第九話「拳闘無宿 四角い荒野に見えるもの」
拳闘無宿とは、故寺山修司さんが、ボクシングに命を賭けて、
人生を渡っていった人々に敬意を込めて言った言葉です。
二〇〇七年の十二月十一日(日本時間十二日)、今年のボクシングの
殿堂入りメンバーが発表され、評論家でマッチメーカーのジョー小泉
氏(六〇歳)が選ばれた。日本人の殿堂入りは2階級制覇王者のファイ
ティング原田氏に次いで史上二人目。今回は元世界ヘビー級王者のラ
リー・ホームズ氏ら計十二人が選出された。殿堂入り式典は六月八日、
ニューヨーク州カナストータで行われる。
という記事が各新聞に載っていた。
俺は、毎週WOWOWの「エキサイトマッチ世界プロボクシング」
を観戦しているが、一九九一年以来続く長寿番組であり、世界のボク
サーのすごさに触れられるこの番組の放映時間の月曜の八時は、一週
間の中での楽しみな時間の一つである。この番組の中で、的確なボク
シング技術の解説や世界のボクシング界の様々な情報を教えてくれ、
さらに英語やスペイン語の同時通訳もこなすというのがジョー小泉さ
んで、一言で「すごい」人だが、番組の終わりに絶対に「ダジャレ」
をいうことでも知られている。
この番組を何で見だしたかというと、桃ちゃんの影響である。
桃ちゃんは女の子にも関わらずボクシング好きで、それもマニアに
近く、けっこう古いボクサーも知っていて、どこから買ってきたのか、
「輪島功一 炎の男」という世界チャンピオンから二度陥落し、その
たびに王座に復帰した世界ジュニア・ミドル級チャンピオン輪島功一
さんの現役時代の全世界タイトルマッチが見れるビデオを持っている。
十年前そのビデオを桃ちゃんが貸してくれたというか、無理やり家
に置いて帰って、三日後に感想を聞くから三百字以内でまとめておく
ように、なんていうので仕方無しに見たのだが、これが面白い。この
ビデオがきっかけで俺もボクシング好きになり、「エキサイトマッチ」
を見だすようになったわけだ。
輪島さんは七十年代に活躍した人である。
二十五歳でデビューという遅咲きの人で、それもジュニア・ミドル
級(69.853kg)という世界的に層が厚く強打者揃いの階級の中にいたの
だが、相手の動きを見切る武芸者のような体のさばきと、機を見て相
手から打たれることを恐れず、接近戦で相手を倒す勇気によって世界
チャンピオンとなり、そのあとも多くの難敵と戦い名勝負を繰り広げ
てゆく。
構成的には輪島さん自身の自戦記のかたちで様々な解説が織り込ま
れているので、素人にも充分にボクシングの奥深さを味わえる作りに
なっていた。
輪島さんはプロボクサーになって三年目の二十八歳の時、一九七一
年十月三一日、東京・両国の日大講堂で世界初挑戦。WBA・WBC世界J・
ミドル級王者カルメロ・ボッシ(イタリア)に挑む。ひざまずくよう
な格好から次の瞬間、跳ね上がりながら相手のアゴに拳を振り上げる
「かえる跳び」やパンチの当たらない距離で突如フラフラになった格
好をして相手に近づき殴りかかったりするなど変幻自在の攻めで技巧
派の相手の技を封じ十五回判定勝ちで世界王座奪取に成功する。その
後、通算六度の防衛に成功。
一九七四年六月四日、オスカー・“ショットガン”アルバラード
(米国)を挑戦者に迎え、七度目の防衛戦を行うが、最終十五回KO
負けを喫し、王座陥落。王座陥落から七ヵ月後の一九七五年一月二一
日、アルバラードと再戦。十五回判定勝ちで雪辱しWBA・WBC王
座返り咲きに成功。三月にWBC王座を剥奪され、以後WBA王者。
六月七日の初防衛戦で柳済斗(韓国)に七回KO負けを喫しWBA王
座陥落。だが、翌一九七六年二月十七日、柳と再戦し十五回KO勝ち。
