3 結婚の申し出
翌日、目を覚ましたわたしは、枕元に置いていたあの根付を手に取った。
象牙のつるりとした表面に、精巧な竜胆の模様が彫られていて、日の光を受けて淡く輝いている。
魔除けと言っていた。神社から帰る道すがら、妖を何度か見かけたけれど、近づいてくることはなかった。この根付の効果だったのかしら……。
さすがは護妖師の一族だ。悪い妖から人々を守るのが、護妖師だと。あの刀で斬るだけでなく、こういったお守りも作っているのかしら。
こんなに高そうな物をいただくわけにはいかないと思ったけれど、妖のいたずらから守ってくれるのは、正直助かる。
「返そうにも、相手は華族様だし……」
気軽にお会いできる家柄ではない。もしまた偶然お会いすることができたら、お返ししよう。
そのときまで、ちゃんと持っておけばいいよね。
そう思っていたのだけれど。
事が起きたのは、学校へ行く準備を終えようかというときだった。
「ごめんください」
玄関からそんな声がして、母様が出迎えに行った。
朝から来客なんて珍しい。なんて暢気に考えながら、準備を続けていた。
「龍ヶ峰様!?」
母様の素っ頓狂な声が聞こえてきて、嫌な予感がする。父様も小春姉も、なんだなんだという顔をして、三人で玄関に向かった。
そこにいたのは、案の定、至恩様で。
「千枝子さん! おはようございます」
「……おはようございます。あの、どうしてここに……?」
「それはもちろん、婚約のご挨拶に参ったからです」
胸を張って答える至恩様に、「婚約!?」と父様と小春姉の声が重なったのは当然だろう。
わたしは思わず頭を抱えた。やっぱり、昨日のわたしは間違えていたようだ。
「桧垣のご主人、私は龍ヶ峰至恩と申します。千枝子さんとの結婚をお許しいただきたく、ご挨拶に参りました」
「龍ヶ峰家のご子息が、なぜうちの子を……?」
呆気に取られている母様に代わって答えたのは、父様だった。
至恩様は、軽く頷いて答える。
「昨日、困っていたところを、千枝子さんに助けていただいたのです。その聡明さに、私は惹かれました。聞けばまだ結婚のご予定はないとのこと。ならばとこうして急ぎ馳せ参じたというわけです。あ、これ釣書です」
胸に手を当て、感極まったように話す至恩様。
嘘は言っていない。本当のことを全て言ったわけではないだけで。
困惑するわたしに向かって、至恩様は意味深に笑って見せた。『護妖師』のことは、黙っておいた方が良さそうだ。
「とはいえ、朝からというのは不躾も承知。今日は話だけということで。千枝子さん、今から学校ですか?」
「え? あ、えぇ」
「では送っていきましょう」
至恩様が一歩よけると、門前に馬車が停まっているのが見える。さすが華族……。
だけど女学校に馬車で行ったら、相当目立っちゃうんじゃないかしら。
「あの、歩いて行けますので……」
「遠慮なさらず。さあさあ」
至恩様って、結構強引? 肩を押されているわけじゃないのに、有無を言わせない圧を感じる。
「せっかくだし、お言葉に甘えたら?」
「そうだな。龍ヶ峰様、娘をよろしくお願いします」
母様も父様も、そんなことを言ってくる。
至恩様って、異国の血が入ってそうな整った顔立ちで、どこか人を信頼させる空気感がある。二人とも、すっかり至恩様を気に入ったようだ。龍ヶ峰家なんて、逃しちゃならないほどのお家柄だものね。
外堀を埋められていくって、こういうことを言うのかしら……。
「では参りましょう」
気づいたときにはわたしは鞄を手にし、馬車の前に立っていた。いつの間に……!?
