10 お仕事中の旦那様
至恩様は周囲にあまり人がいないところに案内してくれた。
いつの間にか自分でも読む本を選んでいたようで、隣に並んで座り、一緒に読むという。
周囲には大好きな本、隣には旦那様。
こんな状況で、物語に集中できるのかしら?
「千枝子さん、そろそろ昼食にしますか?」
声をかけられて、はっとした。
え、昼食? もうそんな時間!?
「すみません、集中されていたのに」
「い、いえ。むしろ夢中になってしまっていて、すみませんでした……」
恥じ入ってしまうけど、至恩様は気にするようでもなく笑った。
朝から雪於さんと一緒に作ったお弁当を、持ってきている。
お弁当を食べるのにちょうどいい場所がある、と言う至恩様に連れられて向かったのは、図書館の中庭だった。
奥の棟は図書館職員以外は立ち入り禁止らしく、そう広くない中庭には誰もいない。至恩様は、木陰に置かれたベンチへと促す。
二人の間に籠を置いて、中身を取り出す。
「おぉ! サンドイッチですか」
「はい。図書館で食べるなら、周りを汚しにくいものを、と思ったのですが、いらぬ気遣いでしたね」
中庭なら、こぼしても咎める人はいないだろう。とはいえ、周囲を汚さないに限るけれど。
「とんでもない。お気遣いいただきありがとうございます。それに、私、たまごサンドは好物です」
「えぇ、雪於さんからお聞きしました。少し辛子を効かせたものが、お好みだとか」
いただきますと手を合わせ、たまごサンドを頬張る至恩様は、おいしそうに食べている。お口に合ったようで、安心した。
「千枝子さんは、何がお好きですか?」
「え? そうですね……。夢楽亭のみたらし団子が好きです」
「夢楽亭! 私もあそこのお団子は好物です。今度、一緒に行きましょうか?」
「えぇ、ぜひ!」
至恩様、甘い物もお好きなのね。
同じ物が好きだと知って、何だか嬉しくなる。
……あれ? これ、また一緒に出かける約束をしちゃった……?
いやっ、嬉しいのだけれど、即答しちゃったのが恥ずかしいというか……!
至恩様がどう思ったか気になって、そっと隣を見てみると、おいしそうにお茶を飲んでいた。
ほっと息をついたときだった。
「あー! 館長が来てるー」
「え、あぁ本当だ。あ、そちらが噂の奥様っすか?」
奥の棟からやってきた二人が、口々に尋ねてきた。小柄で年若い男性と、背が高く目つきの鋭い男性だ。
館長と呼んでいるっていうことは、図書館のお方……?
「千枝子さん、私の部下たちです」
「そうなんですね。主人がいつもお世話になっております」
頭を下げて、違和感を覚えた。周囲がしんとしているのである。
何か、挨拶を間違えたかしら……?
そろそろと顔を上げると。
「『主人』……!」
「本当に美人さんっすね」
「館長にはもったいなーい」
三者三様の反応をしていた。
部下のお二人の反応に慌てる気持ちもあるけれど、今は至恩様だ。
「あの、至恩様……?」
「もう一回、主人と言ってもらってもいいですか? すごく『結婚したー』って気持ちになります」
「出た、惚気」
「もうずっと、こんな感じっすよねー」
ずっと……? 至恩様、職場ではいつもこんな感じなの?
お二人の言葉に、至恩様は慌てた。
「ずっとじゃないですよ! 千枝子さん、私は真面目に仕事をしているので、誤解しないでくださいね!?」
必死な表情で言ってくる至恩様が……不謹慎かもしれないけれど、可愛く見えてくる。でも、笑ったら失礼よね?
