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旦那様は妖語り  作者: 安芸咲良


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1 器量なしの千枝子

 人に言わせると、どうやら帝都に妖はいなくなったらしい。

 時代が江戸から明治に移り変わって、街にガス燈の明かりが灯ると、夜の暗がりは減った。それは人ならざるものたちの住まう世界が減ったことを示している。


 だけどわたしは知っている。彼らは小さな草花の影にすらうまく紛れて、巧妙に生きているのだ。




 昨夜の雨が、呉服屋の軒先に置かれた鉢に溜まっていた。昼前ともなれば日の当たる通りは乾いているといえど、影になる部分はまだ湿っている。


 わたしはお気に入りの杜若柄の着物の裾を汚さぬよう、ぬかるみをよけて歩いていた。人通りが多いから、ぶつからないようにするのは骨が折れる。

 せっかく三つ編みを輪っかにした流行りの髪型を綺麗にできたのに、着物が汚れてしまっては気分が下がる。


 足元にばかり、注意がいっていた。けれども視界の端に、なにかがちらりと動いたようにも見えた。

『相手』に気づかれぬよう、一瞬だけ視線を呉服屋の軒先に向ける。


 やはりいた。

 鉢の陰に――あれは狐だろうか。二本足で立ち、鉢と同じほどの小さな狐が、狐と言えば、ではあるが。


 狐は鉢にその小さな手を突っ込み、獲物がかかるのを待ち構えている。

 わたしがこのまま真っ直ぐ歩いていけば、その射程範囲に入るだろう。


 さて、どうしたものか……。

 わたしは何食わぬ顔で歩いていく。右に人の姿はない。これならば大丈夫だろう。

 狐の手が動いた。その瞬間、わたしは右にひらりと飛び跳ねる。

 いたずら好きな狐の放った雨水は、わたしの着物を汚すことなく、ただ地面を濡らした。

 突然跳ねた水に、人々は蛙が飛び込んだか何かと思っただけだろう。


 でもわたしは知っている。妖たちは、こうして人にちょっかいを出す機会を伺っているのだ。

 ちらりと視線を鉢に向けると、悔しそうな狐と目が合ったけれど、わたしは見なかったふりをした。


   *


 生まれながらに妖が見えたわけではなかったように思う。

 桧垣(ひがき)の一族は、元をたどると中級武士の家柄で、明治へと移り変わって士族となったとき、曾祖父が機織会社を興したという。

 つまりは祖先は陰陽師でも神職でもなく、そういった血は入ってないということだ。

 父も母も一つ上の姉も、誰も妖が見える人はいない。

 だからこそ、わたしは妖が見えることを誰にも言わなくなったのだ。


 家が見えてきた。今日は母の使いで、カステラを買ってきたところだ。午後から会社にお客さんが来るということで、そのお茶菓子を頼まれたのだ。


 無事に帰ってこられたということで、油断していたのかもしれない。今日は何の本を読もうかと、気もそぞろになっていた。

 門を潜ろうとしたところで、植え込みから影が飛び出てきたと気づいたときにはもう遅かった。

 わたしはその陰をよけようとして、盛大にすっ転んでしまった。


千枝子(ちえこ)、また転んだの?」


 頭上から聞こえてきた声に、そろそろと顔を上げる。

 箒を手にした小春(こはる)姉が、呆れた顔でわたしを見下ろしてきていた。ちらりと目を向けた先をわたしも追いかけると、せっかくのカステラがひっくり返ってひしゃげてしまっている。

 あぁ、今日は大丈夫だと思ったのに……。


 町ではうまく狐のいたずらを避けることができたけれど、どちらかというと、よけられないことの方が多い。

 その度に「あなたは本当にドジな子ねぇ」と母に言われてきた。


 ドジ。器量なし。うっかり屋さん。全てわたしを表す言葉だ。

 小春姉はいつも、転んだわたしに手を差し伸べ、そのときに壊れたものがあれば、丁寧に直してくれた。

 今日も箒を木に立てかけて、手を差し出してくれる。


「ありがとう、小春姉」


「ケガはない?」


 わたしがうなずくと、小春姉は「よかった」と優しく微笑んでくれた。

 着物は砂で汚れてしまったけれど、髪がくずれなかったのは、不幸中の幸いかもしれない。




 小さい頃、妖はみんなにも見えるものだとわたしは思っていた。

 だけどそうではなかった。わたしが何か言う度に、みんなは嘘つきだと言った。


 それでも小春姉だけは、嘘つき扱いしないでいてくれたけれど、小春姉にも妖が見えていたわけではない。

 姉として、妹の言うことをただ受け入れてくれていただけだ。

 大きくなるにつれ、妖だおばけだなどと言うと、逆に心配されるような空気を感じ取り、それも小春姉には言えなくなった。


 周りの子らも、おかしなことを言う子をおかしく思う。

 わたしは次第に一人で過ごすことが多くなっていった。


 本だけは父が好きに買い与えてくれたから、日がな一日、本を読んでいる、なんてことも少なくない。

 それでも近頃は、嫁の貰い手がないんじゃないか、なんて心配をしているような気がする。女学校はちゃんと行っているのだから、勘弁してほしい。


「さっき、お隣さんにいただいた羊羹があるから、お客様にはそれを出すわ」


「いつも後始末させてごめんね」


「気にしないで。さ、着替えてらっしゃい」


 本当に、小春姉はいい姉だ。

『器量なし』と言われる妹とは大違い。

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