ある夏の朝
俺の名前は遠賀川誠司、二十一歳、大学生。
今日も早速困ったことになっている。
と言うのも、
「じ~っ……」
朝起きたら我が不肖の友人が俺の腹の上に寝そべって動かないからだ。
と言うか、朝っぱらから何で居やがる。
まだ七時じゃねえか。
……いや、暑いからって窓もドアも開けっ放しで寝た俺にも非はあるとは思うが。
「……何をしている」
「暇」
「そんな朝もはよから暇もへったくれもあるか。というか、起きられないから退け」
「嫌」
……まただよ。
美奈は何が楽しいのか俺のタオルケットの繊維を引っ張って遊んでいる。
どうしてこいつは十九歳にもなってこんなに行動が幼いのだろうか?
「……眠い」
「だったらこんな朝っぱらからうちに来ないで寝てりゃいいじゃねえか……こっからお前んちまで歩いて一時間かかるだろうが」
「家に居ても暇……」
「あ、おい、俺の上で寝るんじゃない、せめて降りてから寝ろ」
「嫌」
トロンとした眼でそう言いながら俺にギュッと抱きつく美奈。
俺は抱き枕じゃねえ。と言うか、今日一限あるから早く出なきゃならんと言うのに。
……しかし、こいつの感触柔らかいな。
「にゅ~……」
「おい、起きろ。俺大学あんだからよ……」
「うにゅ~……」
寝そうになっている美奈の頬をぷにぷにと指で突く。
しかし、美奈は眉をひそめるだけにとどまった。
おまけに逃がさんと言わんばかりに抱きつく力が強くなった。
こいつ、人の話を聞きゃしねえ。本当に欲望のままに生きてやがる。
だが、それに振り回されてばかりも居られない。
俺は再び美奈を起こしに掛からねばならん。
そういうわけで、俺は最終手段に訴えることにした。
「あうっ!?」
おもむろに美奈のわき腹を突っつくと、ビクンと面白いほど大きな反応を示す美奈。
俺の腹の上で目を白黒させている。
が、俺の上から退こうとしないのでもう二、三発かますことにする。
「おーい、退いてくれないと俺遅刻すんだけどー?」
「きゃう、くうっ、やあっ!?」
大げさなほど俺の上で身体をよじる美奈。
すると、美奈はそのうち俺の上から転がり落ちる。
そこを狙って、俺は一気に起き上がった。
「っと、悪いな。こうでもしないと講義に遅れるんでね」
「…………」
美奈は無言で俺に遺憾の意を目線で示す。
……なんで遺憾の意が捨てられた子犬のような眼なんだよ。
しかもそれなりに可愛いから破壊力が無駄に高い。
が、構っていると本気で時間がなくなるのでさっさと朝飯の準備をしよう。……二人分な。
昨日の残りのポテトサラダにハムエッグにトースト、それとコーヒーを用意する。
トーストは俺はピザトースト、美奈はシナモントーストにする。
男の朝飯なんてそんなものだ。
朝っぱらからめんどくさいことはしない。
ハムを軽く焼いて、卵をフライパンに落とす。
その後は水を入れてフタして蒸し焼きにする。
そうして待っていると、重力がいきなり後方に掛かる。
「…………」
まあ、なんてことはない。
後ろから美奈が抱き着いてぶら下がっているだけだ。
……アカン、首が絞まる。
こういう物理的にダメージを与えることをしてくる時の美奈はたいてい不機嫌な時だ。
普段はくっついてくるだけなのだが、こういうときは俺に実害をもたらすようになるのだ。
……まあ、今回の原因は言わずもがな、だから脇を突くのは最終手段なのだ。
「ちょ、美奈、首絞まってる」
「む~……」
腕をタップして放すように言うも、美奈は不機嫌そうに唸るのみである。
……いかん、これは間違いなくやりすぎた。
しかし、首が絞まるよりも目の前の朝飯をダークマター化から救うほうが大事なので先にそれを実行する。
目玉焼きを皿に移すと、今度は自分の首を救うために美奈を背中におぶる。
「悪かったって。頼むから機嫌直せ、な?」
「……がふっ」
「いってえええええ!?」
思いっきり噛み付かれた。
一瞬だったためそこまでの被害はないが、めっちゃ痛い。
「後で言うこと聞いてもらう」
「……へいへい」
俺に抱きついて拗ねた様な声でボソッと美奈はそう呟いた。
どうやら機嫌はさっきの噛み付きでだいぶ治まったらしい。
これで一安心だな。
「……かぷっ」
「はうあっ!?」
「かぷかぷ」
「こ、こらやめろ!!」
と、油断してたら首筋を甘噛みされた。
くそっ、あまりのくすぐったさに思わず叫んじまったじゃねえか。
「……はぁ……何だいったい?」
「……何となく」
「何となくで人の首筋を噛むんじゃないっ」
全く、時々美奈の行動は訳のわからないものがある。
何を考えているか分からないが、突然俺を甘噛みしたり、髪の毛を弄ったりする。
と言うか、こいつの噛み癖は一体どこから来たのやら?
