プロローグ ~戦場での話~
過去作のリメイクという名の完全新作です。過去作のリメイクといっても、過去作の名残なんて全くありません。精々用語が以前よりもまとめられたものになっている程度です。ですので以前の作品を知らない方でも十分に読める作品となっているはずです……たぶん。
――貴方が戦う時
別の誰かもまた、戦っている――
爆発音とともに視界を砂塵が覆った。
断続的に続く砲火。巻きあげられる砂塵は散った命の数を示すかのように絶え間なく舞い上がった。
宗教を母体にした組織ととある大国の戦争は、かつての大戦争に匹敵する空前絶後の総力戦と化していた。
圧倒的物量と圧倒的物量のぶつかり合い。最早乱戦となり誰が味方で誰が敵か分からない。
既に敵も味方もない。敵は見つけた傍から撃ち殺せ。何であろうととにかく一分一秒、コンマ一秒でも長く、その命のピアノ線を長く伸ばせ。それ以外に彼らに生き残る道はない。
発砲音が、砂地に身を倒す重い音が、今も誰かの命のピアノ線を絶ち、誰かの命のピアノ線を伸ばした。
皆殺し、老若男女構わず皆殺し。敵軍に味方するならそれ即ち全て敵。
正義、愛、平等、平和、制圧、解放、はたまた自由か――御題目などは関係ない。足を進めるに足る、手に握る銃を放つに足る、依る大義さえあればなんでもいい。少なくとも軍人ならばそれだけでいい。あとは脳裏に構築された戦術理論が身体を動かしてくれる。
狂わずにはいられない。それでも自棄になることを許されない。
一分一秒でも長く血を沸騰させろ。天ではなく目の前の敵に向かって吠え猛り手に持つその武器で殺すのだ。
死にたくなければ吠え猛るのだ。後ろを振り向けばその先には死が待っている。只管に狂騒し、一人でも多くの敵を殺すのだ。
そんな強迫観念じみた生存本能が何処も彼処をも満たし人を戦いに駆り立てていた。
――そう、たとえばこの場所でも
M1エイブラムスの主砲が、副砲として据え付けられた機関銃が共に火を噴いた。金色の輝きが刹那ほどの時間もかけずに着弾する。
先ほどの砲撃で新たに数十人規模の人間が粉微塵、いやそれ以下の肉塊となって血の匂いを漂わせながら砂の大地に堕ちた。
血と硝煙の香りが、排莢される砲弾の焦げた匂いが合図とばかりにそれは姿を現した。
「やりやがって――!」
荒々しい言葉遣いと共に建物の残骸から飛び出た女の手には某大陸製の対物ライフルの決定版、バレットM82a1が握られていた。
駆け付けた何人かが気を引いているうちに対物ライフルでは本来ありえない立射で、その巨大な12.7×99mmNATO弾を発射した。
引き金が引かれ、鉄が鉄を打つような音と共に発射された弾頭が空気を、風を、砂嵐を突っ切った先にあるその硬い戦車の砲塔内部に飛び込んで砲弾を食い破り、中に潜んでいた全身黒尽くめの男たちを灼熱によって解けた真鍮と胴で焼き殺した。
爆発。
砲塔から折れ曲がりハッチは黒煙と爆炎を伴って勢いよく開いた。衝撃に耐えきれなかった弾薬庫が誘爆してM1エイブラムスをただの鉄クズに変えた。
女は対物ライフルを背負い直し、手にした鈍い銀色が特徴的なデザートイーグル.50AEとコルトガバメントのカスタムリボルバーを手に街路を進む。援護に回った数人の内三人ほどが彼女についてきた。
砂地を踏む足音と爆裂音、銃声砲声がさざめき、何処にいたとしても彼女らの身が休まる場所はなかった。
黒衣の人間を撃ち殺し、撃ち殺し、撃ち殺して撃ち殺す。目眩がするほど殺してきた。何処からか、それこそ雪で覆われた大国風に言うならば人は地面から出てくるとばかりに黒衣の人間は止め処を知らずに襲いかかる。
終わらない、終われない。襲いかかるなら、戦うべきだ。殺されるなら、殺される前に殺し返せ。
