最終話 見えない光のむこう
「塚本との待ち合わせに勝手に付いて来といて、冷たい缶コーヒー今すぐ買って来いって、人を使うんだ。酷いだろ? 隆也って」
春樹はもう1本のコーヒーを、酷い張本人、隆也に放り投げながら明るい口調でぼやいた。
前よりもさらに頬が痩せたように感じられたが、その屈託の無い明るい声に、塚本は少しホッとした。
あれから時間が経ち、少しは気持ちが落ち着いてきたのかもしれない、と。
けれど春樹は隆也と同じ花壇のブロックに腰掛けると、少しばかり声のトーンを下げただけで、何の前置きもなしに本題に入った。
「僕は判断を誤った。取り返しのつかないことをしたと思ってる」
缶コーヒーを握った自分の両手を見つめる春樹の澄んだ声が、無気力に地面に落ちていく。
塚本はとっさに反論の言葉を見つけられず、そこで出来た数秒の沈黙は、その場の空気を凍てつかせた。
あれほど今まで春樹と塚本との間に入り込んで喚いていた穂積隆也も、今日は完全に立ち入ることを放棄し、静観している。
それは何よりの制裁に思えた。
けれど塚本はここに春樹を呼び出した目的だけは果たそうと、腹に力をいれ、言葉を吐き出した。
「すまなかった天野。今回のことは全て俺の責任だ。お前を巻き込んでしまったこと、俺は・・・」
「やめろよ」
ピンと張った春樹の声に、塚本は上背のある体を伸ばし、立ち上がってこちらに体を向けた青年を見つめ返した。
その目は静かに塚本を見つめている。
けれどそこに友好的な柔らかさを感じることはできなかった。
「僕は自分で決めて、自分で動いたんだ。塚本に従ったわけじゃない。勘違いしないで欲しい」
そこで一旦言葉を切ったが、切り込むような視線は塚本に向けられたままだ。
なぜか塚本は、目の前にいるのが見知らぬ人物のような気がしてならなかった。天野春樹は、こんな冷ややかな目をしていただろうか、と。
「塚本の要求には、きっとどこにも間違ったところはなかったんだ。この力を役立てないのは罪だっていう考え。正論だと思う」
「だからその話はもう・・・」
「判断を誤ったのは僕自身だ。自分では意識してなかったけど、きっとどこかに自惚れがあったんだ。塚本がこの事に何か負い目を感じることはないよ。全部僕の責任なんだ。でも、僕は今日、あの事件の話をしようと思ってここに来たんじゃない」
「じゃあ、なんだよ!」
自分の発した言葉が怒気を孕んでいるのに、塚本はハッとした。
ことごとく自分の言葉を跳ね返してくる春樹に、確実に苛立ち始めているのだ。
けれど春樹はさっきと同じように、抑揚のない声で続けた。
「塚本は僕には役割があると言った。救えるものがあるって言った。だけどこの力は誰も救わない。災いでしかない。だからもう、僕にもこの力にも、今後一切興味を持たないで欲しい」
「なんだよそれ。なんの結論だよ天野。なんでそういう言い方になるんだよ。今回のことは・・・」
「災いでしかないんだ。この力も。そして僕も」
言い終えると春樹は、ゆっくりと塚本の正面に右手を差し出した。まるで握手を求めるように。
たったそれだけのことなのに塚本の中にザワリと騒ぐものがあった。
物言わず傍観していた隆也が、わずかに身じろぎするのが感じられた。
「なんだよ。お別れの握手のつもりか?」
春樹はわずかに微笑んだ。どこか冷ややかな、好戦的な笑みだ。
胃が砂を飲み込んだように重苦しかった。自分でも意外な程の動揺を感じた。
不快感。それとも恐怖か。
以前、いたずら半分に春樹に触れたときのように、感情を封鎖する自信はなかった。余裕が無かった。
春樹はその気になれば、誰にも知られたくないすべての秘密を、根こそぎ読み取ってしまえるのかもしれない。