二度目の世界王座返り咲きを果たす。五月初防衛戦でホセ・デュラン
(スペイン)に十四回KO負けを喫し、三たび世界王座から陥落。一
九七七年六月、三度目の世界王座返り咲きを懸け、WBA王者のエデ
ィ・ガソ(ニカラグア)に挑むも、十一回KO負けを喫し、結局この
試合を最後に三十四歳で引退する。
最終戦績は三十一勝(二十五KO)六敗一分。七十四年の最初のアル
バラート戦以後の六戦で四度のKO負けを喫するもその倒れても倒れ
ても起き上がるファイター振りは、最後まで観客を酔わせた。
輪島さんは場外戦も全力で、特に有名な話が柳済斗との再戦の時、
風邪を引いて体が弱っているという噂をながし、その試合直前までの
輪島さんを追い、試合後ドキュメンタリーとして流したNHKの取材
班にもマスクをかけてだまし続け、柳済斗との記者会見でもマスクを
して幾度も咳き込み、相手を油断させようとしたことである。利用す
るものは全て使い、勝つために全力をつくす、傍目にはほとんど喜劇
なのだが、笑うものは笑えとばかりの演技に誰もが引っかかったので
ある。ここまでくると戦国時代の日本一の策士、毛利元就も真っ青と
いうことになる。
ビデオ「炎の男」の終わりで輪島さんは、「勝負は「勝つか」「負
けるか」と書くんだ。結果なんて気にしてたら、試合はできない。自
分が燃え尽きるまでリングに上がったんだ」とおっしゃっていた。
アーネスト・ヘミングウェイの小説「勝者には何もやるな」の冒頭
に次のような一節がある。
「勝者には何ものをも与えぬこと――その者にくつろぎもよろこびも、
また栄光の思いをも与えず、さらに、断然たる勝利を収めた場合も、
勝者の内面にいかなる報償をも存在せしめないこと――である」
まさに輪島さんは、リングという正方形の荒野の中で、勝者となり
つづけるために、休むことなく努力を続け、くつろぎも栄光への思い
も現役時代にはなかったはずだ。リングという荒野の中を彷徨しこれ
以上はボクサー生活を出来ないと自分で納得したとき、グローブを置
いたのだ。最後の試合でもいつものように失神寸前の状態まで頑張り、
そしてKOされ、敗者としてリングを降り勝負師の生き様を示してく
れた。
ボクシングにとって「強さ」は論理だが、「戦い」は思想である。
ボクサーの「強さ」は、あくまで相手との相対的だが両者にとって
は、絶対的な違いであり、各種の対戦までのデータから割り出せるも
のである。
しかしながら、「戦い」は一対一の鍛えに鍛えた者同士が、各々の
それまでの直接的にか間接的にか得てきた経験から生れる思想の衝突
である。
輪島さんは「勝負師」としての思想を己の肉体で具現化し、「ボク
シングにとって「強さ」は論理だが、「戦い」は思想であるというテ
ーゼを実証してくれた。
つれづれにそう考えてきて、思い出したのが、今年の十月にあった
WBC世界フライ級タイトルマッチ 王者・内藤大助対亀田大毅戦で
ある (王者が3−0で判定初防衛)。
亀田が前代未聞の反則技をこれでもかとだして問題になった試合で
あるが、試合前から亀田選手が記者会見で「ゴキブリに分析もくそも
あるか。ゴキブリ退治、ゴキブリホイホイや」と王者を見下せば、内
藤も「ゴキブリのオレに負けたらゴキブリ以下だからね」と応戦する
など舌戦やパフォーマンスで大いに盛り上がった試合でもあった。
この試合も「思想」戦であるのはいうまでもない。
同じ葛飾区の歩いて十五分くらいの所に内藤の所属する宮田ジムも
亀田の亀田道場もあるのだが、距離は近くても互いの思想はまったく
対極にあるものだった。
内藤は、タイの天才ボクサーとして有名なポンサクレックに二度敗
