第4話 興奮
「あれ? 塚本?」
ふいに視線を逸らした春樹が、ガラス張りの窓の向こうを見ながらぽつりと言った。
「え? 誰?」
「いや、ほらそこ。・・・もういなくなっちゃったけど。たぶん塚本だ。同じ学部の同期なんだ。この辺に住んでんのかな」
隆也も春樹の目線を辿ったが、そこには深夜0時の寂しげな暗がりがあるばかりだ。
駅から結構外れた住宅地にあるピコマート前の歩道は、この時間になると人通りも極端に少なくなる。
「まあ、この辺は春樹のK大と、うちの工業大の学生のアパート、多いからな。同期のやつがいたって不思議じゃないだろうけど。・・・そいつ、仲いいの?」
「話したこともないよ。向こうは僕のこと知らないと思う。でも、彼は目立つからな。185以上あると思うし、最近よく映画に出てる俳優に似てるって、女の子が騒いでる」
「でかいし、俳優に似てるって?」
隆也はハッとしてカウンターから身を乗り出すように、もう一度外を見た。けれどやはり誰もいない。
「もしかして、いっつも黒ずくめの服着てる、でかいやつか? なんか目つきが喧嘩売ってるようなヤバイ感じの! 俺、よく見かけるぞ。おとといの今くらいも、何か視線感じるなあと思ったら、外からそいつがこっち見てるんだ。ほら、春樹が来てた日」
「ふーん」
春樹は、もうとっくにその話に興味を無くしたように、レジ袋をゆらゆらさせていたが、隆也の方はそうは行かなかった。
「偶然じゃない。いつだって春樹が居るときのような気がする。なぁ春樹、お前、付けられてないか?」
「は?」
琥珀の目が、きょとんと瞬いた。
「そんなわけないだろ。僕に用事があれば、大学内で声掛ければいいんだし。第一、接点なんか何にもないよ、塚本とは」
「・・・そうか?」
幾分りきみ過ぎたかと隆也は勢いを引いた。
ガラス窓の向こうは、やはり少しシラけたような闇と、車もまばらな国道があるだけだ。
「相変わらず何でも大げさにしちゃうよな、隆也は」、と春樹が可笑しそうに笑ったので、隆也はムッとしてその生まれつきの栗色の頭をポスンと小突いた。
「じゃあ、大げさな事にならないようにさっさと帰れ。男の子ばっかり狙われる事件、続いてるだろ」
「もう、20歳なんですけど!」
ふざけて春樹がブンと振ったレジ袋の缶コーヒーが、もう一度外を見ようと首を伸ばした隆也の頭に見事にヒットし、カコンといい音を立てた。
◇
「痛てぇ!」と、「ごめん!」という笑い混じりの楽しげな声が、深夜のコンビニのガラス越しに微かに聞こえてくる。
塚本は、コンビニ横にあるガレージの電柱にもたれながら、ひとつあくびをかみ殺した。
あのレジの青年はうざったいが、それでも今日の収穫に多いに貢献してくれた。満足だった。
趣味で猟奇的な小説を書くのも楽しいが、実際この現実にだって、好奇心を掻き立ててくれる奇妙なネタは多く溢れている。
腹の底から湧いてくるような、興奮を伴う熱。心地よい疼き。
アンテナを張る。 妄想する。 それでも飽きたらず、捕らえて吟味する。 手を下す。
今回はどこに辿り着くのか。もっと、もっとだ。アンテナを延ばせ!
興奮しているくせに、日々の不摂生から出てくる忌々しいあくびを、塚本はもう一つ噛み殺した。
そろそろ自宅アパートに帰ろうかと、塚本が電柱から体を離した時だ。
軽い足音をたてて、塚本の前を1人の少年が通りかかった。
まだ肌寒い5月の深夜だというのに、半袖の青白い腕を夜気に晒している。
ふと、塚本に気付いて顔を上げた少年の目が、驚いたように見開かれる。
怯えたような、怒りを含んだようなその目の光りに、塚本の血が再び騒いだ。
左の掌の、柔らかい肌と肉の感触が、にわかに蘇る。
「よう。また会ったな少年」
「!」
むき出しの細い腕に伸ばされた塚本の手を、必死の形相で少年は交わし、後ずさった。
こんな人目に付く場所だ。特に追いつめるつもりは無かったが、一歩だけ足を踏み出した塚本に怯えたのか、少年は、脱兎の如く走り出し、煌々と光を放っているコンビニのドアめがけ、飛び込んで行ってしまった。
「なんだ、あのガキ。今夜はクソ可愛くもねぇ」
塚本はボソリと悪態を吐き、細い裸の腕にかすりもしなかった右手を、忌々しげにポケットに突っ込んだ。
あの少年は、何か余計なことを中の二人に喋らないだろうか。少しばかり気になった。
そっと首を伸ばして様子を伺ってみたが、少年の姿は見えない。
けれどそうしてコンビニに飛び込んだ少年を追う目が、自分以外にもう一つあるのに気付いたのは、そのすぐあとだった。
塚本など目に入らぬ様子で、その人物は塚本の前を通り過ぎ、ガラス越しに少年の姿を追っている。
その目つきは塚本から見ても異様だった。
少年の後を追って、その男の魂もいっしょに店内に飛び込んでしまったかのようだ。
目の前で、ヤモリのように壁に張り付いている、魂の抜け殻男。
塚本は何か妙な感覚を覚え、その男の顔をじっと観察した。
やはり、見覚えのある顔だ。
数日前の記憶がにわかに沸き立ってきた。
まるでプロットが立ち上がる瞬間のように、いろんな些細な記憶の欠片が、小気味良く結合していく。
この物語は、思いもよらぬ大作に仕上がるかも知れない。
下腹あたりが、まるで性的興奮に似た熱を持ち、疼いた。
「今夜はいろいろ、面白いね」
塚本は、あくびの代わりに今度は笑いを噛み殺し、その追跡者の男にじっと焦点を合わせた。