今自分を見つめている目は、確かにそう言っているように見える。
まるで自分が、今この場で丸裸にされるような感覚に陥り、塚本はじっとりと全身に汗をかいた。
〈脅しのつもりか?〉
春樹を睨んだ目が、そう囁いてしまった。
再び汗が噴き出す。さっきまでのモノとは別の、果てしない後悔の汗だ。明らかに自分は今、春樹を恐怖の対象として認識し、それを伝えてしまった。
琥珀色の瞳を細め、春樹は手をスッと引き、塚本からわずかに離れた。
さっきまでの挑戦的な笑みはもう、どこにもない。けれど、塚本の態度に失望した様子もなかった。
「天野・・・」
「そういう力なんだ。僕の力は他人には災いでしかない。そして僕自身も。だから僕はこの力を使いたくないし、誰にも知られたくなかった」
「・・・」
「もう一度言う。僕のことも、この力のことも忘れて欲しい。それだけ言いに来たんだ。大学内で合うかもしれないけど、もう一切、僕に関わらないで欲しい」
陽射しが強まるのに反し、自分をまっすぐ見つめる青年の瞳に濃く影が差した。
言い終えた後の安堵と疲弊が、悲しいほど伝わってくる。
こいつは、これを言うためにわざわざここに来たのか、と思うと、塚本の中でじわりと奇妙な感覚が生まれてきた。
なんとも説明のつかない奇妙な感覚だ。どう形容すればいいのだろう。
そう思っているうちに、込み上げてくるものは膨張し、たまらなくなって塚本は知らず知らず笑い声を漏らしていた。
春樹がほんの少し驚いた視線をこちらに向けた。
「残念ながらその約束はできないよ天野。俺はそんな優しい配慮のできる男じゃないもんでね。気に入った奴がいれば、嫌がられても付きまとう。俺さあ、申し訳ないんだけど天野のことを今まで以上に気に入っちゃったみたいなんだ。それも、たった今。もう心臓バクバク」
「・・・今って」
「知らんぷりなんてできないね。こんな魅力的な友人とバイバイなんて馬鹿のすることさ。あ、でもスキンシップはもうちょっと待っててくれる? これでもちょっとばかり知られたくない性癖とかあってね。覚悟を決めてから抱かれてやるから」
「塚本!」
「いいか天野。今回お前が取った行動は、間違ってなかったと思う。俺だって同じことをした。でも、この国は力が及ばなかったんだよ。俺は、この事件はまだ終わってないって思ってる。あの悪魔が野放しにされてる限り。俺、自分の責任として出来る限り見張っていようと思うんだ。でもここからは俺個人の問題だ。だからさ、お前こそこの事件のことは忘れろ。今すぐに」
春樹はもうあの不器用な笑みを消し、ただまっすぐ塚本を見上げてきた。
大学内で初めて見たときの、純粋で、どこか庇護してやらずにはいられなくなるような、あの目だ。
「俺はお前のことも、その力のことも忘れないよ。お前がその力を持って生まれてきたのにはちゃんと意味があるって思ってる。今でもな。 まあ、俺のことは災難だと思って諦めてくれ。大学内で会っても、俺を避けんじゃねえぞ。心配しなくたって、もう何も強要なんかしないからさ。じゃあな」
春樹が口を開く前に、塚本は強引にそれだけ言うと、コーヒーサンキュと言い残し、あっさりとその場を立ち去った。
実のところ、もう反論の言葉を聞く気もなければ、させたくもなかった。
--- 天野春樹は、今までいくつ、そうやって人と別れてきたのだろう---。
初夏を思わせる鋭い日差しにあぶられ、早くもヒリリとする首筋に手をやりながら、塚本は複雑なため息を吐いた。
◇
「失敗だったな」
ずっと口を挟まずに二人のやり取りを見ていた隆也だったが、塚本の姿が見えなくなったところで、ぼそっとつぶやいた。
