第一話 ~日常の話~
基本は日曜日の午前零時あたりに投稿できるように執筆していく所存ですが、大学生となり時間に余裕が持てない昨今、もしかしたら予告なく更新が停滞する可能性があることをご了承ください。
ここから日常パートは三~四話ほど続けて異世界突入に入ろうと思っています。実を言うと以前も異世界入りの内容でリメイクしていたのですが、そのリメイクの出来が良くないことに怒りを感じて癇癪を起して消してしまいましたwwですのでそのリメイクの内容に会った街や国名が出てきますが、そこら辺含めて全てリメイクしているものとお考えいただければ幸いです。
――貴方にとっての常識は
必ずしも誰かにとっての常識ではない――
日本の玄関口である成田国際空港のアスファルトを海外製のスニーカーの底が踏みしめた。見るからに女物だが底のゴムが厚く作られているミリタリテイストな物だった。
美しい黒い髪に黒いコートと黒いパンツ、白いシャツと見事に黒が存在を主張する服装だったが、その出で立ちに似合わぬ巨大な青い箱がそれ以上に存在を主張していた。
釣り人が愛用するクーラーボックスらしい形だが、それにしてはかなり巨大だった。相撲取りほどの幅と長さと言えばその巨大さが伝わるだろうか、とかくそのクーラーボックスは巨大で、存在を主張していた。
女は愛おしい物を愛でるようにクーラーボックスを撫でて言った。
「着いたよ、ルート――私たちの日本に」
綺麗な笑みに周りの人間が見惚れそうになっていたが、それに構わず女はその棺桶の様なクーラーボックスを撫でるとバスターミナルに向かって歩き出し、近くの駅までの区間を運行するバスに乗り込んだ。
奇異に見られることも気にせずバスに乗り込み、約四年ぶりの日本の風景を女は微笑みながら見送っていた。
何も変わらない。今日から明日、明日から明後日へ、ベルトコンベアを流れるように変わり映えしない。
突然の内紛で家屋が薙ぎ払われることも、人が塵の様に死んでいくこともない。故に人はゆらりゆらりとたゆたう様なゆったりとした流れの中で段々と熟成しきって腐り落ちて行く。
一度熟成されてしまった文明、文化はその文明の力によって人を腐らせてゆく。
終点の駅でバスを降りて電車を三回乗り継ぎ、とある地方都市に辿りついた。
駅から出て来てバスに乗り込まず、軽やかにも見える足取りでふらりと歩きだした。
少しばかり古風な家々が立ち並ぶ通りを女は歩いていた。偶にクーラーボックスの位置を直しながら熱く熱されたアスファルトの上を空港からこれまでの道中と同じ黒尽くめのままで。
少し古い建築様式の家々が立ち並ぶごく普通の街並み。それにしては女が生活していた頃より活気が無くなっているように感じられた。
まるで何かに脅える様な、恐ろしい物にその生活を脅かされる小動物の様な、そんな嵐の前の静けさ。息を潜めてでもいるような気配その物が希薄な気配。これではゴーストタウンよりも酷い。
何かあったのだろう。連続殺人事件か、誘拐か、それともヤクザ同士の抗争か。別にどうでもいいが、家は大丈夫だろうか。
女は周りを見渡しながらその異様な街の静けさを眺めまわして、そしてしばらく先にある筈の家に向かってその細い脚を動かした。
□
黒崎と書かれた表札を見てからインターホンを押した。
日本では当たり前に聞こえるこのベルの音、懐かしい家の匂い。ようやっと帰って来た気がした。彼女もそれを嬉しく思っているだろうとクーラーボックスを撫でた。
インターホンを押してから数秒が経ったが、一向に誰かが出てくる様子はなかった。
意を決してもう一度インターホンを押そうとした時、懐かしい声が先ほど歩いて来た通りから聞こえて来た。不覚にも泣きそうになる。あれほどの大口を叩いて出て言っておきながら、こんな面を引っ提げて帰って来たというのに、不思議とその声は温かかった。
「真白……?――真白!?帰って来たのね!あぁ、良かった――」
「――――――」
懐かしい顔が見えた。泣き黒子が特徴的なとても五十代とは思わせない美人な母と強面で不器用で無口な父。どちらも記憶より幾分老けた顔をしているが間違いなく彼らは女の――真白の両親だった。
「ゲルトルートは?真白が帰って来たってことは――」
「――母さん」
ゲルトルート――飼い犬だ――がいないことを不思議に思って問いかけた母親のそれを、父親が肩に手を置いて首を横に振った。それだけで何か分かってしまった。彼女が小脇に抱えるクーラーボックスの意味が。
「真咲が高校から帰って来てから話すよ」
父親も母親も皆まで言わずに家の中に通した。
縁側に陣取り、その隣にクーラーボックスを置いた。ようやっと帰りついた故郷。半ば強引に傭兵稼業から足を洗って帰って来た平和な世界。学歴で人生の大半が決まってしまう世界で、それも同じような能力の人間ばかりで飽和している。
平和で、平和で、平和で、故に牢獄の様な優しくそして残酷な世界。
高校生の頃は酷く汚い世界に見えた筈なのに、今の彼女の眼にはその夕日がとても輝かしい物の様に見えていた。
そう、そういう世界を望んでいた。
誰も戦争したくてしているわけじゃない。ただ最終的に選ぶ道が無いから、退路がもうないから戦うしかなくなってしまうんだ。
富が、利権が、食料が、宗教が、意見が、そういう些細な物から大きなものまで。
