14 わたしの旦那様
その後の話。
隣には至恩様。机を挟んで向かい側には小春姉。
重苦しい空気の人間三人と、居間の隅に控える妖が二人。
「夫婦の部屋が別々とはどういうことです? 千枝子はお飾りの妻として、嫁がされたのですか?」
刺々しい小春姉の言葉に、わたしたち夫婦は俯くことしかできない。
どうして、お説教の時間になったのかしら……。
起きてきた小春姉は、すっかり元気を取り戻していた。
「千枝子は本当に妖が見えていたのね。信じてあげられなくて、ごめんなさい」
眉尻を下げて、小春姉はそう言ってきた。
見えないものの話を信じろという方が、難しいと思う。寄り添ってくれたことが、どれだけ救いになったことか。
首を振るわたしに、小春姉は優しく笑ってくれた。
「妖に取り憑かれている間は、あの大烏も見えていたけれど……。今ここに、妖がいるの?」
隅の方に控える雪於さんと蒼柳さんの方を見やる小春姉だけど、微妙に視線がずれている。大烏を祓ったら、もう妖を見られなくなったらしい。
「雪女の雪於さんと、柳の木の妖の蒼柳さんです。雪於さんは、わたしに料理を教えてくれてもいるんですよ」
見えなくても「妹をよろしくお願いします」と言う小春姉に、二人の妖は頭を下げた。
雪於さんと蒼柳さんが出ていき、人間三人になってからである。
「それで、私が寝かせてもらっていた部屋は、千枝子の部屋だと聞いたのだけれど」
そう切り出されて、冒頭の話題に戻る。
小春姉、声を荒げているわけでもないのに、どうしてこうも威圧感を出せるのかしら……。最年長の至恩様まで、叱られた子供のようになってしまっているではないか。
これではいけないと、口を開いたのは至恩様だった。
「それは、私の仕事の都合上やむなく……。一区切りはつきましたので、その点はご安心ください、小春さん」
もっともらしく言うけれど……。
それは締め切り前の至恩様のことを仰ってる? それとも護妖師の力の件で契約結婚だったこと?
とはいえ、わたしも人のことは言えない。行き遅れるんじゃないかと思って、この提案に飛び乗った。
結果として、本当の夫婦になれたから、良かったのかもしれないけれど……。
「仕事柄、千枝子さんにも小春さんにも、不安にさせてしまうことはあるかもしれませんが……。千枝子さんのことは、絶対に守ります」
姿勢を正し、真っ直ぐな目で言う至恩様。
胸が高鳴ると同時に、愛しさが込み上げてくる。
真剣な思いが伝わったらしい。小春姉は納得いったように頷いた。
帰り際、小春姉が見つめてきたかと思うと、ぎゅっと抱きしめられた。
「千枝子のこと、嫌いだなんて思っているわけないからね。大好きよ」
身を離し、優しく微笑んでくる小春姉に、目頭が熱くなってくる。
「家のことだって、心配しないでね。旦那なんかいなくても、私がうちの会社を大きくしてみせるから!」
拳を作って言う小春姉は、たくましい。
苦笑するわたしに、小春姉は力強く笑い返してくれた。
小春姉が帰っていって、二人きりになると、至恩様は真剣な顔で向き合ってきた。
「先ほど小春さんにも申しましたが、私は千枝子さんを守るつもりではあります。が、あまり危ないことをしてほしくないとも思っています」
不可抗力とはいえ、今日は命の危険を感じた。
心配そうな目を向けられるけれど、それに関しては、わたしも譲れない。
「ですが、至恩様の目を見つける、というお約束で始まった結婚です。それまでは貴方の目になる心づもりです」
「でも、私は別に護妖師になりたい気持ちはないのだから、目は必要ないのですよ?」
それはそうなんだけれど……。
至恩様は、護妖師よりも図書館や作家のお仕事をしたいと思っている。その気持ちは尊重したい。
「護妖師は関係なく……。わたしが至恩様の目を見たいと思っている、という気持ちもあって」
澄んだ夏空のような瞳は、大層美しかった。両の目が揃ったところを、もう一度見てみたい。そう願うのは、過ぎたる願いかしら。
「目、ですか?」
「えぇ。至恩様、力を使っているときは、空色になるんですよ。ご存知でした?」
わたしがそう言うと、至恩様は息を呑んだ。
……言ってはいけないことだったかしら……。
「あの、至恩様……?」
「いえ、すみません。亡くなった母が、青い目をしていたのです。母の血が、ここに残っていたのだなと」
