第14話 挑発
「いったい何のつもりだよ、お前は」
掴みかかりそうな勢いで前に出た隆也を交わしながら、塚本も今度はあからさまに嫌悪感を顔に出した。
「は? それはこっちが聞きたいね。呼び出されたのはこっちなんだぜ。そうだろ天野」
「春樹に付きまとって、そう仕向けたのはお前だろ」
「なぁ天野、この羽虫何とかしてくれないか? 何だってこんなもん連れてきたんだよ。ブンブンうるさくて話もできないじゃん」
けれど春樹はその問いかけには答えず、ただじっと塚本を見ていた。
その春樹の様子を見ながら隆也もようやく我に返り、苛立ちを押さえ込んだ。
自分は塚本と喧嘩するために、付いてきたわけでは無いのだ、と。
「俺に聞きたいことや確かめたいことがあるんだろ、天野。いいよ訊けよ。丁寧に教えてやる。あ、先に謝っとくよ。携帯は拾ったんじゃなくて、俺がちょっと拝借した]
「なんのために」
「恋の始まりには、きっかけがいるだろ? お嬢さん、ハンカチを落とされましたよ、ってやつ」
「まじめに答えろよ」
「大まじめだよ。どうせ嘘ついたって無駄だもん。天野には隠し事できないみたいだし」
冷静だった春樹の表情に、微かに怒りと困惑の色が浮かだが、開きかけた唇から言葉は出てこなかった。
「ああもう、じれったいなぁ天野って。訊きたいことズバッと訊けよ。『塚本って危ないやつなの?』とか、『なんで塚本は僕の力のこと知ってるの?』、とかさ。そのためにラブコールしてきたんだろ?」
隆也が反応して口を挟もうとした瞬間、塚本は「お前は黙ってろ!」と目だけでけん制してきた。
「残念だが前者の証明はできない。でも後者の方なら答えられる。イエスだ。俺全部知ってるよ。サイコメトラー春樹君」
「僕はそんなんじゃない。いったいどこからそんなデタラメを・・・」
「デタラメじゃないよ。君の親友の隆也君が教えてくれた」
「はぁぁぁ? 俺がいつ教えたってんだよ! 言って見ろよ!」
再び割って入った隆也を哀れむように一瞥したあと、塚本は昨夜と同じように春樹にスッと右手を差し出した。
「じゃあ、触ってみろよ。俺が何言っても聞く耳持たないんだろ?」
「・・・触ったって」
「平気なら問題ないじゃん。俺に触って天野が無反応なら、俺も納得するよ。ああ勘違いなのかぁ、って」
馬鹿らしくて話にならない。春樹もそう言って却下するはずだ。
そう思っていた隆也の横にスイと風が過ぎった。
振り向くと、怒りと決心とを露わにした春樹の横顔が飛び込んできて隆也はハッとした。
もう止められない。
突きだした塚本の右手の甲を、春樹がグッと掴んだ。
予期せず、その春樹の手を塚本の左手が上から更に掴み、ニヤリと笑った。
「こんなのどう?」
電気に感電した小動物のようにビクリと目を見開き、春樹はその瞬間、力一杯手を引き抜いた。
あからさまに狼狽して頬を紅潮させ、化け物でも見たような目を塚本に向けている。まるで何かとんでもない画像を見せられた後のように。
隆也はどっと発汗した。
″ダメだ 春樹 そんな表情をしたら!″
突如塚本の堪えきれないような笑い声が辺りに響いた。
どこか悪意を含んだ、冷たい笑い声だ。
「馬鹿みたいにウブで正直だな、天野。俺の妄想、そんなに官能的だった?」
春樹が、まだ動揺した目を潤ませ、キッと唇を噛んだ。
「塚本! 何した」
「何したかって? お前見てたろ? 何かしたのは俺じゃなくて天野だよ。俺に触って、俺の頭んなか覗いて真っ赤になって感じちゃってんのは天野だ」
「そんなんじゃない! 僕は何も・・・」
「動揺しちゃって、可愛いの」
「塚本!」
「思った通り。1903年、イギリスで手記を残して自死した某心理学者と同じタイプだ。他人の皮膚に触れた瞬間、相手の記憶を読み込むのではなく、相手の脳波にシンクロする。強いて言えば、一瞬その人物を体験してしまう。だから触れた相手がその時忘れていることや、考えていない過去はスルーされ、まさに、その瞬間の思考や感覚を鮮明に読み込む。そうだろ?」
「・・・」
「俺は今、2つのこと意外頭から極力排除した。その2つを天野は読みとったんだ。なあ、もう良いじゃん。認めろよ。キリがないから」
「春樹はそんなんじゃねえよ!」
「じゃあ、隆也は知りたくないのか? 春樹が何に赤面したのか、とか、隆也がいつ春樹の秘密を俺に漏らしたのか、とか」