信頼できる師から、教官から叩き込まれた戦術理論が牙と爪を剥いて敵に襲いかかる。殺して、生きて――殺して、生きる。生きるために殺し、殺されるから殺し返す。単純で、そして人間の本能に刻み込まれた最大の宿業がお互いの血を沸騰させていく。
汗と、血と、悲鳴と、そして心地よくない酩酊感。ここは生と死の輪舞で満ち満ちている。ここで立ち止まれば暴れ馬の背から落とされその細い生命の糸を断ち切られてしまう。
殺せ、愛する者のために。
殺せ、守るべき国のために。
殺せ、敵となる全てを殺せ。
余計なことを考えるなその瞬間に死が追いつきその牙で、その爪によって引き裂かれるぞ。
女は誰よりも殺して、殺して、殺して、殺して、殺して殺して殺し尽くした。
ソルトアンドペッパーの毛並みが美しい犬が、女の傍につき従い敵の来訪を知らせ、次の瞬間に敵は死ぬ。
女は作業の様な殺戮の中でただ落ち着いていた。
落ち着いて犬の吠える方向に銃口を合わせて、引き金を引く。吠えた回数と同じ数を引き、吠えた回数以上の数を引き、そして女の周りにはただ物言わぬ躯だけが残った。
走れ、何処までも走れ。敵は何処にでもいる。何処にでも潜んでいる。
この乱戦において仲間は意味を為さない。故に己で己を頼れ。死にたくなければ殺せ、敵を殺せ、殺すのだ。それ以外にお前がとれる道はない。
伝染した殺人の法は着実に前線の将兵全てを蝕んで行く。いや、あるいは最初からこの場にはそれしかないのかもしれない。分かることはこの場で殺しをためらえば死が待っていることくらいだった。
着実に、けれど確実に敵には死を、自身には生を。その為なら何でもしろ。騙し討ち、フェイント、狙撃、何でもいい一分一秒でも長く生きろ。その意味では女もそこいらの兵士と何も変わりはなかった。
ただ生を、とにかく生きて居させてくれ。その為ならいくらだって殺せる――いつの間にか義憤に燃えていたその心は冷え切っていた。
平和な国において、非先進国や発展途上国のただ『豊かになりたい』というそれを理解できず、のうのうと腐って行く同国人を冷めた目で見やり、無意味に被害者意識だけは高い戦争懐古に嫌気がさして高校卒業と共に傭兵に身を落とした。
飼い犬には索敵を覚えさせ、女はあらゆる銃の扱い方と近接格闘術を覚えた。どれも平和な国では必要ないとされている戦うための、自身を一分一秒でも長く生き延びさせるための力だった。
一分一秒でも早く、多くの争いを終わらせたい。
自惚れていたわけではなかった。ただ純粋に平和を願っていただけだった。そういう意味で言えば、彼女もまた彼女が見下す腐り落ちて行く人間達と同じだったと言える。
平和であるがゆえに、争い合う人間の心は分からない。
痛感してしまった女は、まるで生きる意味を見失ったかのように各地を転戦して歩いていた。
あるときはレジスタンスに雇われ、あるときは反政府運動のデモ隊に雇われ、あるときは彼らが付け狙う政府の高官に雇われ、またあるときは亡命の手助けをしてやったことさえあった。
彼らもまた生きるために殺し、殺される方も殺されそうになるから生きるためにもがいた。誰もが生きていたいのだ。其処に正義も悪もない。強いて言うなら、死んだ方が悪なのだ。生きた方が正義なのだ。
戦いは何処にでもある。どんな場所、どんな国にだって――それがたとえ、意見の食い違いだろうと何であろうと、戦いに違いはないのである。
その事実に頭ではなく本能が理解してしまった。そして負けを認めた瞬間、彼女の戦場は灰色に塗りつぶされて、生きるために生きる、生きるために殺す、一体の殺戮人形と化してしまったのだ。
純粋さは、時にはその純粋さが死を齎すのだ。
沸騰して騒ぐ血を胸に、落ち着き払って敵兵を殺す女は何を考えているのか、それは彼女にしか分からない。
故に彼女には見えなかった。物影に隠れて敵をやり過ごす索敵犬にも分からなかった。側面から襲い来る、その彼らの行軍に。
