13 本当の夫婦に
小春姉がぐっすり眠っているのをもう一度確かめて、わたしは自室の襖を閉めた。
廊下で待っていてくれた至恩様と共に、居間へと向かった。
「蒼柳から聞きましたが」
雪於さんが用意してくれたお茶を飲んで一息ついたところで、至恩様が切り出した。
蒼柳さんと雪於さんは、めちゃくちゃになってしまった客間を片づけてくれている。
わたしたちも手伝うと言ったのだけれど、打ちひしがれる青柳さんの様子に、全てを察した。蒼柳さんがわたしに零したことを、雪於さんも聞いたのだろう。雪於さんから足を踏みつけられても黙っているところを見ると、彼女に絞られて反省中のようだ。
「お二人でお話くださいませ。たぶん、それが必要だと思いますから」
雪於さんにそう言われて、二人居間で膝を突き合わせていたのだ。
お茶に手を付けずに黙り込んでいた至恩様は、一言切り出したと思ったら、突然がばりと頭を下げた。
「申し訳ございませんでした!」
勢いが良すぎて、わたしは目をぱちくりさせてしまった。
「……なぜ謝るのです?」
「それは……結婚に際し、説明が不十分だったから……」
しどろもどろになる至恩様に、わたしはやはり可愛い人だなと思ってしまう。
刀を振るっていたときは、あんなに頼もしかったのに、今のしょげ返る姿は愛らしい。
「謝るのは、わたしの方です。励ましてくださったのに覚えておらず、申し訳ないことをしました」
「いえ、ちゃんと話さなかった私の落ち度です! 千枝子さんが覚えてないことには、気づいていたのに」
至恩様は覚えてくださっていたんだ。それでいて、結婚を申し出てくださったの……?
覚悟を決めたように、至恩様は顔を上げた。
「幼い頃に出会ったとき、私は自分の力を千枝子さんに分け与えてしまいました。あんなことで分け与えてしまうとは、露知らず……。知らなかったとはいえ、貴女にひどいことをしました。ずっと気になっていたんです。あのときの子が、辛い思いをしていないかって」
わたしが妖を見るようになったのは、至恩様の力だったの……?
苦しそうに言葉を紡ぐ至恩様に、わたしは胸が締め付けられる。
『悪いのは全面的に旦那様だから』
『旦那様が力のことを理解していなかったせい』
『奥様が妖と関わることもなかったのに』
蒼柳さんは、そう言っていた。至恩様は蒼柳さんたちに、後悔を零していたのかしら……。
故意にやったわけではない。だけど無知を罪だと言う人もいるだろう。
それでも、もう一つの言葉が頭をよぎる。
『旦那様は、自分のせいで奥様に妖が見えるようになったことを、ずっと悔やんでおられた』
目の前の至恩様の姿を見て、どうして責めることができようか。
もうわたしは、至恩様の力になりたいと思ってしまっているのに。
「至恩様、言ってくださいましたよね。『妖が見えなくなる日が来ても、妖に対して良い思いが残っているといいなと思います』って。見えなくなる前に、良い思いを抱くようになったのなら、どうなりますか?」
わたしが妖を見ることがなくなったら、この結婚はおしまい。
至恩様の目を取り戻すことが叶っても、妖を見えなくする方法は探してくれる。
そういった取り決めで始まった結婚だった。
ならば、わたしが妖を見えるままでもいいと思ったら?
それでも至恩様は、一緒にいてくれると仰るのかしら。
心臓が早鐘を打っている。言葉の真意に、至恩様は気づいてくださる……?
