兵士はそのまま自分の装備品重量につられて付近の樹に頭をぶつけると、変な方向に頭を曲げながら動かなくなった。それを都合三人に繰り返し、ラグビーの試合のようなきれいなフォームでの当身を何度も繰り返すうちに、女は飽きたのかさらに何事か戯言を宣いながら当身を続けた。
「ハハハッ、怪しまれているだって? 怪しまれる前に挨拶だ! 即死級のフレンドリーを叩きつければ誤解も溶ける! 頭を使おうぜ!」
完全な丸腰ではないが、しかしボディアーマーも糧食の類もなく、まるで戦場に突然出現したかのように、この異常者は突発的に湧いて出てきていた。
云っていることとやっていることの不整合さなどを論じたら最早どうしようもないほどにイカレた女だが、しかし女は確かに、云っている内容からの推察にしかすぎないが確かに見つかる前に殺している。仲間に情報が共有される前に惨殺している。
音を立てずに、物音を立てたら物陰に隠れて――悔しいことに、この女はまだ一度も敵に見つかっていない。なんとなれば見つかったら片っ端から殺しているからだ。
「かつてバートランド・ラッセルはこう仮説した。世界は五分前に生まれたのだと。故にあなたが私を見つけられなくてもそれは仕方がないのです。あなたが見えていないところで私が何処でうろちょろしていても関係ないわけです」
多勢に無勢で集団で固まったところにバイクから引っこ抜いたであろうガソリンタンクを投げつけ火炎瓶まで投げつけた女は、正しく鬼畜だと呼んでいいだろう。其れらしいことを嘯いているが、要するにお前たちの不注意だと云っているようなもの。
そしてその対象も今しがた絶命したところだ。
「マタイによる福音書にも書かれています。汝らの敵を愛せよと。敬虔なる神のし僕たる私があなた方の美点を見出して差し上げましょう」
ガソリンを辺り一帯に撒き火炎瓶を其処彼処に投げつけながら女は厳かな風を装って侮辱の言葉を浴びせようとしている。
「一つ。どこから出てくるかバレバレなので燃やしやすいです」
木の陰から出てきたところを女は得意の当身を食らわせ怯んだところを、その後ろにいた敵兵にそれとともに火炎瓶を押し付け、次の瞬間には大炎上してガソリンに引火していた。
爆発と眩いばかりの閃光が目を焼き、女の近くにいた敵も味方も灰燼となっていた。
「――思いつきませんね。あ、踏めば死ぬとかでしょうか?」
まだ息のあった味方の頭を、女は自分の半長靴で踏みつけ、全体重をかけて踏みつぶして見せた。
脳漿がザクロのように飛び散り髄液が異臭を放っている。ケロイド状になった皮膚と血液の臭いが延焼を起こした森の中でひときわ匂っていた。
「はてさて、ではこの場において正義とはいったい何なのでしょうか? 哲学書を読んでみても心理学の本を読んでみてもその答えは書かれていませんね?」
敵も味方もようやっと女の存在に気が付いた時にはすでに遅い。もはや本隊からも引き離されて孤立しているのだ。あとは一人ずつ丁寧に惨殺されるだけだ。人が考えうる最高に最低で残虐な方法で。
笑顔で、女は笑顔で殺し続ける。とても楽しそうに。
「私は常にそれを考えてきたのですけれど遂に私はそれを悟ったのですよ! 正義とは概念でもなければ道徳でもなく価値観ですらあり得ない! 正義とは詰まる所、位置情報なのですよ! 例えば私で言うならばこの足の裏やショットガンを撃っているとき火炎瓶を投げているときなどによく観察できるのです!」
狂人の戯言だ。ならば我々が採れるのは下線を集中してこのイカレポンチから一歩でも遠くに逃げることだろう。
この時ばかりは敵兵とも意見があったと見えて、未だに二十人はいる部隊が女を取り囲んだが、しかし女は臆することなくその正義とやらは位置情報だとする新種の学説を飽きもせずに説いていた。
気が狂いそうだった。こんなバーベキュー好きのイカレアマと同じ空間にいるだけでそれが加速されていくような気さえもしてくる。
それとも何だろうか、このイカレ野郎はこの人数に包囲されていても逃げ切れるというのだろうか――あり得ないことではないように思えた。
「あぁ神よ、私はニトログリセリンの中に神を見ました! さぁこの素晴らしいのを異教徒たちに布教しましょう! やることは簡単です。死かそれとも改宗かどちらに一つです!」
勝手にニトロ化合物の中に神でも見て居ろ――そう思ったのもつかの間、女は裾から夥しい数のカラミティ4を落として、笑顔でまたこんなふざけたことを宣うのだろう。
「あら皆様ご機嫌用。そういえば人と仲良くするコツは第一印象と云いますわね。私は師からの教えを大切にしておりますの」
それはそれは、大層良い笑顔だった。大輪の花の咲くような、良い笑顔だった。
誰かが炎の中に逃げ込むのと同時に、他の全員がそれに続いて炎の向こうを目掛けて逃げ出した。
「礼儀正しく質量を込めて、皆様の骨にまで届いてくださいね、私の好感度!」
直後に白煙と衝撃波が襲い――男の意識はそのまま刈られることとなった。
男の遺体は完全に原形を留めないほどにばらばらになっていた。C4の至近爆破を受けたのだから、当然だろう。しかしその只中に合って、女は無傷だった。
女の位置が、真の安全圏だったのだ。全ての爆弾は一見無秩序にバラまかれたように見えたが、それらの爆風と破片の飛翔半径とルートさえ割り出すことができるのであれば安全圏を意図的に作り出すことは可能なのだ。
爆風と爆風とがぶつかり合い相殺し熱も風も煙も届かない、完全な安全地帯をあの一瞬で女は作りだしていたのだ。
「あぁ、やはり爆弾にこそ神と正義は宿るのですね」
恍惚とした表情でスカートの内側から取り出したC4を撫で続けるその様子は完全に常軌を逸していて、そしてこれほどの惨事をこの女一人が出したとは誰も思わず、女はまた五月蠅いながらも静かに、他の戦地のお邪魔になるのだった。
この女の名前は、黒崎真白。何を隠そう、現世と幽世を繋ぐ物語の主人公の原案である。ドウシテコウナッタ。
どうでしたか?(下衆顔)