細められた至恩様の瞳は、遠く英国を見ているかのよう。
母を亡くし、故郷を離れ、こんなに遠いところまで来た至恩様。淋しく思うことも、きっと一度や二度じゃなかったのだろう。幼いあの日の至恩様は、膝を抱えていた。
「それにしても、よくお気づきになりましたね」
「幼い頃に出会ったとき、そうでしたから」
何気なく言っただけだった。だというのに、至恩様は訝しげな表情になる。
「人にそう言われたことはありません。異国の血が入っているのに、焦げ茶の目だねと。千枝子さん、貴女は私が力を分け与える前から、私の目が青に見えていたのですか?」
あれ? よく考えてみればそうだ。
記憶の中の至恩様は、最初から青い目だった。
「あの頃はまだ、うまく力を制御できていなかったから、力が漏れ出ていたとしても……。それを千枝子さんが見えていたのならば、それは多少なりとも千枝子さんには力があったということなのでは?」
「そ、そうなのかしら……?」
至恩様と出会う以前から妖が見えていた記憶はないのだけれど、出会ったことすら忘れていたわたしだ。己の記憶力に自信がない。
「ということは、私の目論見は、最初から破綻していたということですか……?」
「えっ、あ……そう項垂れないでください! わたしはもう妖が見えるままで良いと思っているのですから!」
わたしに力があろうがなかろうが、問題はない。
それに……。
「より至恩様のお力になれるということでしょう? 目を探すため、尽力いたしますわ」
両の拳を握って言うと、優しい微笑みを向けられた。
「頼もしいことです。妖にまつわることをお手伝いいただけるというのならば、どちらかというと、小説の方をお願いしたいものですが」
「それは勿論。お約束もいたしましたし」
至恩様の書かれる小説の感想を言う。至恩様のもう一つのお顔を知ったときに、お約束したこと。
正直、わたしにしか利がないお約束のような気がしなくもないけれど、至恩様は感想を聞きたいらしい。ならば喜んでお手伝いしよう。
即答するわたしに、至恩様はくすりと笑った。
「至恩様?」
「いえ。私は妖にまつわる物語を書きたいと思っています。人に見えなくとも、彼らは確かに存在する。その証を残したいのです」
至恩様が怪談話を書いているのには、そんな理由があったの……。
見える人が少なくなり、妖はいなくなったと言われているこの時代。
それでも、彼らは消えてしまったわけではない。存在しないものとして扱われることを、悲しく思わないはずがないのだ。
至恩様が書いてくださるなら、救われる妖もいるのかもしれない。
「これまでは、出会った妖や見聞きした妖のことを元に、書いてきました。ですから、妖を見る千枝子さんがいれば、心強いなと」
なるほど。そういった意味でも、わたしは至恩様の力になれるのね。
わたしは、至恩様の顔を覗き込むように笑いかけた。
「お任せください。今のわたしなら、どんな妖が現れても、つぶさにご説明できますよ」
「いや、それはありがたいのですが……。無茶はなさらないでくださいよ?」
「わかってますって」
くすくす笑うわたしに、至恩様は悩ましげだ。
至恩様の力になるために、わたしが怪我などしてしまったら本末転倒だ。『目』として常に見開いておかなきゃ。
「蒼柳! そこはまだ拭いてないのだから、物を置かないでくださいまし!」
「一時置こうと思っただけだ」
「んもう! 反省は終わりですか!?」
雪於さんと蒼柳さんの声が聞こえる。
二人はこれまで、どんな風に生きてきたのだろう。
世の中にはどんな妖がいるのか、もっと知りたい。
「至恩様は、今までどんな妖と出会ってきたのですか?」
日本各地の怪談話を書いていると仰っていた。わたしが知るよりも、もっとたくさんのことをご存知なんじゃないかしら。
「話せば長くなりますよ? なにせ海外の話までも、できますから」
「それは楽しみですわ。セィヨン先生の書かれるお話が、今一番、わたしの読みたいものですから」
妖のことを物語る旦那様。
至恩様が語ることならば、どんなものでも聞いてみたい。
もう妖のことを厭うことはないのだろう。優しい心で綴ってくれる人が、傍にいる。
わたしの旦那様は妖語りだから。
〈終〉
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