「……二人とも? 仕事はどうしたんです?」
「あっ、いや、えっと……」
「ちょーっと休憩してただけっすよー!」
冷静になった至恩様とは逆に慌てだしたお二人は、じりじりと後ずさりしていく。至恩様は、一歩も動いていないのに、「失礼しますー!」とお二人は踵を返して去っていった。
まったく……と、ため息をつきながら至恩様は呟いた。
「至恩様が、『案外気に入っている』と仰った理由が、少しだけわかりました」
わたしがそう言うと、至恩様は少し首を傾げた。
初めに会ったときに、口にしていたことだ。護妖師とはなれなくても、帝都図書館でのお仕事を気に入っていると。
良い仕事場なのだろう。あの部下のお二人が、あんなに気さくに話せるくらいには。
「……仕事のできる人たちばかりではあります」
「護妖師と作家のことは、ご存知なのですか?」
「いえ、作家のことだけですね。護妖師は、秘匿事項……というか、見える人が少ないということもありますから」
言われてみればそうだ。妖退治をしていますと言っても、信じられない人の方が多いだろう。わたしの周りの人が、そうだった……。
黙り込んでしまったわたしの手に、至恩様はそっと自分の手を重ねてくる。
「妖は、存在します。見えない人が多くとも、それは事実です」
あ……。
妖のせいで嫌な思いをしてきたことを思い出していると、気づかれてしまったようだ。すぐに気づいてくれる至恩様に、胸がぎゅっとなる。
「大丈夫です。至恩様がわかってくださっていることは、理解していますから」
手のひらを上に向け、至恩様の手を握る。
妖が見えなくなるまでの、契約結婚ではある。だけど悪い妖ばかりじゃないことを、至恩様が教えてくれた。
できることなら、彼の目が見つかるまでお手伝いしたい。
わたしの思いが伝わったのか、至恩様は優しく微笑んでくれる。
「いつか貴女が、妖が見えなくなる日が来ても、妖に対して良い思いが残っているといいなと思います」
そして手が離れていった。その笑みが少し淋しいものに見えるのは、思い違いじゃない気がする。
それが淋しいと思う資格は、きっとわたしにはない……。
「そろそろ図書館に戻りましょうか。先程まで読んでいた本、まだ途中でしたよね」
「え、えぇ……」
至恩様は立ち上がってしまい、それ以上、言葉を紡ぐことはできなかった。
*
日が傾き始めた頃まで、二人並んで読書に勤しんだ。
せっかくの憧れの帝都図書館だったのに、昼からはあまり読書に身が入らなかった気がする。
帰宅後、書き物があるからと至恩様は書斎に籠ってしまった。
「おや、奥様。もうお戻りで?」
夕飯の仕込みの手伝いでもしようかと台所に足を向けたところで、洗濯物を抱えた蒼柳さんと鉢合わせた。
自分の物を受け取り、二人で自室へと向かう。
「……旦那様と、何かあったのか?」
わたしの沈んだ様子を感じさせてしまったのか、蒼柳さんがそう尋ねてきた。
ぶっきらぼうな物言いの妖だけど、主人、そして至恩様に連なるわたしのことも、気遣ってくれている。
雪於さんに対してだけは、辛辣だけど……。長い付き合い、妖同士だからこその対応なのだろう。
至恩様とも長い付き合いであるから、相談したら何か解決策が見つかるかもしれない。でも、どう話したものか……。
「旦那様も思い悩んではいたのだ。小生から見ても、悪いのは全面的に旦那様だから」
言葉を探している間に、蒼柳さんは連ねてくる。
契約結婚に乗ったわたしにも、原因はある気がする。
「そんな、わたしにだって責任はあるかと……」
「いや、旦那様が力のことを理解していなかったせいで間違いない。でなければ、奥様が妖と関わることもなかったのに」
何の話……?
蒼柳さんが話していることと、わたしが悩んでいることは違うんじゃないだろうか。そう思うのに、指摘することができない。
聞いちゃいけない気がする。だけど重要なことのようにも思えて、止められない。
「旦那様は、自分のせいで奥様に妖が見えるようになったことを、ずっと悔やんでおられた。そのことだけは、わかってほしい」
時折見せる悲しげな表情は、このことを意味していたの……?




