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旦那様は妖語り  作者: 安芸咲良


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7 先生のお仕事

 お弁当を作り、登校。帰宅後はすぐに母屋に行き、夕飯までお稽古。それから至恩様と共に夕食を取り、一人で床に就く。

 そんな日々が続いた、ある日の昼下がりのことだった。


「ごめんください!」


 今日は学校がお休みだったから、蒼柳さんの家事を手伝っていたら、玄関先から声がした。お客様が来るのは珍しい……。

 わたしが廊下に出ると、


「千枝子さん、千枝子さんっ」


 と書斎から小さく呼ぶ声がする。

 振り返ると至恩様が頭だけ出していて、


「私はいないと言ってください……!」


 と言ってくるものだから、首をひねってしまう。

 ひとまずは頷き、出てみると、眉間に深い皺の刻まれた男の人が立っていた。わたしより一回りは上かしら。ぴしりとしたスーツを身にまとい、ハイカラな印象がする。


「人が出てきただと……?」


 じろりと見られたかと思うと、何だか失礼なことを言われたような気がした。声を掛けたら人が出てくるのは、当然ではなくて?

 と考えたところで、至恩様に居留守を使われるよう言われたことを思い出した。


「あの、どちら様で?」


「失礼、申し遅れました。俺は白進社で雑誌編集をしている西野と言う。貴女は先生の奥方ですね?」


「えっと、わたしは至恩様の妻ですが……」


 先生? 至恩様のことだろうか。それに、雑誌編集って……。

 質問しようとしたところで、背後からどたどたと足音がした。


「西野さん! ちょっと待ってください!」


 こんなに慌てている至恩様は珍しい。この人と、何かあるのかしら。

 西野さんは、どこかぴんときた顔をした。わたしと西野さんの間に割り込んできた至恩様に、獲物を追い詰めた虎のような表情を向ける。


「さては奥方に話していませんね? 先生の仕事部屋で、ゆっくりお話ししましょうか。原稿を進めつつ」


「…………はい」


 至恩様の返事は、追い詰められた小動物のようにか細いものだった。

 何だか今日は、珍しいものばかり見られる気がする。


   *


 至恩様は、今朝から書斎に籠りきりだった。雪於さんに、あまり近寄らない方がいいかもと言われ、そっとしておいたのだけれど、まさか書斎がこんな状況になっていたとは……。


「先生、相変わらず片づけ下手なんですね」


「ほっといてくださいよ」


 そう、書斎は足の踏み場もないほど、紙や本で散乱していた。いつもはすっきりとしているのに、珍しいことだ。

 至恩様が、あっと声を上げる。


「今日みたいなのは、締め切り前だけですからね! 勘違いしないでください、千枝子さん!」


「え、あ、はい」


 文机の前の椅子に座る至恩様は、体ごとわたしの方を向いて、必死な表情でそう言ってくる。散らかっているのはまた片づければいいだけなので、気にしないのだけれど。

 それよりも……。

 至恩様は、はあとため息をついた。


「『先生』とか、『締め切り』とかを、先に説明すべきでしたね」


「まぁ、気になってはいましたけれど……」


 わたしも、その言葉に聞き覚えがないわけではない。本で読んだことがある。

 西野さんが、文机をばしばし叩いてきた。


「手を動かしながら話してくださいよ?」


「はいはい。千枝子さん、お察しのとおり、私は今、雑誌に載せるための原稿を書いています」


「原稿……」


「えぇ。小説の原稿です」


 やっぱり!