誰だって豊かな暮らしを求めている。それこそ非先進国の人たちはそうだ。テレビとかで衛星放送を見る人は何故自分の国がこれほど貧しいのかと考える。行きつく先は無能な政治家連中に向き、ならばどうすれば国が良い方向に行くのか考えて行動する。世に言う気高い革命の思想とやらだ。
お互いに意見がすれ違うから、意見の方向性が正反対だから、だから白熱して行って最後は紛争という形に墜ちて行く。
死の商人がここぞとばかりに武器を売り付け、冷戦の延長戦が始まり、そしてその影響は周辺にまで波及して行く。こうして戦争が始まる。
宗教とか、そういう物関係なく人間は仲良くやっていける筈だ。その純粋な思いが引き金となって彼女はその身を傭兵に落とした。いつか戦争がすべて片付いて、皆が理想と思う黄金色に輝く理想郷が広がっていると夢見て。
夕陽を見ながら打ちひしがれていた。己の無力さと不甲斐なさに情けなく思い、そして自分もこの世界ではどうしようもないほどに無力な一人の人間でしかなく、物語の様な展開など存在しないと言うことを。
これが理想の行きつく先だった。
知らずの内にクーラーボックスを撫でるその行為に、何か意味があるわけではない。強いて言うなら懺悔だろうか。
戦ってくれたことに対する感謝、支えてくれたことに対する感謝、語りだせばきりが無い。それだけクーラーボックスの中に眠る戦友に助けられてきた。依存していたと言っていいほどに、その寡黙な優しさに頼り切っていたのだ。
しばらくすると日は完全に沈み切り、それとほとんど大差ない時間帯に妹、真咲が帰宅した。部活動に入っているようだった。
家の構造上二階に存在した二人の部屋に行くには居間を突っ切る必要があるが、居間をすぐ越えた所には縁側と小ぶりな庭が存在する。その為会いたかろうと会いたく無かろうと二人は自然とお互いを発見出来てしまう。
「お姉ちゃん、帰って来てたんだ」
「……ただいま」
沈黙。
四年前、妹が中学二年か三年生の頃に家を出たっきりでメールも電話もしてこなかった。どう話をすればいいのか分からなくなってしまった。
戦争の話なんて年頃の娘には論外だしどういう護衛をしたかも論外だ。戦場で着いた傷の話しも論外だし、する必要が無い。結局彼女にしてやれる話は一つもなかった。
数分の沈黙の後、妹は何も言わずに居間を去った。最早話すことは何も無いとばかりに。
それから一時間ほどあと、全員が揃って食事を取った後に真白はクーラーボックスを縁側から居間に移動させた。
「傭兵として名前が売れて色々な人、それこそ政治家から革命運動組織にまで幅広く雇われて、色々なところを転戦して歩いていたの。そんなある日、アメリカ軍から雇われてシリアに向かって、そこに展開していた一個師団と合流したの」
クーラーボックスを撫でながら話す真白に、母親はヒステリー気味に問うた。
よもや娘がそこまで危険な場所で活動しているとは思わなんだ。たとえ家出同然に去った娘であろうと愛情は変わらない。
「ISILとの激戦区じゃない!大丈夫だったの?!」
「頬に銃弾を掠らせたのと腹に銃創が出来た程度でそんな大きな物は付いてないよ」
頬に薄く一筋、髪に隠れていて見えなかったがそこには確かに一筋の線が入っていた。
深さからして一生その頬に残ってしまうだろう。端正な顔立ちの中にただ一点痛々しい傷が入っている。これで家族が潔癖症だったならばその傷すら許せない物になっていたかもしれない。
「それで話を戻すけれど、私が着いてから再度の攻勢が始まったのだけれど、結果的に乱戦になっちゃってね。私が振り分けられた小隊もほぼ全員が戦死して、敵兵三十人と敵戦車を辛うじて三台、航空機をぎりぎりで一機落としたのだけれど、敵の小隊を撃ち殺している最中にフラッシュ・バンを焚かれて、ギリギリで耳を保護するのが遅れてしまったの」
あの地獄のような前線。照りつける太陽の、燃える様に熱い砂原のなんと恨めしいことか。あの場において狂わずにいられた人間は何人いたことか、数える気にもなりはしない。それほどまでに常軌を逸した総力戦だった。
「耳が聞こえなくなって、必死に索敵に専念している筈のルートを呼んだんだけれど、敵に頭を撃ち抜かれて、死んでいたの。敵がルートを放り捨てた時に銃口がぶれて、だからルートの代わりに奴を殺した」
膝の上で人差し指が引き金を引く仕草を無意識にやるたびに、母親も父親も、果ては妹までも彼女のその憔悴しきった姿に再びの衝撃を受けていた。
そしてやはり、目の前のクーラーボックスには彼女の、彼女らの愛した飼い犬であるゲルトルートが眠っているのだと理解して、そしてその壮絶な戦死にゾクリと毛が粟立つのを感じる。
「――殺して、殺して、殺して殺して殺し尽くした。だけどね、いくら頑張っても敵はいなくならなかった。絶望したね。彼らは平和を希求して立ち上がったのではないのか……って」
なおも続く独白。彼女の苦悩と後悔。純粋過ぎて知らなかったが故に破綻した論理は、しかし彼女もまた被害者であった事を語るかのようであった。
「私が戦えばその分だけ世界から戦争が無くなるって信じていた。だけど実際は違った――!私が戦えば戦うほど、別の何処かで別の誰かが戦っていた!私が誰かを殺すたびに別の何処かで誰かが殺されていた!