春樹が、気まずそうな表情をこちらに向けた。
お互いの手に握ったままの缶コーヒーは、とっくにぬるくなっている。
「だいたい、あんな自己中な奴に何言ったって無駄なんだよ。どんなに小芝居したって効果なしさ」
「・・・そうみたいだね」
「小芝居なんだろ?」
「え?」
「さっきあいつに言ったこと。自分を卑下して興味を無くさせようって芝居だろ?」
「芝居じゃなかったら?」
「マジぶっ飛ばす」
隆也が真顔でそう言うと、春樹は少し困ったように笑った。
「じゃあ、お芝居」
「じゃあってなんだよ、じゃあって」
「隆也、ありがとな」
春樹はその、やわらかな笑みのままそう言った。
心臓がドンと跳ねた。
そのまま「さようなら」とでも言い出すのではないかと真剣に思ってしまったのだ。
「・・・なにが」
「ずっと心配してくれてたろ。メールも電話も、最初の1週間はちゃんと受け取らずにごめん。でも、もう大丈夫だから」
「忘れられそうか?」
隆也の問いに首を横に振ってから、春樹は答えた。
「この事件のことは忘れていいことじゃないから。塚本の言ったように、まだ終わってないし、終わらない事件だと思うから。でも、そうじゃなくて、もう卒業しなきゃいけないって思うんだ」
「なんだよ、卒業って」
「そうやって、気遣わせてしまう自分から」
「・・・は?」
「隆也に、僕の力を忘れて欲しいっていうのは難しいだろ? だからもう」
きっと陽射しが強すぎるのだ。クラリとしたのはそのせいだ。
「何が言いたいんだよ、お前は」
「もう、この力のことで僕を心配しないで欲しい。僕は大丈夫だから」
きっと5月の陽射しの中には、1年で一番体に悪い物質が含まれていて、今も絶えず細胞や精神を、じりじり攻撃してるのだ。
だからこんなに侘しくて情けない気分になるのだ。そうに決まっている。
「ああ、わかった。もうあんまり心配しない。気を付ける」
ぼそっと言うと、春樹は小さくうなづいた。
あまりにも子供じみた幼稚なやり取りだったが、もしかしたらそれは、このやりきれない事件に一旦幕を下ろすための、大切な儀式だったのかもしれない。
いつだって春樹は探しているのだろう。
自分の力の意味するもの。そして自分の存在理由を。
けれど今回踏み出した一歩は、思いもよらぬ手痛い悪意にからめとられ、辛い結果を残してしまった。
それが自分の存在への答えだと思い込むほど、春樹は子供ではないはずだった。
けれど事故だと割り切るほど大人でもない。
この友人は、いつ自分を受け入れることができるのだろう。
自分の力が、他者の脅威、災いなのだという呪縛、観念から逃れられるのだろう。
無力を感じる。じれて、胃が痛くなる。
けれどできる限り、このすぐに強がる、繊細で危なっかしい友人を、近くで見守っていようと隆也は思った。例え鬱陶しがられても。白々しい嘘をついても。
たぶんそれが、無能な自分に出来る唯一の事だから。
チカリと、目の奥がスパークした。
いつの間にか自分の突っ立った場所は木陰からはみ出し、初夏を思わせる容赦ない光に照り付けられていた。
今が1年で一番紫外線が強い季節だというのは、本当なのかもしれない。
人を蝕む有害な光線が、その肉眼で見えたら、日差しの中で笑ってなどいられないだろうな、とふと思う。そんなもの見えたって、どうしようもないじゃないか。意味ないのだ。
「今日の日差し、やばいね」
隆也の横で、光の射す空を見上げた春樹が、小さくつぶやく。
さりげなく伸びてきたその指先が、隆也のシャツの袖を掴むと、見えない何かから守ってでもくれるように、桜の木陰にそっと引き寄せた。
(END)