退も、二〇〇七年の七月に三度目の正直で撃破し三三歳で世界チャン
ピオンとなった苦労人であるのに対して、亀田大毅はまだ十七歳なが
らテレビ局の力を背景にのし上がってきた亀田一家の次男である。
試合はラウンドがすすむにつれ、内藤の技術の高さと亀田の若さの
差が出始め、四ラウンドごとに判定結果を公表する試合形式だったこ
とも重なり、敗勢が明らかになった十二ラウンドに亀田はタックルや
投げ技をだすなどの反則技を連発、試合後マスコミなどから非難を受
けた。
疑問なのが、なぜ亀田が想像を絶する反則を平気で次から次に行っ
たかである。もし悪いことをしているという感覚があるなら、またボ
クシングをしているという感覚があるなら、衆人環視の前で、前代未
聞の反則などできるはずがない。試合後は内藤のマナーの良さがたた
えられることになるのだが、おそらく亀田は最後はボクシングをして
いるという感覚はなく、(どうせ負けるなら派手なことをしてお客さん
を喜ばせないとお客さんに悪い)、と思っていたような気がする。
ボクサーは人間と戦う。
だからこそ相手を敬う精神が尊ばれるが、もし十二ラウンドをマス
コミや視聴率や人気、そして金銭と戦わなければならなかったら、ま
さに幻想の十二ラウンドであり、視聴率や人気のためにボクサーとし
ての思考は停止して自滅に至っても亀田にとっては当然の論理の帰結
であったろう。事実、この試合は三十パーセントの視聴率をとったの
であり、亀田は「仕事」を見事にこなしたのである。
コマーシャリスムという言葉がある。商業主義とか訳され、金銭第
一の考え方を指すのだが、まさにコマーシャリズムを体現化したのが
亀田であり、長いボクシング生活の中で得てきたスポーツとしてのボ
クシングの作法を体現化したのが内藤なのだ。だから、内藤選手も亀
田選手も互いの思想を完璧にだしきったのであり、単なる道徳的観点
から亀田選手を非難してもしかたないのである。「勝負は勝つか負け
るか」だし、「戦い」は各人の思想を表現できれば良いのである。
内藤さんは内藤さんの思想を表現し、大毅くんは大毅くんの思想を
表現したのだ。
ところで冒頭のジョー小泉さんだが、実は小泉さんはボクシングの
対戦歴をもっていないボクシング評論家である。
一九六四年、十七歳の高校三年生のとき、アメリカで発行されてい
る世界的権威のボクシング雑誌「リング」を読んでいて、同誌の編集
長である“ミスター・ボクシング”ナット・フライシャーの執筆記事
に間違いを発見、手紙で本人に指摘したことが縁で、「リング」誌東
洋地区通信員となった。フライシャーさんはまさか十七歳の高校生が
アメリカまで手紙を書いてくるとは思っていなかったようだ。以後、
「リング」誌にレポート記事を掲載するが、その間、神戸大学工学部
を卒業、一流企業に入社、エンジニアとして勤務の傍ら、国内外のボ
クシング雑誌への寄稿、テレビ解説者、そしてトレーナーと多彩な活
動を展開、一九八五年には会社を辞め、ボクシングに専念して現在に
至っている。語学の達人としても知られ、理論派で冷静沈着にみえる
が、ものすごいダジャレ好きでもある。
今年、日本で修業している若きボクサー、ホルヘ・リナレスの世界
チャンピオン決定戦でリナレスが十ラウンドに相手をマットに沈めた
瞬間、「やった、やった」と子供のように喜ぶ小泉さんの声がテレビ
から聞こえてきて、熱い思いをボクシングに、いや「拳闘」に抱いて
いる人だと思った。
安定した職を捨て、四角い荒野をさすらう道を選んだ小泉さんは、
まさに寺山さんのいう「拳闘無宿」の一人であり、それだけでも殿堂
入りの資格を有する人であったのだ。
第九話終了