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第六話「ベートーヴェンをぶっとばせ」

 第六話「ベートーヴェンをぶっとばせ」


 季節は十二月だが、うちの会社はボーナスも両手の指ほど

しかないのはわかっているので、何かを買おうかという楽し

みなどなく、まぁ飢え死にしない程度に生きるために、職場

に行く以外は、家で寝っころがっている。なぜなら、人間は、

動けばなんらかの消費活動をする動物で、消費活動は金銭に

連結する。といっても、家でじっとしていても、食事はせね

ばならず、やはり金はかかるのだが、その支出はやはり家で

寝ていたほうが、少なくて済む。俺が三九年と五ヵ月生きて

きて得た結論の一つが、「人間は息をする限りカネのかかる

動物だ」ということである。この絶対的真理に敵うものはな

い。できたら、小学校でこのことを全ての子供たちに骨の髄

まで叩き込んでほしい。それが、子供たちを強い人間にする

基礎を作ってくれるだろう。

 そんなうっとうしいことを書いてたら、桃ちゃんが携帯で

俺の固定電話にかけてきた。桃ちゃんの地域では、地域婦人

会の催しとしてベートーベンの「歓喜の歌(喜びの歌)」を市

民ホールを借りて年末に歌うというのだ。

「メタボンは、ベートーベンの歓喜の歌を知ってるよね。C

D買ってこのごろ毎日聴いて、雰囲気をつかんでるんだけど、

何か心の奥底から勇気がわいてくる気がして、ヘッドフォン

で椅子に座って聞いていたんだけど、心が高ぶってくるのが

わかるの。ベートーベンはこの曲を作ったとき、耳がほとん

ど聞こえなかったんだって。彼は心の耳で作ったのよ。あー、

偉大なるベートーベン。聞いていくうちに、思わず立ち上がっ

て、近くにあったボールペンを手にして、指揮棒代わりにふ

りながら、歌ったの。本当にエネルギーが体にみなぎって、

最高だった。無気力気味のメタボンも是非、聴いたほうがい

いよ。絶対生きる勇気がわいてくるよ・・・・・・間違いな

い」

 最後はどこかで聞いたような言い方で終わったが、俺は何

を言ってんだ、歌くらいで生きるエネルギーがわくわけない

だろ、と憎まれ口を叩きながら、急に、「よかったら俺の歌

を聴いてくれませんか」と下手にでた。実は俺は二十代のこ

ろ、ソングライターを目指してひたすら引きこもりをして曲

作りに励み、いろんなレコード会社にデモテープを送ったり

(どこからも連絡はなかった)、ミニコンサートを開いたり(観

客は桃ちゃん一人、そこで桃ちゃんと知り合いになったのだ

が)したがまったく駄目で、


 やっとおいらも この街を離れられる

 君がさみしげに 見送るのがとてもつらいよ

 昔話の ミユージシャンのサクセスストーリィ

 なんておいらにゃ 夢のまた夢

 君も疲れたなら こんな歌でも歌うがいい

 泣き笑いの 人生って歌を


 という「サクセスストーリィ」って歌を最後に作って、ギ

ターを封印したのだが、突如歌いたくなったのだ。

「メタボン、オリジナルの一曲よ」

 桃ちゃんのボランティア精神に富んだ声が電話口からした。

すぐさま俺は、頭に浮かんできた「マイ スモールタウン」

という歌をアカペラで唄った。


 ジムモリスンの タッチミーを聴いて

 歌のすばらしさに気づいたよ

 レイチャールズ ヤザワの

 音楽が俺の教科書だった

 こんな小さな街の中で

 いつかいつかと 夢見ていたさ 

 It's so my smoll towm

 いま夜に 俺だけが生きている 


 二番目を歌おうとしたとき、「これにて打ち止め」

 と桃ちゃんはいい、

「とにかく、大晦日の朝の十一時から市民ホールで合唱会が

あるから、来なさい。婦人会のおばちゃんに会えるよ、遠慮

はしなくていいから」

 と早口でいうと電話は切られた。

 俺は昔から「歓喜の歌」は題が嫌いで、聴く気がしない。

幼いころから病気ばかりしていて、運動会もプールに入った

のも高一だ。正確には高校は体育祭などというから、結局運

動会には一度も参加しなかった。楽しいことなどないのに、

「喜びの歌」を歌ってどうする。ただ、ロマン・ロランの「

ジャン・クリストフ」を中三のときに読んで、読んだ理由は