突然の銃撃音に女はその場で伏せた。もう何度となく繰り返してきた、骨の髄にまで刻み込まれた基本の行動だった。
爆ぜる砂地、踊り狂うかつて生者だった三人分の死者の骸。狙いが明確に着けられていないという事実が疎ましかった。
視界を覆う砂嵐の中に見える七人の影。以前銃声は止まず、躯に穴をうがち続ける音が響く。女は伏せた状態でその影に向けて二丁のカスタムリボルバーの引き金を引く。
銃声によって銃声がかき消され、視界の悪い中で確実に敵が死んだ。
一人、二人、三人、四人、五人、六人――あと一人足りない。
不意に転がって来た一本の縦に長い発煙筒の様な物に目が行った。それは鍋を囲む時に使うガスコンロに取りつけるための小さなガスボンベに似た形をして、その先の部分には消火器のレバーの様な物があり、横っ面には細長い何かを差し込む口が――
「ルートッ!目を閉じて!」
絹を引き裂く様な悲鳴にも似た命令。長く共に戦ってきた戦友への、これほどまでにない強い口調。それを言い終えるか言い終えないうちに、強い閃光と高い音が一帯を包み込んでいた。
犬笛か何かを薄く吹いているような細く長く、そして人間の最も重要な感覚器官を潰す超音波が、閃光の抜け切ったその場にとどまり、一切の音の存在を許さなかった。
「――ルート……?ルート大丈夫!?……ルート、何処なの!?」
砂の大地を踏みしめる音が聞こえたのか聞こえなかったのか、それとも気配を感じたのか、女は視界が晴れた中で後ろ向き、そして絶句した。
信じられない、ありえない――常時ならばそのようにして取り乱していただろうが、不思議と彼女の心は静かだった。それこそ目の前の銃口の揺らぎすら見極めてしまえるほどに。
赤と鈍い白銀のそれが落ちるのと、女が銃を抜き放つのは同時だった。
乾いた音が響いた。まるで春の日差しに包まれた洗濯物を叩く様な、そんな乾いた音が響いた。
ぐらりと揺らめいて倒れる男。黒衣の腕には鹵獲品だろうAK-47があり、片手と頭はトマトジュースの様に真っ赤な液体に濡れていた。
生と死が渦巻く中で、確かに女は勝った。その生存競争に。確かな生の実感と確かに殺したと言う手触り。だと言うのに女は、黙したまま動かなかった。
依然沈黙が支配するこの前線、止まれば何処から銃撃を受けるか分かった物でもないこの大地で、女は目の前の男の様に大の字になって寝ころんでいた。頭を撃ち抜かれた犬の死骸をその腕に――。
戦いには勝った。けれど、勝利は得られなかった。ただ一匹の寡黙なる理解者は永久に動くことはない。これを敗北と言わずして何と言うか。否、これが敗北だ。大敗北だ。これが――こんな物が勝利に美酒であって堪る物か。
「帰ろうか――あの平和な国に」
それから二ヶ月後、犬連れの女傭兵と呼ばれた黒髪の美しい日系人を戦場で見た者はとんといなくなってしまった。最後に見た者は誰もいない。
~アナタが銃を置くとき、別の誰かはそれを手に取っている~
『異世界転移の物語』第一章 ~Jenseits von Gut und Böse 善悪の彼岸~
今回でシリーズ中盤にあたりますので、ここからが正念場だと思っています。遅筆な作者ですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
なお、今後の話の軽いネタばれですが主人公がナチ公とくっつきます。『自分はナチスが大好きだ』といった極右翼の方にも『ナチ精神を持っている右翼の屑はみんな死ねばいい。いっそ水爆撃ってやろうか?』といった極左翼の方にも敬遠されそうな性格をしていますので、中立な方には後味が少しばかりいい作品となるかもしれませんので、そういう展開に不快感を抱かれる方はブラウザの戻るボタンをクリックした後で閲覧履歴から削除されることを推奨します。
それでも読みたいという剛毅なお方はこれからもお付き合いのほど、どうかよろしくお願いいたします。