圧政に喘いで立ち上がった革命家も、それに対抗する政治組織も
宗教を隠れ蓑に立ちあがったテロ組織も、それに対抗する世界も
必ず何処かで誰かが傷つき誰かが泣いていた!それを無くしたいと思って戦っていたのに、お互いがお互いの大義名分のためだけに戦っていて、それじゃあ私の戦争は何だったの!ふざけるな!」
もはや論理などとうに破綻している。誤魔化すのに都合のいい場所に居たから、誤魔化すのにちょうどいい状況に立っていたから、だからこそそれを考える暇すらなかった。その暇すら潰してきた。
しかし帰ると決めたあの日あのとき、それまで誤魔化してきた全てが目の前に突き付けられたような気がしたのだ。とても尊い戦友であり飼い犬でもあった一匹の聡明な犬の死によって。
手遅れだ。もう息をしていない。
帰ってこないのだ。何も、誰も、帰ってこないのだ。
寡黙に己の仕事を全うし通した戦友は既にこの氷で満たされた箱の中で眠りにつき、笑みを見せることはもうないのだ。
「ねぇ、教えてよ。私、何のために戦っていたの?」
俯いた顔。その表情を窺い知ることはとんと出来なかったが、しかし畳に跡を残すその涙に誰も言葉を発することは出来なかった。
壮絶であり、そして凄烈な話だ。年頃の娘に酷すぎる。これが特殊な家系に生まれ育った娘ならば折り合いも付けられただろうに、それはとても悲しいことだった。
何を想って戦場に立っていたのだろうか。そんな破綻した論理を胸に抱えて、如何して立っていられた。どうして直ぐに逃げ帰らなかったのだ。こんなに傷つきすり切れてまで――。
言葉に尽くせなかった。戦場に立って来たわけでもなければそんな生き死にを懸けた戦いに身を投じたことなど一度としてありはしなかった。ただ、これも酷だと分かっていても、これだけは言えることがあった。
眼鏡を拭き直し、父親は俯き涙する娘の顔を上げさせた。
「俺にはお前の問いに対する答えは出せないが、一つだけ言ってやれることがある。たとえ、お前が言う通りに世界中の人間が平和を願っていたとしても、その平和のあり方は千差万別なんだ。同じものなんかありはしない」
頭を殴られたような気がする。目の前がぐらぐらと揺れる様な気さえする。
ああ、そうか。そもそもの前提が間違っていたのか。ならば全部、自業自得ではないか。そう、所詮――
――意味など最初からなかったのだ
泣き崩れる娘を抱き止めて、父親は愛しい飼い犬の亡骸が納められた棺桶に頭を下げた。
最期に家長としてやってやれることだった。
「ゲルトルート、思えばお前は私が右翼運動に参加していた頃からの付き合いだったな。天皇陛下に統帥権を返せと叫んでいたあのまだ若かった頃から、もう二十と六年ほどか。それほど長い間私と家族を、そしてこの馬鹿娘を見守ってくれてありがとう。そして戦場で幾度となく娘の助けとなってくれて、ありがとう。――ゆっくりと眠ってくれ」
静かに居間にこだました、優しい声音。長く飼ってきたが故、その思いも一入だった。
娘が赤ん坊のころから育てて、とっくにおばあちゃんになってしまったと言うのに最期まで助けとなってくれて、頭が下がる思いであった。頭が下がるどころの話ではない。額を畳に付けてもまだ足らないかもしれない。それほどまでに棺桶の中に眠るミニチュア・シュナウザーとの思い出は濃く、そして深かった。
基本は5000字以上を目安に10000字以内で納めるつもりです。そのため話によっては妙にくどい文章が10000文字分続くこともあります。お付き合いいただけたら幸いです。
なお、作中で良く使われる『カナン』ですが、ご存知の方も多いとは思いますが分からないという方の為に解説させていただきます。
『カナン』とはユダヤ教、キリスト教、イスラム教、バハーイー教などの主だった宗教で偉大なる予言者とされるモーセが神と結んだとされる約定、つまり旧約聖書において『乳と蜜の流れる場所』と描写される、地中海とヨルダン川と死海に挟まれた一帯をさす古代の名称です。
神がアブラハムに与えると約束した地であり、これのことを約束の地(=現在のイスラエル)と言うらしいです。