学校の図書館にあった世界文学全集に「人間の絆」とか「武

器よさらば」とか「車輪の下」なんて中に、「ジャン・クリ

ストフ」って人名そのままがあったので、なんだこれはって

感じで手にとると、「偉大なヒューマニスト作家ロマン・ロ

ランの不朽の名作.ベートーヴェンをモデルに創造したドイ

ツの作曲家ジャン・クリストフの生涯。閉鎖的な十九世紀の

ヨーロッパで、貧しい音楽家として生まれた主人公が、様々

なものと戦いながら成長していく物語」と紹介文があり、「

歓喜の歌」野郎がモデルだと思ったが、これも何かの運命か

と借りたのだ。で、その内容は覚えていないが、小説のモデ

ルになるくらいだから、「歓喜の歌」野郎を調べたことがあっ

た。ただ二十年以上前のこと、もう一度調べてみた。


 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(一七七〇年― 一

八二七年)は、ドイツの作曲家。ボン生まれ。彼は楽聖と呼

ばれ、作品は古典派音楽の集大成とされている。かれは身な

りをほとんど気にせず「汚れ熊」といわれ、しばしば浮浪者

と間違われて逮捕される事も何度も有ったそうで、また、慢

性的な腹痛や下痢は終生ベートーヴェンの悩みの種であった。

なんてことを知ると、実は俺自身が年に二回は職務質問され

るし、小学校のとき、授業中にいつもおなかが痛くなり先生

に許可を受けてトイレにいっていた。あまりに授業中にトイ

レにいくので、サボッていると先生たちから勘ちがいされ、

それが原因で俺は、不良になりかけたことがあり、いまだに

一日4回は大きいほうにいくので、久しぶりに接したベーや

んに俺は親しみを感じてしまった。

 これは有名だが、ベーやんは二十代後半から始まった難聴

が次第に悪化し、晩年の約十年はほぼ聞こえない状態にまで

陥っていた。自称ソングライターのあっしがいうまでもなく、

音楽家にとって、耳は命である。芸能人は歯が命、古すぎ御

免、でそういう過酷な運命に立ち向かったベーやん、一八二

三年交響曲第九番ニ短調は完成した。ベーやんの最後の交響

曲であり、親しみを込めて第九 (だいく)とも呼ばれる。

 「歓喜の歌」は第四楽章でシラーの詩『歓喜に寄す』に音

楽を付けたものである。桃ちゃんがいうように、その成立の

状況を知るだけでも、波乱万丈のドラマである。この第九こ

そ、ベーやんが苦しみの果てにつかんだ、音楽の真髄、ここ

には苦しみを乗り越えての歓喜があるのだ、なんてことでス

テレオタイプ的にしばしばまとめられる。

 しかし見方を変えれば、耳が聞こえなくても体内に「ドレ

ミファソラシド」が滲みこんでいたから、複雑な交響曲を作

りえたわけで、その点では、普通の人間に出来るものではな

く、偉人ベーやんというより、超人、スーパーマンであって、

人間業ではない。人間ではないその人の伝記を聞かされて、

桃ちゃんのように単純に耳が聞こえないのにこんな名曲を作っ

たの、すごい、興奮するでは、お気楽すぎる。


 俺は、山本周五郎の好きな言葉、ストリンドベリの「苦し

みつつなお働け。安住をもとめるな。この世は巡礼である」

に惹かれる。人生自体が霊場を巡るようなもので、神聖な旅

であり、安息を求めることは、人生の旅をやめることだ。

 かつては俺にも夢があった。しかし夢の多くは実ることな

く終わるが、たとえ実らなくてもその夢に向かう努力があれ

ば良いのだ。また、その飽くなきチャレンジ精神こそが、神

聖な人生を歩かせてもらうための、作法であり、礼儀なのだ。

 俺とベーやんは比べられるはずもないが、もしベーやんが

人間らしいすばらしい人だと評価されるとしたら、それは己

の音楽の夢を、理想を死ぬまで追求し、見事な巡礼を果たし

たことだろう。


 久しぶりに、ロックンロールの古典「ロール オーバー 

ベートーヴェン」を弾こうと押入れからギターをだして、調

弦をしていると何と二弦が切れてしまった。

 やっぱりベートーヴェンは、ぶっとばせない。

                         第六話終了


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