「お腹空いた」
「……んなこったろうと思ったからちゃんと二人分あるぜ。つーか飯運べないから降りろ」
「嫌」
今度は俺の背中に張り付いて離れないし。
まあ、別に重くは無いからぶら下げて歩く分には問題ない。
が、今の体制では首が絞まるのが問題である。
「……ん」
とか思っていたら首が絞まらないように調整してくれました。
腕も足もしっかり前に回してもうべったりと俺に張り付いている。
……やっぱこいつ細くて軽いくせして、すっごい柔っこいんですけど。
いやいやそうじゃない、それ以前にこいつは俺の背中から降りると言う選択肢がないのか?
そんなことを考えていても無駄なのでとっとと出来た朝飯をテーブルに運ぶ。
ちなみに、置く場所はひっっっっっっっっっじょぉぉぉぉぉぉぉぉぉうに遺憾ながら一つの席に二人前である。
何故ならその他の配置は無駄だからである。
俺が席に着こうとすると、ようやく背中から美奈が降りる。
そして俺が席に着くと即座に俺の膝の上に着席。
なお、過去に無理やり別の席に座らせようとしたら泣かれたことを先に述べておく。
……うるせいやい、女の涙にゃ勝てんのよ……
食事が始まるが、その間も美奈は俺の膝の上である。
これが俺にとっては非常に食いづらい。
何しろ、食おうとするのも全て美奈の頭の上を通さにゃならんのだ。
そう、たとえピザトーストだろうがハムエッグだろうが全てを美奈の頭の上で食うことになるのだ。
「……食いづらい」
「じゃあ食べさせる」
「その前に膝の上から退くと言うことをですね」
「嫌」
しかもそう言って差し出されたのはシナモントースト。
それはお前の飯だろうが。
「食べて」
しかし美奈の眼は完全に好意で行っている眼である。
ぶっちゃけすっげえ断りづらい。
と言う訳で、観念して一口かじる。
「ん」
それを見ると、美奈は満足そうに笑顔を浮かべる。
可愛くはあるが、そもそも状況がすでに面倒なことになっているので仏頂面をつらぬく俺。
そのままピザトーストを一口かじると、美奈にくいくいと袖を引かれた。
「何だ?」
「私にもちょうだい」
どうやら美奈は俺の持っているピザトーストが食いたい様子。
わざわざそんなことを断って機嫌を損ねるのもアホらしいのでさっさと差し出す。
機嫌を悪くすると本当に俺に何があろうと退かないし。
過去に機嫌を損ねた時は背中を押しつけたうえに俺の太ももを抱え込んだんだよな。
段々とトイレが近くなるのに椅子から立てないのはマジで地獄を見た……
「はむっ」
……こいつわざわざ俺がかじったところを食いに行きましたよ。
んなことせんでも、他のところからかじりゃ良いのに。
あーあ、そんなことすっから頬にピザソースついてやがる。
「何やってんだよ、全く……」
ぷにぷにした頬についたソースを指ですくってやる。
台拭きが近くに無いのでその指はそのまま口へ。
「あ」
「ん? どうした?」
不意を突かれたような表情を浮かべた美奈がこっちを見ている。
……良く見りゃ反対側にもついてんじゃねえか。
仕方ない奴だ。
そう思って手を伸ばそうとすると、その手を美奈が掴んだ。
「はむっ」
美奈は先ほど俺がソースをすくった指を使って反対側のソースを拭いとると、そのままその指を自分の口にくわえこんだ。