「それは……この結婚生活を、まだ続けてもいいということですか?」
単刀直入に言われて、顔が熱くなる。
みなまで言わなくとも! と思ったけれど、そろそろと見上げた至恩様の顔は、わたしと同じように赤く染まっていた。
「そうだと言っております……」
消え入りそうな声でしか言えなかった。だけど二人きりの居間。たしかに至恩様の耳に届いたらしい。
机から視線を外せずにいると、衣擦れ、足音、すぐ傍に座る気配。
「千枝子さん、手を取っても?」
確かめなくていいのに。貴方にすべてを捧げる覚悟はできているのだから。
小さく頷くわたしの手に、至恩様はそっと触れる。
壊れ物を扱うかのような手つきに、触れたところから伝わる熱に、どうしようもなく愛しさを覚える。
「どうしましょう。そんなことを言われてしまえば、いつか貴女がこの生活に嫌気が差したときに、手放せる自信がありません」
「ですから! わたしは貴方の目になりたいと申しているのです!」
あまりの伝わらなさに、つい声を荒げてしまった。
目を丸くする至恩様に、わたしは続ける。
「貴方が目を取り戻せなくてもいいと思っていることは、わかっています。護妖師でなくてもいいと思っていることも。ならば必要なときだけでも、妖を見るこの目をお貸しします。帝国図書館の館長の妻として、作家の妻として生きていきたいのです。駄目ですか?」
「駄目なわけありません。でもそれは、私にとってあまりに都合が良すぎる……」
「至恩様は、わたしを憐れんで、結婚してくださったのですか?」
「そんなことはない! 愛しています!」
想像以上の言葉が返ってきて、思わず口ごもってしまう。至恩様がずっと仰ってくださっていたことは、本心だったのだ。今になってようやく、それが伝わった。
わたしの表情で察したのか、至恩様は怪訝な顔になった。
「まさか、伝わっていませんでした?」
「いえ、あの、結婚生活をうまく運ぶための、賛辞の類かと……」
しどろもどろになってしまったわたしに、至恩様は深くため息をついた。
逃げ出してしまいたいけれど、至恩様に右手を取られていて、それは叶わない。そう強く握られているわけではないし、ここで逃げてはいけないのもわかっている。
「すみません、もうちゃんと伝わりました」
「よかった……。神社で再会したあの日、すぐに千枝子さんだと気づきました。貴女は私のことを覚えていないようだったけれど、また助けてくれた……。そこで、再びの恋をしたのですよ」
深い慈愛の籠った右目に、どうにもむず痒くなる。
幼いあの日も、神社で再会したときも、口や体が勝手に動いていただけだ。初めて会った日のことを言えば、わたしの方も救われたというのに。
「再会した千枝子さんは、私が与えた力のせいで困っていた……というか、すごく迷惑そうだった。どうにか繋ぎとめておきたくて、結婚なんてとんでもないことを提案してしまったけれど、今はああ言っておいてよかったと思っています」
至恩様は、わたしの右手をすくうように握り直した。
わたしに向けられる視線には、少しの緊張が混じっている。
「改めて言わせてください。千枝子さん、私は貴女を愛しています。どうか私と結婚してくださいませんか?」
今さら、などとは思わない。これで、契約でしかなかった結婚は終わりを告げ、本当の夫婦としての道が始まるのだ。
わたしは至恩様の手を握り直す。
「喜んで。わたしも貴方を愛しています」
至恩様の眼が、眩しいものを見るように細められた。
握られたままの右手が、少し持ち上げられる。
至恩様のお顔が近づいてきて、その唇が――。
「……っ! すみません……!」
触れようとしたところで至恩様は手を離し、がばっと身を引いた。
わたしも我に返り、落ち着いたはずの心臓がまた早鐘を打ち始める。
びっくりした……。手の甲とはいえ、口付けされるかと思って、どきどきしてしまった。
でも、どうして急にやめてしまったのかしら……?
いえっ、これじゃあわたしがしてほしかったみたいじゃない!? いやまぁ、間違いでもないのだけれど……。
「すみません、またやってしまうところでした……」
「『また』?」
口付けなんて、初めてのことだったと思うのだけど……。
首を傾げるわたしに、至恩様はしまったというかのような顔をした。じっと見つめていると、観念したように一つ息をつく。
「幼い頃に、貴女に力を渡したと言ったでしょう? 別れ際に何をしたか、覚えていらっしゃらないのですよね?」
「えぇ」
わたしが覚えているのは、幼い至恩様と話したことだけ。その続きはもう、小春姉に会いに行った記憶に繋がっている。
「別れ際に、私は……あろうことか……口付けをしました……!」
「えっ……」
「誤解しないでください! 額に軽くしただけです! あっでもそれだけで千枝子さんに力を渡してしまったから無罪というわけにもいきませんよね……! 今はコントロールできるようになったからできなくもないんですけど、当初は千枝子さんに私を好きになってもらってからキスして力を取り戻そうと思っていたんですが……!」
突然、いつも以上に饒舌になってしまった至恩様に、気圧されてしまう。
強引に結婚を進めたと思いはしたけれど、そういう事情もあったということ?
「あれ? じゃあ別にキスしても良いのか……?」
それに気づいたのは、同時だったよう。
二人の目が合って、何とも言えない空気が流れる。
「ち、千枝子さん。よろしいですか……?」
「えっと、あの……はい……」
どう返事したら良いのかしら!?
それだけしか言えなかったけれど、至恩様の両手がそっとわたしの頬を包み込む。
熱の籠った右目に、わたしの姿が映っている。
不安?
いいえ、この人となら大丈夫。
わたしは旦那様を守りたいと思っているし、きっとそれは至恩様も同じ。
夫婦として支え合っていけると、信じられる。
そっと目を閉じると、二人の唇が重なった。