ここまできて、断るわけにはいかない。わたしは馬車に乗るしかなかった。
*
二人乗りの馬車は、小刻みに揺れながら進んでいく。
「強引にお誘いして、すみませんでした」
向かいに座る至恩様が、ふいに口を開く。
しょんぼりとしている様が、まるで叱られた犬のようだ。
「昨日、ご両親に話を通さないのは不躾だと思って、朝一でお伺いしてしまいました。別の人に先を越されたらと思うと、居ても立っても居られなくて……」
「不器量な桧垣の末娘って言われているんですよ? 先を越されるなんて、あり得ません」
「そんなことはありません! 千枝子さんは綺麗です!」
身を乗り出してくる至恩様に、わたしは目をぱちくりさせてしまった。
そんなこと、初めて言われた……。お世辞だとしても、ちょっと嬉しい。
でもまあ、平々凡々な顔立ちなのは、ちゃんと自分でもわかっている。
至恩様は、はっとしたように座り直した。
「ともかくっ、順序は大事だったなという話です。千枝子さんと、落ち着いて話したかったですし……」
なるほど、それで送っていくと言ったわけか。
ちらりと見えた釣書には、二十歳だと書いてあった。わたしより四つ年上だけど、照れている様が、なんだか可愛く見えてくる。
「昨日は突然すぎました。千枝子さんに警戒されても仕方がない……。父にも叱られました」
「お父上……。あの、至恩様のお母上は、異国の方なのですか?」
高い身長に色素の薄い髪、どこか日本人離れしたお顔立ちに、最初は異国のお方かと思ったほどだ。
昨日、一瞬だけ瞳が青く見えたから、そう思ったのだけれど……。今は光に当たっても焦げ茶に見えるから、きっと見間違いだったのだろう。
「母が英国人なのです。私が八つのときに亡くなって、それから父のいる日本で暮らすようになりました。だから龍ヶ峰と言っても、私に家督権はないのですよ」
「あ、それは……。すみません、話しにくいことを……」
「いいえ! 跡継ぎではないことは、ちゃんとお話ししようと思っていましたから」
それもあるけれど、わたしが言いたかったのは、お母上のことだ。でも至恩様には伝わっていたのか、優しい笑みで見てくるから、それ以上、言葉は紡げなかった。
龍ヶ峰の奥様は、華族の出だったはずだ。その息子さんが、まだ学生だというお方だろう。
きっと華族のしがらみで、異国人の血が入っている至恩様には、家督権を与えられなかったんじゃないかしら……。
「なので龍ヶ峰の特権を与えられるかというと、それほどでもなく……。ですが必要ならば、ご家業の支援はすると、父に取りつけました。それも加味して、この結婚を考えていただければと」
至恩様は、自分に不利になるようなことまで話してくれる。
というよりも、この結婚は、至恩様に有利なことは少ないんじゃないのかしら。
「あの、どうしてわたしなんかと結婚を……? 『目』のことを入れたとしても、わたしにいいことばかりな気がするのですが」
そう言った瞬間、至恩様の頬が赤く染まった。口元に片手を当て、視線を逸らす。
これは……。
「笑わないで聞いてくださいよ? ……一目惚れだったんです」
「へっ?」
「大の大人が一目惚れなどと言うのはお恥ずかしいのですが……。千枝子さんに助けていただいて、見ず知らずの他人をなんの損得もなしに助けようとする、その優しさに惹かれました。しかも貴女は妖を毛嫌いしている。それなのに助けてくれただなんて、好きにならないわけないじゃないですか」
はにかみながら説明してくれる至恩様だけど……。
大分恥ずかしいことを言っている自覚はあるのかしら!? もうこれ以上は心臓が耐え切れないのだけれど!
途中から至恩様の方を見ていられなくて、目を泳がせてしまう。
「千枝子さん?」
「あの、えっと……あっ、もうここで大丈夫です!」
通りをひとつ行けば、学校だ。ここで降ろしてもらおう!
至恩様は「そうですか?」と言って、御者に指示する。助かった……。
戸を開けて先に降りた至恩様が、手を差し伸べてくれる。
「大分強引だったのは自覚しています。否と言われれば、それも受け入れます。ですが、前向きに考えていただけると嬉しいです。何があっても、私は千枝子さんを守るつもりですから」
無事に降りられたけれど、至恩様は手を離さない。
そのまま顔を近づけてきて――。
手の甲に口付けをした。
「~~~~!?!?!?」
「それではお気をつけて! 勉学、頑張ってください」
目を白黒させているわたしを置いて、再び馬車に乗った至恩様は行ってしまう。
へなへなと腰を抜かしてしまったわたしが遅刻しかけたのは、仕方のないことだっただろう。
とはいえ、心は決まった。
妖とは関わり合いたくないとか、行き遅れるんじゃないだろうかとか、ただ悩んでいるだけでは何も変わらないのだ。
目を閉じて、うずくまっているだけは、もうやめだ。