こいつ、またか。
「おいひい」
「……いつまで人の指をしゃぶってるつもりだ?」
「気がひゅむまへ」
「待てやコラ。さっさと放せ」
「嫌」
訳の分からない返答に頭を抱えつつ、俺は美奈の口から指を抜く。
すると、美奈は無言で俺の眼をジッと見つめた。
……何となく遊びたくなってきた。
俺は指を鉤状にして釣り針の形にし、美奈の前に垂らす。
「はむっ」
「おっと」
美奈はそれに食いついて来るので、それをすれすれで回避する。
俺の指を取り逃した美奈は、頭上にある釣り針をジッと見つめる。
再び釣り針をゆっくりと下ろす。
「はむっ」
「よっと」
再び食いついて来るので、俺は素早く回避運動を取る。
「む~……」
半眼でこちらを睨んでくる美奈。
いかん、段々不機嫌になってきた。
仕方がない、そろそろここらで釣り上げるとしよう。
三度俺は釣り針の指を美奈の前に垂らす。
「はむっ」
「んあっ!?」
三度目の釣り針を垂らしたら、釣り針ではなく俺の鼻に獲物が掛ったよ。
ええい、そんなところを甘噛するな、ペロペロなめるな!!
俺は少し強引に美奈を俺の鼻から引き離した。
「意地悪」
「……そいつは悪うござんしたね」
と言うか、良く考えたら食事中じゃねえか。
本来の目的を達成するために、俺は皿に手を伸ばす。
美奈も、しばらくの間は目の前の食事に集中することにしたようだ。
「暇、構って」
「貴女様は今私めが置かれている状況を正しく理解しておられるでしょうか」
「食事中」
「分かってんなら先に食事を終わらせろ。ていうか、退きなさい」
「嫌」
こやつ、食事に集中したかと思えばあっという間に他に気を散らせてやがる。
しかも、食事を終わらせたら構ってもらえると思っているのか、少し、いや滅茶苦茶食事のペースが上がった。
一体何がこいつをそこまでさせるのか……暇だからだな、うん。
「ごちそうさま」
「早すぎるだろ、常考」
「構って」
「俺が食い終わるまで待ちなさい」
「嫌」
……俺にどないせいと?
仕方がないので食事をしながら構うべく、膝の上の友人の頭にあごを乗せる。
ああもう、いちいち頭に衝撃が加わってめんどくさい。
しかし、美奈にはそれで十分だったみたいで、頭の上からの衝撃に対抗してグッと背筋を伸ばした。
……ただ、普段座っているだけの分にはこの体勢は楽かもしれない。
そんな感じで波乱に満ちた朝飯が終わり、大学へ向かう準備をする。
流石に着替えやトイレの時くらいは美奈は俺から離れる。
……もっとも、大抵部屋の前で待ち伏せしているが。
そんなこんなでもう出ないと少し不味い時間になった。
「さてと、そろそろ行くか」
そう言って出かけることをアピールしてから玄関へ向かう。
玄関で背中に張り付いた美奈を降ろすと、靴をはく。
……あらら、靴ひもがほどけてやがる。
「誠司」
「ん、何だ?」
靴ひもを結んでいる最中に肩を叩かれて振り向くと、唇に触れる湿り気を帯びた柔らかいもの。
それが少し離れると、頬を染めた美奈の顔があった。
「頑張って」
「……ああ」
「早く帰ってきて」
「……善処する」
靴ひもを結び終えて、玄関を出る。
……さて、今日も頑張るとしますか。