 ということは、至恩様は作家ということ? でも、図書館の館長というのは……。


「図書館の仕事を主体に、時折こうして物書きのようなことをしているのです」


「『ような』じゃなくて、立派な作家先生でしょう? 何冊本を出してると思ってるんです」


 西野さんの指摘に、至恩様は肩を竦めた。

 本棚の方に西野さんは向かい、何冊か本を取り出す。


「これも、これも。全部セィヨン先生が書いたものですよ」


「セィヨン先生?」


「私のペンネームです。英国名をもじったものですが」


 そうだ、至恩様は七歳までイギリスで暮らしていたのだ。英国名があっても不思議ではない。

 わたしは西野さんから本を受け取った。そこには、『Sion Gilbert』と書かれている。


「これで『セィヨン』と読むのですか?」


「正式にはシオン。シオン・ギルバート。セィヨンは通称みたいなものです。みんな、私のことを『シオン』ではなく『セィヨン』と呼ぶものですから」


 シオンじゃなくセィヨン。なんだか少し可愛い気がする。

 渡された本の中の一冊に、『雪女』があった。


「あ、これ、先日お話した本ですよね?」


「『雪女』ですか? 千枝子さん、ピンポイントでその話をしてくるものだから、驚きましたよ」


 そういえば、あの時の至恩様、何か言いたそうな表情をしていた。自分が書いた本の話題をしたから、驚いていたのね。


「先生は、怖い話の先人なんですよ。日本各地の怪談を集めて、一冊の本に仕上げる……。生半可な気持ちじゃできません」


「買い被りすぎですよ、西野さん。私はただ、怪談に馴染みがあっただけで」


「何を仰いますか、先生! そのおかげで、読者は怪談を読むことができているのですよ!」


 西野さんは、至恩様の一番のファンのようだ。

 それにしても。


「馴染みがあるというのは?」


「生みの母親が、雑誌の編集者をしていまして、英国の昔話に造詣が深かったんです。おかげで私はそれらを寝物語に育ちました」


「そうだったんですね」


 もう一人のお義母様は、働く女性だったのね。何だかかっこいい。

 英国のお義母様があって、今の至恩様がいる。今に繋がっていることが、尊く思えた。


「他に聞きたいことはありませんか?」


「あの、締め切りというのは、いったい……」


 至恩様の問いかけにわたしがそう尋ねた瞬間、至恩様と西野さんが、はっとなった。

 西野さんは文机に縋りつき、至恩様は原稿に齧りつく。


「そうでした! 先生! 今日原稿が上がらなかったら終わりですよ!」


「原稿を落とすわけにはいきません! 絶対に来月号にこの原稿を載せます!」


 雄叫びを上げる二人に、わたしは目をぱちくりさせてしまった。

 よくわからないけれど、今が正念場ということね?

 邪魔にならないよう、わたしはそっと書斎を後にした。


   *


 一刻ほど経ったころ。

 お盆を手に書斎に近寄ってみると、


「はい、オッケーです!」


 と西野さんの声がした。完成したのかしら?

 声をかけようとしたら、向こうから襖が開いた。西野さんは鞄と封筒を手に、出ていこうとしている。


「あの、お茶のおかわりをお持ちしたのですが」


「お気遣いなく! もう行かないと間に合いませんので!」


 では! と早足の西野さんをお見送りし、書斎に戻ると、至恩様は畳にうつ伏せになっていた。

 わたしが戻ってきたことに気づいたようで、ごろりと転がり、見上げてくる。


「お疲れ様でございました。なにか掛けるものをお持ちしますね」


「あぁ、大丈夫です。もう起きます。お茶、ありがとうございました」


 文机に置かれたお盆の上のお茶は、空になっていた。

 起き上がった至恩様は、わたしの手から新しく淹れてきたお茶を受け取り、わたしにも座るよう促してくる。

 至恩様はお茶菓子をつまみながら、畳に散らばった原稿用紙を手に取った。


「お見苦しいところをお見せして、すみませんでした」


「いえ。お休みの日に、ご苦労様です」


 作家も立派なお仕事ではあるから、お休みというわけではないのかしら。

 達成感と疲労感の入り混じった表情をしている至恩様は、目が合うと優しく微笑んでくる。

 護妖師に帝都図書館館長、作家と、三つも顔を持っているなんて、思いもしなかった。


「今日書いた原稿は、いつ発売されるんですか?」


「来月の末ですね。下書きならここにありますが、読みますか?」


「えっ、えーっと……。読みたいけど、我慢します!」


 正直、すごく、ものすごく気になるけれど、作者の妻だからといって、抜け駆けは許されない気がする……!

 葛藤していると、くすくす笑われてしまった。


「千枝子さんは、本当に本がお好きなんですね」


「はい! 最初は一人の時間を潰すものだったけど、今は純粋に物語の世界が好きなんです」


 その物語を生み出す人が、こんなに身近にいるとは思いもしなかった。至恩様のことを、ますます尊敬してしまう。


「千枝子さんの『雪女』の感想には、はっとさせられました。次の作品は、読んでアドバイスをもらえると嬉しいです」


「えっと、わたしでいいのでしょうか?」


「もちろん。作家でもない、編集者でもない、読者の生の声は、時に作品を大きく飛躍させます。何より、千枝子さんの感想は、私が嬉しいです」


 正直、わたしなんかの感想が、作品のためになるとは思えない。

 だけど至恩様の力になれるのなら、役に立ちたいと思った。


「わたしでよければ、喜んで」


 その返事に、至恩様は嬉しそうに笑った。

 至恩様は湯呑を置き、わたしの方へと向き直る。


「本が好き、ということでしたら、二人で帝都図書館に行きませんか?」


 帝都図書館……?

 父にずっと禁止されていた場所?


 行けないものだと思い込んでいた。

 でも、もうわたしは桧垣の家を出ていて、父の言いつけを守る必要はないのだ。


「はい! 行きたいです!」


 わたしは身を乗り出していた。その勢いに至恩様は驚いたようで、目を瞬かせている。

 あ、はしたなかったかしら……。座り直して咳払いをすると、また笑われてしまった。


「では、次のお休みに」


「はいっ」


 少し眠るという至恩様に布団を敷いて、わたしはお盆を手に書斎をあとにする。

 次の休みが楽しみで仕方がない。思わず足取りも軽くなる。


「至恩様とお出かけかぁ」


 あれ? 二人でって言ったよね?

 それって……。


「逢引、ってこと……?」


 そうよね!? 二人きりなんだもの!

 わわっ、だから至恩様は笑ってらしたのかしら!? 意味がわかっているのかなって!


 熱くなってくる頬に両手を当てても、全く冷えやしない。もうすでに緊張してしまっている。

 次のお休み、わたしは平常心でお出かけできるのかしら……?

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