「嘘だ! 俺じゃないぞ春樹! 俺はこんなヤツに絶対言ったりしない・・・」
自分の失敗に気付いた時はもう手遅れだった。
一瞬の沈黙がその場の3人の間に突き刺すように入り込み、隆也が振り返った先で、春樹の白い喉が小さく息を呑むのが見えた。
「はい、隆也自滅」
再びじわりと染み出すように、塚本が笑い声を漏らす。失笑とも言うべき、哀れみを含んだ笑い声だ。
隆也は怒りにまかせて笑い声の主を振り返ったが、殴りかかるのを止めたのは、春樹の諦めにも似た、余りにも静かな声だった。
「唇だよ隆也。塚本は、僕らの会話をずっと読んでたんだ」
◇
「5月21日、午前9時のニュースです」
付けっぱなしのリビングのテレビがニュース番組に変わるたび、松岡は心臓に鈍痛を感じた。
自分の名前がそこに上がるはずもないのに、常に神経が過敏に反応する。
ガレージに置いてある自分の車は、今もカバーを掛けたままひっそりと眠っている。
直ぐにどうこうなるわけでもないのに、常に速報なんぞにビクついている自分に嫌気がさした。
2歳になったばかりの娘が、モゾモゾと近寄り、松岡の膝に乗ろうとする。
妻が見ていないことを確認して、伸ばしてきた小さな手を払いのける。
抱き上げてやる気になど、到底なれなかった。
黒々とした幼いその目は、不思議そうに松岡を見上げてくる。
自分の父親の頭の中が、ジワジワ腐りかけていることに、この目は気付いているのだろうか。
「ねえ、腱鞘炎そんなにひどいの? 車の運転もムリな感じ?」
妻がキッチンから訊いてきた。
「ああ、ペン持つのもしんどい。運転はちょっとな」
わざとらしく、偽りのサポーターをした右手首をさすりながら、松岡は返す。
「私、車のこと分からないけど、ちょっとくらい使わないからってあんな安物のカバーを掛けるのは、ボディが傷つくから良くないって、笹山さんの奥さんが言ってたわよ」
免許もなく、車に興味のない妻に、余計な知識を吹き込む隣の主婦に、猛烈な怒りを覚えた。
「べつに高級車でもないし、いいんだよ。埃かぶって洗車するのも面倒だし。それより手が治るまで、車出せないけど、大丈夫か?」
「良いわよ、別に。買い物にも困らないし、出かけるときはたいてい、笹山さんと一緒だし」
大ざっぱで、物事に無頓着な妻で助かった。
突然、腱鞘炎くらいで運転を放棄し、車にカバーなんぞ掛けてガレージに眠らせた夫の行動を、怪しむことすらしない。
とにかく今は動かないことだ。修理に出すことも、どこかに預けることも、避けたほうがいい。
--- 失敗した。自分は失敗してしまったのだ。---
松岡は、ぎりりと奥歯を噛みしめた。
いったいどこからが失敗だったのだろう。
あの道を選んだからか。
自分の車の欠片を付けた死体を、無造作に崖下に捨てて来てしまったからか。
それとも、自分の頭に巣食った悪魔の声を聞き入れてしまったからか。
---大丈夫。バレやしないから---
「パパ」
再び娘が懲りずに小さな手を松岡の膝に乗せてくる。
どん欲に愛情を求め、その大きさを確認してくる。
けれど松岡は、その柔らかい体を抱き上げてやる気には、相変わらずなれなかった。
そんな日は、この先ずっと来ないのかもしれない。
今、松岡の頭の中にあるのは別のものだ。
あの少年。
生命活動を停止し、ガードレールの隙間から、道の脇の崖下に落とされた哀れな少年と、同じ顔を持つ少年。
今の自分を救える存在があるとしたら、あの少年、横川祐一しか考えられなかった。
これからの計画を考えただけで、血がザワザワと逆流する。
今朝は逃げられてしまったが、諦めるわけにはいかない。何とかして捕らえねば。
少し手荒になったとしても、必ず言うことを聞かせてやる。もう手加減はしない。
急げ。時間がない。もたもたしていると、全て崩壊する。まずはこの自分の精神から先に。
もう時間がないのだ。
まだ膝のあたりでもぞもぞ動く娘をよけて、松岡は立ち上がった。
「出かけてくる」
「あら、どこへ? 職場の飲み会で朝帰りだったんでしょ。あまり寝てないんじゃないの? 休日くらいゆっくりしたらいいのに」
「ちょっと、昔の友人と会う約束をしてたんだ。昼までには戻ると思うから」
さり気なく答えてキッチンの妻に背を向けた。
「ふうん」と、あまり納得していない声が聞こえてきたが、振り返らずに家を出た。
のんびりなどしていられないのだ。
もう崩壊まで、時間がない。




